カテゴリー「歴史・史蹟」の495件の記事

五本木庚申塔群

東京•目黒に来ています。その目黒の五本木に庚申塔があります。

Img_5217

一番古い塔が貞享3(1686)年という江戸時代前期です。保存状態は良いです。しかし、庚申講の氏名は残っていましたが、年号は確認できまでんでした。

Img_5219

庚申信仰は江戸中期から全国に広がりますので初期の庚申塔として貴重です。この塔は鎌倉街道に面しています。今は住宅とビルの街になっていますが、田園風景が広がっていた頃が想像されます。

 

| | コメント (0)

豊浦宮(とゆらのみや)跡

見たかった飛鳥の豊浦宮は推古天皇が即位した宮です。その前身は蘇我稲目の家で、百済から献ぜられた仏像をこの向原の家に祀ったという日本の歴史の中でも特筆すべき地です。(日本仏教のはじまりの地)今まで近くを何回も通っていながら寄る機会を失っていました。
お寺の入り口には案内板があります
20251229a3
宮跡が見れると書いてあるのですが、お寺に入ってもそれらしき場所はありません。
ご近所の人が「お寺の方に声を掛けたら見れますよ」教えてくれました

お声がけして本堂の向かって右側に屋根をかけて保存されていました(確かに一見して見れる場所ではありません)
20251229a1
2メートルほどの深さです
20251229a2
石敷きが見え、右手前の穴が掘立柱の抜いた跡です

周囲は住宅地となっていますので、全体の発掘は難しいでしょう。雨が降ってきたので、そそくさと退散せざるを得ませんでしたが、また、機会を見つけてじっくりと見学したいと思っています。(訪問日11月27日)

| | コメント (0)

有間皇子の墓(岩内1号墳)

有間皇子のお墓(古墳)は、和歌山県御坊市にあります。
20251221a1
一辺19.3メートルの方墳です。玄室は長さ2.48メートル 幅2メートル 羨道は長さ3.42メートル 幅1.45メートル
高さがわからないのは、発見当時上部が破壊されていたためです。発掘時の写真
20251221a2
20251221a3
現状
20251221a4
20251221a5
上部は復元ですので、床面を特にじっくり観察
20251221a6
日本の古墳はすべからく墓誌がありませんので、築造年代と副葬品から推定します
副葬品は御坊市歴史民俗資料館で展示されています。開館日が限られているので古墳と一緒に訪れるには日程調整が必要です。
20251221a8
副葬品 銀製蛭巻太刀
20251221a9
漆片
20251221a10
六花形鉄製棺飾金具
20251221a11
六花形金具は斉明天皇のお墓でも出土しており、これらの副葬品はいずれも皇族級です。

和歌山県で皇族級のお墓といえば有間皇子以外はあり得ません。さらに、今回の訪問で、有間皇子とともに処刑された側近の塩屋鯯魚の本貫がこの地であることを知りました。この地が葬地であることの理由がわかりました。28年後に同様に謀略によって刑死した大津皇子が皇族御料地の二上山のふもとに埋葬されたこととの違いを感じました。

処刑地とお墓を今回訪ねて、有馬皇子の無念さをあらためて胸に刻みました。




| | コメント (0)

藤代坂 有間皇子終焉の地

11月の旅行の最大の目的は有間皇子の終焉の地と葬られた古墳を訪れることでした。
今から1367年前、孝徳天皇の長男であった有間皇子は中大兄皇子(後の天智天皇)の謀略によって処刑されました。有間皇子は19歳、中大兄皇子は32歳、多くの謀略をめぐらしてきた中大兄皇子にとって有間皇子はたやすい相手だったに違いありません。

有間皇子が処刑(縊死)された地が和歌山県海南市の藤代坂です。
20251220a2
熊野古道に面しています
20251220a1
この坂を下ってきて、ここで処刑されました。

有間皇子の墓
20251220a3
軽視地に建てられた供養塔
木にさえぎられていますが、眼下に海を見下ろせて眺望が良いです

有名な歌碑
20251220a4
「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」

熊野古道の道々にあった石仏でしょう
20251220a5

伝承地というのは、後世になってから物語などをもとに作られることも多々ありますが、この地は悲劇の地として地元に語り継がれてきたものと思われます。伝承地として間違いはないでしょう。
この時代の明日香では石人像が発見された地の字が石神でしたし、水時計の遺構が発見された地は水落でした。

私は、中大兄皇子(天智天皇)は好きではありません。権力を握るためには人の命を命とも思わない(今の世の中も変わらずそうですが)その人生は、私は受け入れられません。


| | コメント (0)

妙国寺(堺市)と堺事件

妙国寺にも15年前に来て、参拝し、また3年前にも来ましたが、この時はお寺の中には入らず、向かいにある土佐藩士のお墓にお参りしました。

幕末に堺を警備していた土佐藩が港の水深を測っていたフランス兵を11名殺害し、事件後土佐藩が責任を負わされ藩氏11名が切腹したというのが堺事件で、この時の切腹の場がこの妙国寺でした。

妙国寺の道路わきに立つ道標
「左 とさのさむらいはらきりのはか」
20251208a3
切腹したのは妙国寺ですが、勅願時(天皇の祈願寺)の寺格を理由として兵卒の墓など建てられないと。結局向かいのお寺に遺体は葬られました。

この時に切腹した土佐藩兵の遺髪や血塗りの三方(台)が宝物資料館にあります。ガイドさんが「切腹する藩士をどのように決めたと思いますか?」と問いかけてきたので、ガイドの隣に座っていた私は即座に「くじ引きで決めました」と答えてしまいました。おそらくは知らない参拝客が驚くというガイドにとってクライマックスだったと思うのですが、・・・あとで知らないふりをすればよかったと思いました。
今回のガイドの案内はここまででしたが、15年前は、自由に庭に降りることができました。

切腹跡の碑 「英士割腹」
20251208a5
土佐藩氏とフランス兵の慰霊碑
20251208a6
20251208a7
以上3点は15年前の写真です。

今回、二十代の青年が一緒に案内されていたので、寺を出てから向かいの藩士の墓を案内してあげました。この事件のことを知らなくて、藩士の生々しい遺品を見てショックを受けていたようです。

本能寺の変の時に家康が滞在していたのが、この妙国寺です。その時の寺域は今の2倍ほどでした
20251208a4

「堺事件を語り継ぐ会」というのがあることを今回知りました。
20251208a8

| | コメント (0)

南宗寺(堺市)

今回(11月24日)堺市の寺院で訪れたのは、南宗寺と妙国寺です。お寺の中に入ったのは、前回が2010年1月17でしたから15年ぶりになりました。(ブログをつけているとこういう時に役立ちます)

お寺ですから15年たってもそうそう変わることはないのですが、一番変わったのはボランティアの案内があることです。自分のペースで見られないのであまり好きではありませんが、断れる雰囲気ではなく、居合わせた3人と嫁さんと5人で回りました。そして結果はやっぱり良くなかった。

写真撮影は禁止! ボランティアの責任ではありませんが、なぜ禁止にしなければならないのか?私にはわかりません。

『徳川家康の墓』なるものがあるのですが、「歴史のロマンとしてお聞きください」と、前置きしたうえで長々とした説明に「浪漫なんかではなく単なるフェイクだろうと」と思いながら聞いていました。さらに松下幸之助もお金を出したという大きな石碑を長々と説明。これもうんざりしながら聞いていました。

私としては茶室の待合(ネットからの写真)
20251208a2
の横にある千利休ゆかりの手水鉢(私が15年前に撮った写真・・・この時は撮影禁止ではありませんでした)
20251208a1
ガイドはあっさり通り過ぎたので、一通り回った後に一人で戻ってじっくり眺めました。(このために15年ぶりにまた来たというのに)

2メートルほどの石碑がありました
20251208a53
説明もせずに通り過ぎようとしたので、「なんの石碑ですか?」と聞いたら「わかりません、今度勉強しておきます」
この写真は15年前です。今回は碑の後ろに板書があり、おそらく碑文を書き写したものと思われます。参拝者同士で話しをしていて、一人の方が板書を撮影したら「撮影禁止です」と、石碑を撮ったわけでもなし! 説明もできないのに!ボラティアにはうんざりしました。

久しぶりでしたが、今回はいい思いをしませんでした。




| | コメント (0)

第12回太陽の船シンポジウム

シンポジウムの参加もあって都区内に2泊してきました。
12月4日、早稲田大学大隅小講堂でで開かれた「太陽の船シンポジウム」を聴講しました。
20251207a3
大エジプト博物館の開館式の様子が動画で紹介されました。この開館式に招待されて参加した吉村作治先生が撮影したものです。
吉村先生のお話は相変わらず面白いです。お怪我は、太陽の船の現場で転落して負ったものだということです。
エジプト大使もお見えになられましたが、吉村先生の果たした功績の大きさを改めて認識しました。

クラウドファンディングで第2の太陽の船の寄付を募っています。
20251207a1
大エジプト博物館でも専用館が設けられています。微力ながら協力したいと思います。

| | コメント (0)

利休屋敷跡、与謝野晶子生家跡、さかい利昌の杜(堺市)

堺市は今回で3回目です。私にとってはバルーンで百舌鳥古墳群を上空から見たので、目的は達しました。嫁さんは初めてですので、私はガイド役になりました。

与謝野晶子生家跡
20251201a2
紀州街道に面した与謝野晶子の生家は紀州街道の拡張によって、すべて道路になっています。奥の歩道の部分のみが紀州街道です。

千利休屋敷跡
20251201a1
井戸
20251201a5
何年前か覚えていませんが、以前来たときは、井戸が奥に残っていて手前は草っ原で、立ち入ることはできませんでしたが、門、塀が整えられていて、ボランティアガイドがいました。

さかい利昌の杜
利休屋敷跡の向かいにある博物館です。千利休と与謝野晶子の二人の資料等が展示されています
利休の茶室の立体設計図
20251201a3
与謝野晶子の源氏物語の朗読の肉声が聴けます
20251201a4
関西文化の日とかで、入館料は無料でした。


| | コメント (0)

有間皇子の古墳に墓参

堺から和歌山に移動して、念願だった有間皇子が葬られた岩内3号墳にお参りしてきました。

Img_4770

古墳に行く前に皇子最期の地・藤白坂、古墳の出土品を展示している御坊市歴史民俗資料館を訪問しました。

念願を果たせたか感激でいっぱいで、肩の荷が降りた心持ちの中で帰途、湯浅伝統的建物群保存地区をお訪れてホテルに戻ってきましたが


| | コメント (0)

旅行 堺

堺での第一目標の大仙古墳(伝仁徳天皇陵古墳)見学の気球に乗ることができました。
20251124a1
昨日の下見が功を奏しました。
気球に乗った後は、
百舌鳥古墳群ビジターセンター→南宗寺→妙国寺→堺伝匠館
南宗寺と妙国寺は以前にも訪れていますが、以前と違ってボランティアガイドがいて案内の仕方が違っていました。廻ったところは少なかったのですが充実感はありました。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧