カテゴリー「歴史・史蹟」の435件の記事

吉野ケ里遺跡の石棺墓でわかったこと

私は吉野ケ里遺跡には行ったことはありません
が、邪馬台国との関連で注目はしていました

石棺の発掘では、佐賀県とマスコミが
邪馬台国ではとあおっていました
あの程度の石棺が邪馬台国の首長墓であるとは到底思われませんでした

この度、この遺跡の「有力者」との見方が披露されました
石棺の規模と石棺内の赤い部分が、高級品の水銀朱はわずかで
多くはベンガラであったことがその判断の根拠であったと思われます
20240705b1
逆に言えば有力者の上位の「首長墓」クラスは、まだ発見されていないということになります

魏志倭人伝に記載された国で遺跡がぴったり一致するのが
一支国と書かれた壱岐の島の原の辻遺跡です

一支国は、方300里、三千の家があるとされています
原の辻遺跡に行ったのは遺跡の広がりとこの記述を参考に
魏志倭人伝に書かれた国を比較することができます。

あらためて吉野ケ里遺跡に行ってどのくらいも大きさ(戸数)なのか?
実感したいと思いました。

| | コメント (0)

法隆寺夏期大学の案内状が届きました

参加証などが同封された法隆寺夏期大学の実施要項が送られてきました
「料金別納郵便」には夢殿がしっかり印刷されていました
202400621a2

最も気にしていた
若草伽藍の塔礎石の特別拝観(見学)も明記されていたので安心しました
202400621a1
夢殿も特別拝観の対象となっています
ということは救世観音も拝観できるのか?
期待が膨らみます

たまたま、去年発掘現場のわきを通った若草伽藍跡の出土品が
今月30日まで斑鳩文化財センターで展示されます
202400621a3
夏期大学は来月です。展示期間はとうに終わっています
夏期大学でも見ることができるのか?
気になります。





| | コメント (0)

廃寺の御朱印

京都最古の寺が廃寺となって地下に埋もれています
この度「廃寺の御朱印}が初めて世に出ました
地名をとって「北野廃寺」と名付けられてはいますが、
202400616a1
202400616a2
当然、本来の寺名はありましたが、諸説あるようで未確定です
(京都の路地裏には、石碑となって歴史があふれています)


草木に覆われた礎石を、草をかき分けて探し出したときは
大げさに言えば「歴史を呼び戻した」感動を味合うことができます。
廃寺巡りは大好きです
思ってもいませんでしたが、廃寺の御朱印はグッドアイデアです

藤原京にあった薬師寺
202400616a3
202400616a4
奈良市の薬師寺は知っていても、この元薬師寺を知らない人が多いことに
私などは驚きます

島根県の 上淀廃寺
202400616a5
資料館がありますので、御朱印発行の条件は良いと思います

奈良県の巨勢寺廃寺
202400616a6
塔礎石に排水のための加工がしてある珍しい礎石です
近くの寺に、当時の堂宇の礎石があります
事前に詳しく調べてゆけば、わかるのですが
「巨勢寺廃寺御朱印」があれば、わかりやすいです。
(小さな寺ですので、現在御朱印はありません
訪れる人も少なく、私が行ったときは丁寧に説明していただきました)

栄耀、盛衰を誇った寺院が廃寺になる過程を知ることは
歴史への理解を深める良いチャンスです
廃寺の御朱印がこれを機に、広まることを希望します。

| | コメント (0)

遊就館見学(靖国神社)

何十年かぶりに5月30日に、靖国神社の
戦死博物館に行ってきました

愚かな戦争により多くの犠牲者が出たことを
しっかり胸に刻むためです

建物がすっかり新しく大きくなっていてびっくりしました
展示は古代から

石上神宮から寄贈された「神宝」の盾
202400602a4

江戸時代末期のお台場に設置されていた大砲
202400602a1

ゼロ戦
202400602a2_20240602220401
ゼロ戦だけを見ていると分からないのですが
オーストラリアの博物館で、連合軍の戦闘機と比べてみたときに
機体は小さいしエンジンの出力も小さく
初戦の攻勢も工業力の差で劣勢になったことを実感しました

硫黄島で使われていた缶詰
202400602a3_20240602220401
硫黄島の遺品を目にしたのは初めてでした

戦争の博物館を見るとき
この愚かな戦争を指導した軍人の責任には何も触れられません
特攻隊作戦の悲惨さを訴えても
このこと(作戦などとは言えない)を考え命令した軍人には何も触れられていません
戦争を終わらせる勇気も決断もなかった指導者への怒りを新たにしました。



| | コメント (0)

高松城

讃岐の旅の最後に高松城を訪れました(4月12日)
20240504c1
天守台から見た橋です
20240504c2
廊下橋になっています
琴平に続いて4日間で2本の廊下橋を見ました

城は海に面していて場内から海へ直接出れました
当時の海へ出る門は、現在は埋め立てられています
20240504c4
代わって現在の海へ通じている所です
20240504c3
瀬戸内海の島々が見えます

濠の水は海水ですので
泳いでいる魚も海の魚です
餌をあげて遊びました
20240504c5

生駒氏が丸亀からこの地に移ってきて築城しました
旧大手口には「丸亀町」の町名が残っています

生駒氏はお家騒動で転封となり、
水戸徳川家が入って来ました
(江戸時代は良かったのでしょう)
そのため明治維新では、幕府側について戦い敗れました
明治になって、徳島県や愛媛県の一部となるなど
現在の香川県として独立したのは明治20年で
県としては全国最後の発足となりました

| | コメント (0)

讃岐国分寺、善通寺

現在は興味の中心は古墳時代となっていますが、
通史は常に関心を持っています
讃岐の旅でも、国分寺、善通寺を訪れました

讃岐国分寺
発掘調査は終わっているようです
塔跡
20240504a1
僧房跡
20240504a3
手前の礎石はレプリカです
僧房内部の一部が復元されています
20240504a4

梵鐘 重要文化財です
20240504a5
銘はありませんが奈良時代の様式を引く平安時代初期だそうです
日本最古級となる梵鐘です
百円で一突きできました

全体模型
一辺20メートルぐらいある大きなものです
20240504a2
寺域の東部分にあるのですが、大きなスペースが開いていたことになります

善通寺
空海誕生の地です
20240504b1
20240504b2
想像以上に寺域は広かったのですが
兵火に焼かれた影響で、江戸時代より前の堂宇は少ないです



| | コメント (0)

明治になってから作った前方後円墳

橿原考古学研究所の友の会の会報が届きました
3月の例会のレポートが載っていましたが

兎道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)の墓
の近くまで来たのですが、寄らなかったとのことです

兎道稚郎子命は応神天皇の子供で
兎道(うじ)山上に葬られたと、日本書紀に書いてあります
実在したかどうかもわかりませんが
古墳時代です

この墓を明治になってから、単に丸っぽい丘を
前方後円墳に作り上げたそうです
ご丁寧にも周濠まで作ったそうです

私の手元に宮内庁が出した陵墓地形図があり見てみました
20240502a1
以前からこの古墳図は見ていて
周濠部分を作り変えたのだろうと想像していたのですが
一から作ったとは!

明治になって、陵墓を作り上げた(でっち上げた)例はいっぱいありますが
まさかここまでしているとは思いませんでした

考古学趣味の例会ですから
明治になって作り上げたものをスルーしたのは当然です
が、私は逆にどんなものを作ったか、
馬鹿馬鹿しいと思いながら見てみたいと思いました


| | コメント (0)

琴平町の史蹟

金毘羅さんをお参りして終わり
というのが琴平町でのパターンですが
この街に泊まったので史蹟を巡ってみました

高燈籠
海の守り神の金毘羅さんが
海上の船から方向が分かるように目印として作られたそうです
万延元年(1860年)に作られました
20240417a1
20240417a2
中に入ってみたかったです


鞘橋(さやはし)
橋に屋根がついている廊下橋です
最も有名なのが大阪城にかかっていて
琵琶湖の竹生島に移築された極楽橋
(見に行きました)
20240417a3
20240417a4
江戸時代からありますが、
何回も流され、現在の橋は明治になってから架けられました
現在は神事の時のみ使われています
恥ずかしながら蛸橋(たこはし)と呼んでいました

一の鳥居
安政2年(1855年)に建てられました
どこにもある鳥居ですが
20240417a5
笠木の下に願文が彫られています
20240417a6
これが珍しいそうです
確かに他では見たことがないです

江戸時代から参詣者を集めた街ですから
まだ他にも史籍があると思います。

 

| | コメント (0)

旧約聖書 滅亡の街の真実

宇宙を主なテーマにしたNHK番組で「フロンテキア」があります
BS4Kで見ると画面がとてもきれいで
私のお気に入りの番組です。
20240405a2
今週は、考古学の発掘調査の場面から始まりました
発掘調査地点は
旧約聖書に、街が一瞬にして消滅したというソドムの街の候補地です
創世記19章24節には、「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて」と書かれています

発掘された土器などから一瞬の高温で溶けたなどから
隕石の空中爆発が推定されるというものでした
20240405a1

場所は中東ヨルダンです
番組を見ながら
地図を確認しました
20240405a3
マップで遺跡の概況がわかります
20240405a4

異分野の連携で真実に迫ろうとする。
面白い番組でした。

| | コメント (0)

浄土式庭園の史蹟

学生時代に鎌倉市の永福寺(ようふくじ)跡と出会って
浄土寺院に設けられた浄土を表した庭園(浄土式庭園)に興味を持ちました

第1世代
(奈良時代)阿弥陀浄土院跡
第2世代
(平安時代)鳥羽離宮跡、平等院など京都浄土寺院
第3世代 京都を模した奥州藤原氏関係
(平安時代)毛越寺、無量行光院など平泉の諸堂、白水阿弥陀堂(いわき市)
第3世代 平泉を模した鎌倉
(鎌倉時代)永福寺、称名寺など鎌倉を中心とした地域

浄土式庭園は、権勢者の変遷とともに時と場所を移動しました。
永福寺は、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼし、合戦における怨霊・英霊をを鎮め
冥福を祈るために建立しました。
平泉の大寺院の威容に目を奪われた頼朝の
勝者としての総仕上げの事業でした。

永福寺は浄土式庭園の終着点と思っていたのですが
2022年の「永福寺と鎌倉御家人」展で
永福寺式瓦が東国各地に広がっていったことを知りました

| | コメント (0)

より以前の記事一覧