カテゴリー「歴史・史蹟」の303件の記事

江戸城石垣の採石場(熱海市下多賀)

江戸城の石垣は伊豆半島から運ばれました。その採石場の一つ熱海市下多賀を訪れました。(5月30日)
ここは、いわば江戸城の故郷になります。
数百メートル車で登って行きました。

今、目の前にある岩は、江戸城に運ばれることのなかった「残念石」になります。


『羽柴右近』(森忠政=森蘭丸の弟)の銘があります。



ノミで表面加工した「すだれ仕上げ」
今までお城へ運んで積み上げる前に工事現場での作業と思っていました。採石場での作業と知ったのは収穫です。


この石は、ここで欠けてしまったので、お江戸に行くことはなかったのでしょう。

有馬家の採石場であることを示す岩

「是ヨリにし 有馬玄蕃 石場 慶長十六年七月廿一日」と刻まれています。

「慶長十九年」の刻印石 徒歩でかなり上がって行ったところにあります。

(写真)青字で補った左側に刻まれています。
刻印石がゴロゴロしています。

江戸までは船で運ばれました。

嵐で一度に200艘が沈んだ記録があるそうです。落胆ぶりがわかります。

ここへ来て、江戸城の石垣の石を切り出し、運ぶことが危険で過酷な労働である事を強く感じました。

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石垣山一夜城(小田原)

秀吉が天下統一の仕上げとなった小田原攻めで築いた石垣山一夜城を訪れました。
名前は「一夜城」と伝えられますが、4万人をついやして築いた城です。




井戸曲輪です。淀殿が化粧で使った井戸との伝承ですが、千利休が点てた茶の水もこの井戸でしょう。



今も水が湧いています。

家康が関東に国替えを命じられ、伊達政宗が死装束で参陣したのもこの地です。


秀吉にとって眼下に北条方の小田原城を見、海上を含めて包囲した。

まさに高みの見物を決め込んだ得意の顔が想像されます。かたや「小田原評定」でした。
写真の星印が小田原城天守閣です。

小田原城の向こう側は『北米プレート』家康などが陣を張りました。
ここの城は『フィリピンプレート』・・・・地球規模です。

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鉢形城跡

埼玉県の寄居町に行って来ました。鉢形城歴史博物館でマンホールカード が配られています。


こじんまりした博物館ですが展示はよくまとまっています。


ただ、「撮影禁止」には違和感を感じました。禁止にする理由がわかりません。

現地に行くまで、山城かと思っていましたが、全く違っていました。

荒川を利用した堅固な城です。

土塁も立派です。


秀吉軍に、八王子城先立って攻められました。

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城陽市史跡巡り180405

4月5日は夜行バスで京都の城陽市へ行き、史跡をめぐりました。
京都駅で朝食をとらず、久津川駅へ、駅前のコンビニで、軽い食べ物を買おうと思ったら、駅の近くにコンビニはなく、古墳がすぐそばです。

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朝6時前から(芭蕉塚)古墳に行くことになりました。
 
次に車塚古墳

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城陽市の大きい古墳は、それらしき被葬者の人物イラスト看板が立っています。
続いて、平川廃寺→丸塚古墳→下大谷古墳群→
 
上大谷古墳群

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多くの古墳、古墳群を見てきましたが、芝桜で覆われたというのは初めて見ました。被葬者もまさか千数百年後に自分のお墓がこのようになるとは思わなかったでしょう。
 
芝ケ原古墳

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芝ケ原古墳は、公園になっていて、開園が午前9時からでした。古墳公園は珍しくはありませんが、入場時間があるというのはあまり経験がありません。時間調整で20分待ちました。
 
正道官衙遺跡

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この地が古代、重要な地域であることがわかります。

久世神社=久世廃寺(古墳群)

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城陽市の古墳・史跡はなかなか見どころがあります。午前中だけでしたが、朝6時前から歩き回りましたので多く見れました。午前中だけで、歩数は17000歩でした。

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畠山重忠終焉の地

横浜市の旭区役所にマンホールカード をもらおうと行ったのですが、『畠山重忠の首塚』が突然現れました。私にとっては、思いがけない史跡との巡り合いというプレゼントとなりました。時間の制約があったのですが近くを巡りました。

畠山重忠の首塚
ここで戦死した重忠の首は鎌倉へ送られて、胴体が埋葬されたとの説明です。であるならば「首塚」ではなく「胴塚」と思うのですが、




以前は南を向いていたのが今は西向きとなっている。川のほとりなので川を向いて立っていたということでしょうか。

首洗い井戸の跡
案内板だけで井戸そのものは無くなっています。



川(手前)も暗渠となっています。

六ツ塚
重忠の軍勢130騎程を埋葬した塚があります。




確かに六つあります
他に鎧橋などもあります。

伝承ですのでそれぞれがどこまで確かなのか?ですが、
この近辺一帯で行われた戦いを人々が伝え繋いできた結果です

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東京都立埋蔵文化財センター

埋蔵文化財センターには結構行ってますが、地元・東京に初めて行ってきました。
多摩センター駅のすぐ近く、駅前に立地する埋蔵文化財センターというのは珍しいです。縄文遺跡の宝庫のニュータウンの開発の歴史と重なっています。


屋外の復元住居では、焚火の実演がありました。

思った以上にに温かかった。





煙の出し口が大きく開いていますが、先だっての台風でも雨の吹き込みは無かったそです。古代人の知恵は私たちの想像を超えます。都区内の大名屋敷の発掘成果の展示もあります。
アンケートに答えてクリアファイルをいただきました。

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「鳥羽伏見の戦い」展と江戸・薩摩邸跡

京都の京セラ美術館で行われていた『維新の夜明け 鳥羽伏見の戦い150年記念展』を見てきました。(11月28日)

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大政奉還150年ということで、今年は、徳川、明治維新に関係する展覧会が多くありました。京都国立博物館でも鳥羽伏見の戦いの展覧会がありました。そこに出品された資料もありましたが、今回の展覧会の方が資料も多く良かった。171204a2
鳥羽伏見の戦いから明治維新の戦い・戊辰戦争が始まりました。
その鳥羽伏見の戦いに先立って、江戸では、庄内藩などによる薩摩藩邸焼き討ち事件が起きました。薩摩藩の挑発にのってしまった事件です。

焼き討ちにあった薩摩藩邸跡
現在は銀行の広場になっています。

案内看板で現在と往時の対比が出来ます

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椅子は、藩邸にあった石を加工しています

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モニュメントには旧藩邸の間取り図があしらわれています

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焼き討ちから半年もたたないうちに江戸攻撃を前にした西郷ー勝の会談が行われました。焼き討ちされたところからは10分とかからない場所です

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時の流れの速さを実感します。

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斑鳩周遊 補足

若草伽藍
法隆寺の若草伽藍(法隆寺の創建時の遺跡)を見たかったので、旅行前に調べたのですが、公開されていなさそうでした。あきらめられなくて大宝蔵院で、『若草伽藍は公開されていないのですか?』と聞いたのですが、申し訳なさそうに「すいません、公開されていません。」と。

仕方なく近くの塀まで行きました。この塀も重要文化財です。

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「この塀の向こう、数メートルの所に礎石がある。」

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今、私が立っている所も塔跡の一角だ!」と自分自身を納得させました。
流転の礎石です。

藤の木古墳
ガイダンス施設は珍しく月曜日は休館でなかったのですが、なんと臨時休館!出土品は橿原考古研究所で見てますので、ショック度は大きくはありませんでした

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見学者用扉に近づくとセンサーで石室内の照明が点きます。夕方に再度訪れた時は、ガラスに露がついていました。結露する前に訪れた方が良いです。
斑鳩のいくつかの古墳を巡りましたが、どれも破壊が進んで、見るべきものはありませんでした。

富郷陵墓参考地

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山背大兄王の墓の伝承地として、宮内庁が指定してますが、
ほとんど信用できないので、近くまでは行きませんでした

三井瓦窯跡

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法輪寺、法起寺の瓦を焼いた窯跡です。
古代の瓦窯がこのような形で残っているのは初めて見ました

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斑鳩の里 三塔

斑鳩の里の三塔

法隆寺の五重の塔


五重の塔として日本最古です
初層の塑像群が圧巻です。
塑像の1つを奈良国立博物館で真近に見ることができました。

法起寺の三重塔
三重塔として日本最古です。
見上げた姿が美しい



手前の塔心礎にに写った相輪がいいです

法輪寺の塔は
落雷で消失した後の昭和の再建です


再建と知っていたので興味が少し低かったのですが
消失した段階で国宝でもなくなったので
再建は自力のみで行ったそうです。大変な苦労です。
新しいだけに風鐸が鳴るという
魅力があるそうです。聴いててみたい。


それぞれ塔ももちろんですが、仏像が素晴らしかった。

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万葉集と古今集のもみじ

今回の旅行は、テーマは「もみじ」でした。
今は、もみじは紅葉と書きますが、それは古今和歌集以降の事で、その前の万葉集では黄葉と書いている歌がほとんどです。古今集は都が京都に移ってからで、万葉集は奈良に都があった時代を多く反映しています。二つの歌集ができた間は、ほぼ100年あります。

京都で紅葉を見て、1時間で奈良に移動して黄葉を見ることは、100年を1時間でタイムスリップできるということです。それを体感するのが今回の旅行の目的でした。奈良は斑鳩へ行きました。・・・・・明日香や吉野、山の辺の道へ行けばもっと良かったのかもしれませんが、体感という事では合格点はつけられました。

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出来れば来年もこの時期に行ってみたい。

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