カテゴリー「歴史・史蹟」の279件の記事

探検バクモン「薬師寺」

NHKの15日放送の探検バクモン「薬師寺」を興味深く見ました。
現在修理中の東塔の現場に入ったリポートでした。基礎?基壇?をコンクリートで作っているのにはびっくりしました。理由を聞いて納得ではありますが、現在の基壇の保存方法の詳しい説明はありませんでした。
心(芯)柱の修理についても実際の様子がわかって良かったのですが、礎石(芯礎or心礎)についてはわかりません。一番見たかったところです。
解体修理の前の特別公開に行きましたが、心(芯)礎のところが構造物で見れなかったので、番組では見せて欲しかった。

ドキュメンタリー番組としてより詳しい放送を期待します。

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道明寺(大阪)と久米寺(奈良)

1月末に大阪から奈良に行ってました。古墳や古代の遺跡を巡りました。「古墳ガール」なる言葉を聞きますが、あまり見かけたことはありません。古墳も好きなのですが、“礎石”も好きです。かつては栄耀栄華を誇りながらも建物を失って礎石のみが嘗てを偲ばせている姿に歴史を感じます。

大阪・道明寺
菅原道真を出した土師(はじ)氏の寺です。土師寺の址です。

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塔の芯礎
中心の穴は塔の芯柱を受けた礎石です。比較のため定期券入れを置きました。

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奈良・久米寺
久米仙人の話は有名です。

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塔の芯楚

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薬師寺の東塔と興福寺の芯柱の一番下をみる機会がありました。薬師寺東塔では、礎石との接点は直に見ることはできなかったのですが、興福寺の東塔では見ることができました。芯礎は凸形をしていました。

芯楚の例
藤原京の址地の元薬師寺は、東塔が凹形で西塔が凸形です。

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塔の芯柱の受け方の違いです。

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こうした礎石が残っているのは、奇跡だと思います。城つくりの際、石が持って行かれます。姫路城では古墳の石棺までが天守台に使われています。地下に眠っているか?信仰の対象などになって残ったのか?歴史を語りかけてきます。

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飛鳥の巨大ため池(益田池の堤)

明日香(飛鳥)に行くと言えば甘樫の丘を中心とする地域に足が向いてしまいます。私もそうです。橿原神宮前駅から徒歩5分ほどの所に大きな堤防址があることを知りました。矢印のところです。(青の部分も堤の一部と推定されます)

170210a3そもそも橿原考古学研究所の博物館に大きな樋管が以前から展示してあります。知ってはいましたが気に留めませんでした。

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堤が公園となって保存されています。幅30m高さ8m平安時代の初期(822年)に飢饉に見舞われその対策として築かれました。

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博物館で見ても、関心は生まれなかったのですが、実際の土木工事の址を見ると驚きます。

貯水量は140万トン
ため池の範囲を現在の地図に重ねてみました。

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こんなに大きいため池があった事に衝撃を受けました。飛鳥には数えきれないほど来ていますが、この土木工事を気に留めていなかった自分にもショックを受けました。

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室生寺再訪

「以前、確かに来ていたはず。」と思っていました。
本堂の左を周って五重塔を見た時「やっぱり2度目だ。」と、確信に変わりました。

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帰宅して確認したところ、ほぼ40年振りの再訪でした。

三重県の県境に近い奈良県・・・・女人高野とも呼ばれる、人里から離れた地・・・・権力争いの兵火からも逃れる立地がそうさせたのか、素晴らしい仏様が迎えてくれました。

幾多の神社仏閣を巡る私ですが、“御朱印帳”には関心がありませんでした。
ですが、英会話サロンでNさんが見せてくれた御朱印帳が素敵で、宗旨替えしました。「室生寺に来る機会は、この先そうはないかもしれない」という気持ちも加わりました。

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室生寺への途次、大野寺の磨崖仏

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磨崖仏は、汗を拭き拭き山中に分け入ってやっとお目にかかれたというのが私の経験でしたが、ここではあっさりと拝めます。出会いまでの経過は置いといて、仏様そのものは素晴らしいです。

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竹の径(161212京都の旅)

“たけの里”をうたう向日市

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『竹の径』として整備されています。

洛西竹林公園 
行政区としては向日市ではなく京都市になります。園内には多くの種類の竹が植栽されています。 

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枯れているわけではありません。きれいな金色でした

展示

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エジソンの電球のフィラメントは京都(八幡市)の竹で作った事は有名です。

興味の対象外でしたが、ついでに寄りました。寄って良かった。

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物集女(もずめ)城跡(161212京都の旅)

戦国時代のお城です。織田信長の時代に細川氏によって城主が暗殺されて城の歴史を閉じました。

案内板

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堀が一部残っています

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発掘調査進行中

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地形模型

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近くの公民館にあります。パンフレットも1部100円で売っています

複合遺跡

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古墳時代の遺跡出土地でもあります。

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長岡宮址(161212京都の旅)

784年から10年間都があった長岡京の中枢部です。市街地になっていますので、発掘調査も制限、困難が多いことは想像に難くありません。

大極殿址

161218c1政務、儀式のとき天皇が出御する建物です。

朝堂院址

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朝堂院址の資料館

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ガイドセンターと言った趣です。ペーパークラフト、絵葉書、パンフレットをいただきました。質問をしたり3、40分ほどおじゃましました。

ペーパークラフト

161218c6大きいので持ち帰るのに気を使いました。

築地址内裏址

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大極殿朝堂院を囲む回廊です

内裏の回廊

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柱の址が表示されてます。
内裏は天皇の生活空間です。内裏の大部分は、現在、北真経寺となっていますので主要部分は未調査です。

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向日市歴史資料館(1612京都の旅)

長岡京の史蹟を見るのは、当然長岡京市と思っていましたが、この旅行の計画段階で調べたとき「長岡京の大極殿など中心部は向日市にある。」と、知りました。それまでは向日市の存在さえ知りませんでした。

入館料は無料です。

盾形埴輪

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この埴輪は遺跡から出土しました。遺跡?古墳じゃないの?
解説によれば、古墳から持ち出してお棺(九州でよくみられる甕棺のように)使っていた、とのこと。元来あった古墳は、現在桓武皇后の墓として指定されており学術調査は行われていません。学術的には指定は間違っています。

長岡京の模型

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左の山が天王山 平安京と大きさはそん色ありません。

長岡宮模型

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この模型が作られた以降の発掘により翔鸞楼跡が発見されています。

長岡宮という言い方をこちらに来て初めて知りました。大極殿など都の中枢ですので使い方に違和感はないのですが、向日市は“長岡宮”、長岡京市は“長岡京”という使い方をするのでしょうネ。

常設展示

161218b4さらりと、すごいものが展示されています。

発掘された井戸

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『示』刻印があると表示がありましたが何回見ても見つかりません。学芸員さんに教えてもらいました。指し示す表示が必要だと思います。

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この刻印は専門家集団の印だそうです。

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乙訓(おとくに)古墳群 (161212京都の旅)

京都盆地の西、向日市、長岡京市、大山崎町は乙訓地方と呼ばれます。長岡京が置かれる以前の遺跡・古墳を歩いてきました。

物集女塚(もずめつか)古墳
前方部から後円部をのぞみます

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後円部と前方部の高さがそれほど違わないのは古墳時代後期の特徴です

石室の排水施設

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おそらく、初めて見たかとおもいます

玄室には立派な扉

161218a3あとで資料館で聞いたら条件付で公開しているそうです

寺戸大塚古墳

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考古学に関心がある人なら知っていますが、椿井大塚古墳出土と同じ三角縁神獣鏡(いわゆる同氾鏡)が出土しています。前方後円墳ですが前方部は失われています。

五塚原(いつかはら)古墳

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人の頭ほどの大きさの葺石があります。

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作った当時の石は、その後表土で覆われ崩れたところから出てきます。

元稲荷古墳
前方後方墳です。前方部から後方部をのぞみます

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後方部の頂から一角をのぞみます

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写真を撮った私は円ではなく角っぽくなっているのがわかるのですが、写真を見ただけでは判然としないかと思います。

石室の天井石

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説明版はありませんが資料館で同様の出土品を見ていましたのでわかりました

恵解山古墳 
この古墳は淀川近くにあります。

造り出し部 もう一方の造り出し部は矩形ではなく汀のような形をしています

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前方部から鉄製品が大量に出土しています。

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この地方最大の古墳です

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天王山古戦場・明智光秀本陣址 (161211京都の旅)

天下分け目の天王山と言われる合戦は天王山の麓で行われました。
「山崎の合戦」です。

小泉川(旧名円明寺川)

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この川を挟んで秀吉軍と光秀軍が対峙しました

古戦場の碑

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背後の山が天王山 写真ではわかりませんが、碑は高速道路の下に立っています

天王山にある陶板

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明智軍は東から攻めます(黄色の矢印) 秀吉軍は淀川沿いから明智軍の側面を突きました(赤い矢印)
大軍を相手に、明智軍が狭隘なこの地を戦場に選んだのは正解だったのでしょうが、そこまででした。

明智光秀の本陣址 境野1号墳

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ビール工場の裏手にあります。
案内板はありますが、古墳そのものは原形をとどめていません。

近年、本陣跡地は恵解山(いげのやま)古墳という説があります。

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恵解山古墳の方が境野1号墳の2倍の大きさがあります。
私が光秀なら、こちらを選びます。が、これからの研究の進展を待ちましょう。

合戦は午後4時ごろに始まり数時間で終わったようです。

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