カテゴリー「歴史・史蹟」の340件の記事

新選組のふるさと歴史館

今日は、日野市の 新選組のふるさと歴史館 を訪れました
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日野市民には悪いのですけれど、新選組はあまり好きではありません。
しかし、「新選組は、京都では評判が良くない」といった客観的な展示には交歓を持っています。
訪れたのは、今回が初めてではないのですが、
「近藤勇が処刑された板橋の地の展示がないことに気づきました。
近藤が日野出身ではないからなのでしょうか?

今回訪れたのは、新選組の常設展示ではなく
企画展の古代大型紙面廂の発掘調査を見ることが目的でした。
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四面廂の建物とは、切妻ではなく4面に廂がある建物で、
ポスターに「武蔵国府に次ぐ規模で、どんな存在だったのか?」と問いかけがあったからです。
郡衙跡か?寺院跡か?どっちかな?と興味を持ちました。
展示は一室のみのコンパクトなものでした。
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結論は、平安時代の豪族の館跡 といういささか肩透かしの答えでした。
ただ、発掘中に、現場の近くを通ったことがあるので、
「へえ、あの辺にねえ」と身近に感じました。



 

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アイセルシュラホール 大阪府藤井寺市

世界遺産の百舌鳥古墳群と古市古墳群は何回か行っており、いまさらの感がなくはないのですが1月の堺でで行われた古墳サミットで、藤井寺市のアイセルシュラホールの歴史展示館を知りました。
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津堂城山古墳出土の水鳥型埴輪など展示が素晴らしいです。
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ところがこの施設は20年以上前からあるそうです。意識するしないで、こんな大きな施設を知らなかったとは、
我ながら呆れました。
ここで、書籍を買い、パンフレットをもらい
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ついでにクリアファイルとボールペンもいただきました
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他の郷土資料館などでいただいたり買い求めた資料も含めて旅行後一生懸命読んでいます

富田林市の埋蔵文化財センターの学芸員の方と話したことが印象に残っています
「河内国は古代を中心としてこんなにすごい国だったとは思いませんでした。」と、私が言ったら、
学芸員の方が、少し驚くようにそして少しがっかりしていました。
学芸員の方にすれば、発掘調査などで素晴らしい出土品を手にしているので当然の反応かと思います。
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私は今年に入ってようやくわかりましたが、
全国的には、大和(奈良)に隠れて河内は知られていないのが現実です。

1月と今回の旅行で、大方、河内を回った廻ったと思いましたが、
現地で手に入れた資料などを読んでみると、「まだまだ見ていないところがたくさんある」という思いがしました。
河内は魅力いっぱいです。

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古代寺院の四天柱跡

古代寺院跡を訪ねる時に、最も注目しているのは、塔の心柱の元にある礎石(心礎)です
塔は言うまでもなく本来の役目は舎利(お釈迦様の遺骨)を収める建物です
礎石の中に収めたり、塔の高い部分に収めたり、収める場所で心礎の形にバリエーションがあります
そのバリエーションを見るのが楽しみです

柏原市の田辺廃寺跡に5月23日に訪れたとき、
びっくり、感激したことがありました
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心礎のみなら四天柱の礎石が残っていたのです。

四天柱とは塔の中心にある心柱を囲むように立っている4本の柱です
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田辺廃寺跡の直前に河内国分寺跡を訪ねました
心礎とそれを囲む四天柱の礎石がありました
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しかし、心礎は抜き取られていてレプリカが置かれ、
四天柱の礎石のうち奈良時代からあるのは1個のみ(本物は地中にあり見えるのはレプリカかもしれません)
古代寺院の礎石がその場所から奪われることのほうが多く、その場に残っているのはむしろ例としてはすくないでしょう

田辺廃寺跡では、そのままセットで残っていました
感激した理由です
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写真、青の丸印が心礎 赤の丸印が四天柱の礎石です

実は、この場所は立ち入り禁止でした。
春日神社の本殿の裏の境内にあります
私は、グーグルマップの徒歩ナビを使ったのですが、この場所をまっすぐに案内されました
礎石を見終わって周囲を見ると柵と看板の裏が見えました
近づいてのぞみ込むと「立ち入り禁止」と書いてありました
春日神社を目指して参道から来たなら、この場所には行けなかったとでしょう
結果的に素晴らしい出会いでした。


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大坂冬・夏の陣 戦跡 大阪府天王寺区

宿泊したホテルの近く,というよりホテルがある場所が
大坂夏の陣の古戦場でした。

家康が幸村の決死の突撃にあわやというところまで追い込まれた戦場です

ガイダンス施設 『大坂の陣史跡散歩案内』館
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大型スクリーンに戦況の推移が映し出されます
わかりやすくてとても良いです。
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一心寺が運営しているのでしょうか

幸村最後の地は、すでに紹介しましたが、再掲します
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天王寺寄りに黒田藩蔵屋敷長屋門が
中之島から移築されています
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江戸の平和になってからを忍ばさせてくれる遺構です
(5月25日訪問)

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大國魂神社 宝物館

4日は、久しぶりの府中だったので、大國魂神の宝物館を訪れました。
その途中、線路が10mほど保存されていました
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多摩川の砂利を運ぶための下河原線の線路です。
昭和51年まで活躍していたというから、そう昔のことではないです

国府がありましたので、府中市は遺跡の宝庫です
ふるさと府中歴史館 にもよりましたが、新展示は見受けられないように感じました
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本格的に見るには、郷土の森博物館になるのでしょうが、交通の便がちょっと難点です

宝物殿
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神社には武将が戦勝祈願などで刀剣を奉納します
武蔵の国一の宮ですので、さぞかし名だたる武将の奉納があったのだろうと期待したのですが、
鎌倉幕府滅亡の時の戦いなどによる度重なる火災で
古い刀剣は残っていませんでした。ちょっとがっかり
(神輿、大太鼓などがあり。、館内は撮影禁止です)

本殿は一棟三殿といういわば三神の本殿が連なっている珍しい形式だそうです
拝殿の裏に回ってみました
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ただ、この形式となったのは江戸時代だそうです。


武蔵国府跡を見て、
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多摩寺が近くにあり塔の巨石があるように地図になっていたので向かったのですが
わかりませんでした
巨石はどうなっちゃたの?




 

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鳥坂(とさか)寺跡 大阪府柏原市

河内六大寺の一つです
主要伽藍跡は畑や公園になっています
説明板の前で想像するのみです
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塔跡は天湯川神社の本殿の地下に埋まっています
ここは単独の小高い丘になっています
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礎石の中央に舎利孔があります
何かしら痕跡はないかと塀越しに覗きました。
礎石らしきものが数個見えます
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ただし、礎石との確証は得ていません。

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山畑古墳群と河内廃寺跡 東大阪市

タブレット教室で古墳の話が出たときに
「古墳時代はどうして終わったのですか?」と鋭い質問がありました。
答えは「仏教伝来によって、火葬の風習が浸透するに応じて
土葬から火葬による納骨で大きな墳墓が必要なくなり、
また、一族の安寧と繁栄、鎮魂、それに威信の表現を
墳墓から寺の建立によってしてゆくようになった。」
と、お応えしました。

東大阪市の山畑古墳群と河内寺廃寺跡は、そうした光景を見せてくれます。
山畑22号墳 双円墳の西丘(東丘は消滅)で径20m
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高さ1.76m
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玄室から入口方向です 右片袖式です
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6世紀中頃


山畑39号墳 径8m
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小さな古墳で石も小さく持ち去られ易かったのでしょう
封土はありません
7世紀前半


河内寺廃寺跡 山畑古墳群から徒歩十数分の距離です
7世紀中頃の創建です
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割と小さめのお寺です
渡来系の馬飼部の河内氏の寺です。

5月21日訪問

今は、インターネットで多くの資料が手に入ります
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新堂廃寺跡、オガンジ池瓦窯跡 大阪府富田林市

新堂廃寺跡
四天王寺式の伽藍配置で、南河内最古の寺院とみられていますが、当時の呼び名はわかっていません
国の指定史跡となっていますが、発掘後埋め戻されて、現在は空き地となっていて説明板があるのみです。
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将来の整備が待たれます。

オガンジ池瓦窯跡
新堂廃寺跡から徒歩数分の所にあります。
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岸のコンクリートの型取を区別して窯跡の場所がわかるようになっています
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窯跡は、その立地条件から後世、池になることがままあります。
(八尾市の向山古墳も同様でしたので、学芸員の方に聞きました
 納得ゆく解説でした)
 

古代寺院(新堂廃寺)と、終末期古墳(お亀石古墳)その両方に供給された瓦の窯跡が
セットで発見された貴重な史蹟です
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(現在地とあるのは新堂廃寺の説明板のある場所です)

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竹原井頓宮(たけはらいとんぐう)跡 大阪府柏原市

聖武天皇が難波宮への行幸の時に使った宮殿の跡地です。母の元正天皇、娘の称徳天皇も使っています
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現地にあった案内板は、
合板にポスターを張ったもの!
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思わず「まさか!」と、思いました。
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(遺跡の位置は、合板製案内板の左奥・白い塀のあたり)
事前に、柏原市が建てた案内板をチェックしていましたので、
遺跡の範囲の確認の意味もあり
その案内板を探しに、遺跡を大きくぐるっと回りました。
しかし見つかりません。
結果的には、遺跡から150mほど離れた吊り橋近くの場所にありました。
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確かにこの位置は立っている意味がありません

遺跡は、民間会社の物流基地の下に眠っています。
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(発掘時の写真)
大和川が近くに流れ、風光明媚な場所です。

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河内国分寺跡

大和国から河内国に入る最初の要地にあります
山の斜面に立地してます。
国分尼寺のほうが開けた場所にあります。
仏教活動のみならず戦略的な場所を選んだと思われます。
現地案内板の地図がそれを示しています
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現地から大阪方面が見通せます
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七重塔跡が復元されています。失われた礎石は一部レプリカになっています
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