カテゴリー「歴史・史蹟」の354件の記事

横浜開港資料館

開港資料館は3回目の見学です(11月25日訪問)
前回は、生麦事件の特別展で、それから10年たちました。

展示を見学したのですが、見学しなくともこの木は見ることができます。
玉楠の木です。
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日米和親条約はこの木の近くで締結されました。
教科書で見る絵に載っていておなじみです。
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この木は、関東大震災で黒焦げになりましたが、
残った根から再び茂りました。
館内には、焼ける前の木の一部を記念に残してあります。
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大さんばしの根元に「象の鼻」と呼ばれる突堤があります。
明治24年発効の地図にも載っています。
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ここから岩倉使節団が出航しました。
新国家建設へ向けて大きく歴史が動いた息吹を感じます。

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宮廷苑池(日本庭園の源流)

平城京跡などを長年見てくると、宮殿付属の「宮廷苑池」が権力基盤の重要な装置であることに気づきました。
藤原不比等、長屋王、藤原仲麻呂等の邸の立地が苑池との関りで理解できるようになりました。
そんな折、考古学研究所博物館で「宮廷苑池の誕生」展を見学しました。
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今まで回ってきた苑池史蹟のまとめとしてグッドタイミングの展覧会でした。

飛鳥京苑池跡(国指定史跡) 宮廷苑池の源流です。
ここから出土した石造物が橿原考古学研究所博物館入口に展示されています
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苑池は宮殿に接続しています
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発掘時の風景
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以前行ったときはこのような感じでしたが
今回は、草ぼうぼうで 島の跡の石積みがようやく見えました
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埋め戻すのが史跡保存の最良策なのですが、
活用面としては課題があります。
現状は、埋め戻しでもありません。
明日香村には活用に向けて方策を考えていただきたいです。

京都などに代表されるように、庭園といえば、寺院と一体のイメージですが、
庭園は宮殿や、豪族の私邸宅から始まっています。
奈良市の法華寺阿弥陀浄土院跡から庭園が発掘されています。
寺院に付属する庭園のはじめではないかと思っていました。
展覧会では「寺院の浄土庭園の最古の例」となるのではないか、とされています。
私の推測が間違いでなかったことがうれしかったです。

田の中に残る阿弥陀浄土院の庭石
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後方は平城宮東院庭園です。

飛鳥京苑池11月14日訪問
阿弥陀浄土院11月11日訪問

 

 

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蘇我蝦夷、入鹿の邸跡(甘樫丘東麓遺跡)

(訪問日11月14日)
考古学者は、明日香の甘樫丘東麓遺跡を蘇我蝦夷、入鹿の邸跡とは断定していません。
発掘跡から「蘇我」などの名前を記した決定的な遺物が出ていないからです。
しかし、年代や、焼けた痕跡から日本書紀の記述と一致し蘇我の邸跡であることはほぼ確実です。

その邸宅がどのような場所なのか、地図だけではわからない立地を知りたくて訪れました。
事前に発掘報告を読んでゆきました。
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現地は既に埋め戻されていて、草ぼうぼうであることが予測されたからです。
そしてその通りの現状でした。
発掘時の空中写真と地図です。
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上の図で赤く塗ってある調査区から見ました
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乙巳の変(私は大化の改新と教わりました)で入鹿が暗殺された(宮殿)場所が眼下に見えます。
宮殿を見下ろす位置にこの邸宅がある事に蘇我の権力の大きさを実感しました。
宮殿の最も華やかな場所である苑池跡も見えます。

目を北東に転じると、入鹿を暗殺した後、中大兄皇子が戦闘態勢に入った飛鳥寺(法興寺)もやはり眼下に見えます。
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入鹿が暗殺されたのが6月12日、雨が降っていた中、入鹿の屍はむしろで覆われこの日のうちに入鹿に渡されました。
蘇我邸には、武器庫もありましたが、蘇我の配下の氏族は武器を捨てて走り去ります。
翌13日に蝦夷は邸に火を放って自殺します。

乙巳の変の緊張感と入鹿の絶望感を感じました。

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大安寺

(11月11日訪問)
藤原京の巨大寺院である大官大寺が平城京に移って大安寺となりました。
まず、塔跡から訪れました。
東塔跡
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七重党の基壇が残っています。
西塔跡
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1mをゆうに超える心礎があります。
(大和)郡山城へ持ってゆこうと切断を図った痕が残っています。
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石が大きすぎて断念したようです

 

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天平仏の本尊十一面観音が特別開扉でした

宝物庫が改修中で、その期間を利用して来年4月から東京国立立博物館で『大安寺』展が開かれます
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告知板の手前の円形の石は礎石の位置を示します。

なお、国立博物館では十一面観音は公開されません。

おみくじは、だるまの中に入っています。
境内のあちこちにおみくじを開いた後のだるまが置いてあります。
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吉凶の占いに興味はありませんが
だるまにひかれて、おみくじを引いてみました。「大吉」でした。
おみくじそのものは境内に結び、だるまはもって蹴りました。

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奈良旅行3日目

法隆寺夢殿→藤ノ木古墳→斑鳩町文化財センター→法隆寺西院伽藍→法輪寺→法起寺→中宮寺跡

藤ノ木古墳では、3年ぶりの特別公開とあって、NHKテレビのインタビューを受けました。
地元で放送されたようです。
その様子です。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20221112/2050012130.html

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奈良旅行2日目

11月11日訪れた場所

野神古墳→大安寺(東西両塔跡含む)→元石清水八幡宮→杉山古墳(見学しそこない)→奈良市埋蔵文化財センター→藤原仲麻呂邸跡→平城京三条庭園跡→長屋王邸跡→平城宮いざない館→阿弥陀浄土寺跡

夜間特別公開で、興福寺北円堂と元興寺を訪れて、12時間自転車で回りました。

クーポンで美味しい料理とビールをいただいて、あっさり寝てしまいました。
個々の史蹟の詳細は、改めて記事にします。

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榮山寺さんに微力ながら寄付をしました

奈良県五條市に榮山寺という古刹があります。9月に参拝しました。
内部は奈良時代に藤原仲麻呂が父のために建立した八角堂ご残っています。
法隆寺の夢殿から20年ほどのちの貴重な文化財です。
外から見ただけでしたが、五條市文化博物館で、内部の傷みの激しさを認識しました。
その榮山寺が最小限の補修をするため寄付を募っていることを知り、
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微力ながら寄付をしました。
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寄付金が目標金額にならなければ、不成立となって、
1円もお寺には入りません。
法隆寺とちがって、メジャーとは言えません。
(とはいえ、文化価値は計り知れません)
なんとか目標金額3百万円が集まって、寄付が成立して欲しい。

クラウドファンティングにはface bookでログインしたのですが、
榮山寺さんから早速お礼のコメントをいただいたのには驚きました。
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多くの方のご協力があればいいな!と思っています。


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西大寺・西隆寺・秋篠寺(奈良市)

9月15日は、近鉄西大寺駅周辺を回りました。
近鉄西大寺駅を通過したことは何十回、降りたことも十回ぐらいあると思いますが、
「何時でも行ける。は、いつまでも行かない。」状態でしたがようやく行ってきました。

西大寺
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奈良時代、称徳天皇が藤原仲麻呂の乱の平定を祈願して建立しました。
創建時から残っているのは四天王像の足元の邪鬼と
塔跡の基壇と礎石です
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基壇の周りの芝生が八角形です。
造立当初の計画が八角形でした。
発掘調査の結果で確かめられました

西隆寺
西大寺と同じ称徳天皇によって建立された尼寺です
このお寺は西大寺駅前のビル群となってしまっています。
そうとは知らず、食事をしたり買い物をしたりしていました。
安倍元総理が殺害された場所も西隆寺の旧境内ということになります
塔跡がビルの後ろにあります
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これがわかりずらいところにありました
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近くまで来てずいぶん探し回りました
他に遺構がビルの合間にあるようです

秋篠寺
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かつての大伽藍も兵火にあって、今は堂宇が少なくなっています。
今時珍しい御朱印を用意していないお寺です。
落ち着いたたたずまいです。

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栄山寺と藤原武智麻呂の墓(奈良県五條市)

藤原仲麻呂の跡を追いかけています。
奈良時代、仲麻呂は、自らが操れる人物を天皇に就けるなど、
権力の絶頂を極めましたが、その地位からわずか1週間で戦いに敗れ命を落としました。
日本史上最大の転落劇の主役になってしまいました。

その仲麻呂が建てた堂が残っているというので行ってきました。
(9月13日)
栄山寺です。719年創建
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創建者は、父であり藤原不比等の子である藤原武智麻呂です。

仲麻呂が父の追善供養した八角円堂(国宝)が仲麻呂の建立です。
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五條市文化博物館に模型と内部の壁画が見れます
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内部は方形壇になっています

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内部の壁画です。

その他、古寺らしく歴史的なものがあります。
日本三名鐘の一つ
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最古級の奈良時代の層塔
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南朝の行宮所の名残をとどめる境内
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裏山に藤原武智麻呂の墓(国指定史跡)があります
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案内では30分かかるとありましたが
急な山を20分で登りました。
そこから3分ぐらいで行けるところを
(結果的には)30分も山中を迷いました。
(のちに文化博物館で、案内板が不備であると改善を求めました)

八角円堂内部の拝観は予約が必要です。
今回予約はとりませんでした。
とっていたとしても電車の接続が悪く時間通りにはゆけなかったでしょう。
もう一度、予約を取ってゆきたいと思いました。
ともあれ、仲麻呂が、この世に残した形あるものを見ることができて良かった。
 

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巨勢寺塔跡、正福寺、阿吽寺(奈良県御所市)

巨勢氏の氏寺として、巨勢寺は686年に天武天皇の病気平癒を祈願していることが、記録に残っています。
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寺は鎌倉時代に廃絶してしまったようです
塔の心柱の礎石(心礎)が創建時の場所にそのまま残っています
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中央に深さ6cmの仏舎利を収めた舎利孔があります
さらに3重の溝があり、筋状の溝を伝って側面の穴から排水できるようになっています。
とても丁寧に作られた点でとても珍しい心礎です。
柱の太さは88cmある大きなものです。
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私と比べるとその大きさがわかると思います。
素晴らしい心礎です。

舎利孔には仏舎利はなく、主のカエルが2匹いました。
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舎利孔の掃除のため一時退去していただきました。

塔跡には小さなお堂が建っていますが、その礎石が不釣り合いに大きく
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巨勢寺の礎石が転用されていることがわかります。

発掘調査の結果、法隆寺式伽藍であったことがわかりました
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巨勢寺の子院の流れをくむ近くの正福寺にも巨勢寺の礎石が27個残っています。
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観光客が訪れることはめったにないのでしょうが、
多くの礎石を見ると、在りし日の巨勢寺に近づいたような気になります。

同じく子院の流れをくむ阿吽寺も訪問しましたが、こちらは無住でした。
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巨勢寺塔跡には9月12日と14日の2回訪れました。

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