カテゴリー「歴史・史蹟」の282件の記事

鎌倉・永福寺復元終了

鎌倉の永福寺址の復元(建造物は復元されていません)が終了したとのニュースをテレビで知りました。

私が初めて永福寺跡を訪れたのは、およそ45年ほど前になるでしょうか。学生時代でした。畑に顔を出した礎石が数個。池の汀の石が田んぼの中に少しばかり列をなし、民家の庭先に畠山重忠は立てた庭石がある。という光景は衝撃でした、学園祭で簡単な復元模型を作った事を今でも覚えています。ちゃちな模型でしたが、おそらくは復元模型としては初めてはなかったかと密かに思っています。

10年前の復元整備が始まったころの写真です

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復元工事が終わって、在りし日を偲びやすくなった半面、時間を超えた寂寥感を失ったことが残念にも感じます。

鎌倉の世界遺産登録運動が端緒となった復元事業ですが、世界遺産登録は困難な道となっているようです。

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埼玉県立「歴史と民俗の博物館」と氷川神社(さいたま市)

さいたま市の「歴史と民俗の博物館」を訪れました。

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大型銅鐸が埼玉県で出土したというのは聞いたことがないので見入ったら、三重県からの借り物のようです。

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庭には、芝・増上寺にあった徳川9代将軍・家重の石燈籠がありました。

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増上寺にしろ寛永寺にしろ、将軍ゆかりの石灯籠が散らばっていることは知っていますので「ここにもあったか」程度の感想ではありました。

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特別展が「縄文」なので『外した』と正直思いました。『縄文』の展示は「退屈」というのが私の先入観念です。
ところが、「盛土遺構」という展示がありました。住居などが何代にもわたって使われてその度に盛り土をして使ってきたという遺構です。
今まで、さして気にしていなかったのですが、隣接の氷川神社がそうであると知って気になりました。

氷川神社 延喜式内社で、氷川神社の基の神社です。

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縄文遺跡の上に立っています。本殿左手奥に「神池」があります。

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この湧水を守る神として、『2000年以上の歴史を持つ』というのもあながち否定できないと思われます。

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奈良新聞WEB

私が、ほぼ毎日チェックしているサイトに「奈良新聞WEB」があります。
他の地方新聞も良くチェックするのですが、「奈良新聞」は『考古学』の欄が特別にあります。

今回、高取町で「横口式石槨の古墳が発掘され、『渡来系氏族・東漢(やまとのあや)氏の首長か、首長に次ぐクラスの墓と考えられるという。』すでに埋め戻され現地説明会はない。」という記事が載っていました。
http://www.nara-np.co.jp/20170414085847.html

東漢氏と言えば、崇峻天皇暗殺事件を思い起こさせます。この古墳は7世紀中頃と見られていますので、この事件以後もそれなりの力を持っていたという事なのでしょう。

記事の写真を見ると、古墳は結構破壊されているようです。そのあたりについては触れられていません。
ともあれ、こうした記事を見ると、埋戻し後であろうと実際に見たくなります。

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探検バクモン「薬師寺」

NHKの15日放送の探検バクモン「薬師寺」を興味深く見ました。
現在修理中の東塔の現場に入ったリポートでした。基礎?基壇?をコンクリートで作っているのにはびっくりしました。理由を聞いて納得ではありますが、現在の基壇の保存方法の詳しい説明はありませんでした。
心(芯)柱の修理についても実際の様子がわかって良かったのですが、礎石(芯礎or心礎)についてはわかりません。一番見たかったところです。
解体修理の前の特別公開に行きましたが、心(芯)礎のところが構造物で見れなかったので、番組では見せて欲しかった。

ドキュメンタリー番組としてより詳しい放送を期待します。

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道明寺(大阪)と久米寺(奈良)

1月末に大阪から奈良に行ってました。古墳や古代の遺跡を巡りました。「古墳ガール」なる言葉を聞きますが、あまり見かけたことはありません。古墳も好きなのですが、“礎石”も好きです。かつては栄耀栄華を誇りながらも建物を失って礎石のみが嘗てを偲ばせている姿に歴史を感じます。

大阪・道明寺
菅原道真を出した土師(はじ)氏の寺です。土師寺の址です。

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塔の芯礎
中心の穴は塔の芯柱を受けた礎石です。比較のため定期券入れを置きました。

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奈良・久米寺
久米仙人の話は有名です。

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塔の芯楚

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薬師寺の東塔と興福寺の芯柱の一番下をみる機会がありました。薬師寺東塔では、礎石との接点は直に見ることはできなかったのですが、興福寺の東塔では見ることができました。芯礎は凸形をしていました。

芯楚の例
藤原京の址地の元薬師寺は、東塔が凹形で西塔が凸形です。

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塔の芯柱の受け方の違いです。

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こうした礎石が残っているのは、奇跡だと思います。城つくりの際、石が持って行かれます。姫路城では古墳の石棺までが天守台に使われています。地下に眠っているか?信仰の対象などになって残ったのか?歴史を語りかけてきます。

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飛鳥の巨大ため池(益田池の堤)

明日香(飛鳥)に行くと言えば甘樫の丘を中心とする地域に足が向いてしまいます。私もそうです。橿原神宮前駅から徒歩5分ほどの所に大きな堤防址があることを知りました。矢印のところです。(青の部分も堤の一部と推定されます)

170210a3そもそも橿原考古学研究所の博物館に大きな樋管が以前から展示してあります。知ってはいましたが気に留めませんでした。

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堤が公園となって保存されています。幅30m高さ8m平安時代の初期(822年)に飢饉に見舞われその対策として築かれました。

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博物館で見ても、関心は生まれなかったのですが、実際の土木工事の址を見ると驚きます。

貯水量は140万トン
ため池の範囲を現在の地図に重ねてみました。

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こんなに大きいため池があった事に衝撃を受けました。飛鳥には数えきれないほど来ていますが、この土木工事を気に留めていなかった自分にもショックを受けました。

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室生寺再訪

「以前、確かに来ていたはず。」と思っていました。
本堂の左を周って五重塔を見た時「やっぱり2度目だ。」と、確信に変わりました。

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帰宅して確認したところ、ほぼ40年振りの再訪でした。

三重県の県境に近い奈良県・・・・女人高野とも呼ばれる、人里から離れた地・・・・権力争いの兵火からも逃れる立地がそうさせたのか、素晴らしい仏様が迎えてくれました。

幾多の神社仏閣を巡る私ですが、“御朱印帳”には関心がありませんでした。
ですが、英会話サロンでNさんが見せてくれた御朱印帳が素敵で、宗旨替えしました。「室生寺に来る機会は、この先そうはないかもしれない」という気持ちも加わりました。

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室生寺への途次、大野寺の磨崖仏

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磨崖仏は、汗を拭き拭き山中に分け入ってやっとお目にかかれたというのが私の経験でしたが、ここではあっさりと拝めます。出会いまでの経過は置いといて、仏様そのものは素晴らしいです。

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竹の径(161212京都の旅)

“たけの里”をうたう向日市

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『竹の径』として整備されています。

洛西竹林公園 
行政区としては向日市ではなく京都市になります。園内には多くの種類の竹が植栽されています。 

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枯れているわけではありません。きれいな金色でした

展示

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エジソンの電球のフィラメントは京都(八幡市)の竹で作った事は有名です。

興味の対象外でしたが、ついでに寄りました。寄って良かった。

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物集女(もずめ)城跡(161212京都の旅)

戦国時代のお城です。織田信長の時代に細川氏によって城主が暗殺されて城の歴史を閉じました。

案内板

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堀が一部残っています

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発掘調査進行中

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地形模型

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近くの公民館にあります。パンフレットも1部100円で売っています

複合遺跡

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古墳時代の遺跡出土地でもあります。

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長岡宮址(161212京都の旅)

784年から10年間都があった長岡京の中枢部です。市街地になっていますので、発掘調査も制限、困難が多いことは想像に難くありません。

大極殿址

161218c1政務、儀式のとき天皇が出御する建物です。

朝堂院址

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朝堂院址の資料館

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ガイドセンターと言った趣です。ペーパークラフト、絵葉書、パンフレットをいただきました。質問をしたり3、40分ほどおじゃましました。

ペーパークラフト

161218c6大きいので持ち帰るのに気を使いました。

築地址内裏址

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大極殿朝堂院を囲む回廊です

内裏の回廊

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柱の址が表示されてます。
内裏は天皇の生活空間です。内裏の大部分は、現在、北真経寺となっていますので主要部分は未調査です。

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