カテゴリー「歴史・史蹟」の398件の記事

熊野大社

6月の山陰旅行に行くまでは、島根県に熊野大社があるとは知りませんでした。
旅行では、古代氏族の出雲氏が、政治権力を奪われて、出雲国のはずれの杵築大社(明治以降に出雲大社と称する)の神官に閉じ込められた歴史を知りました。

その後、古代出雲について調べてゆくと、出雲に熊野大社があることがわかりました。
最初は和歌山にある熊野(本宮)大社の末社ぐらいに思っていたのですが、
熊野神社ではなく熊野大社です。そして和歌山の熊野大社とは全く別だということがわかりました。
全国にある「熊野」を冠した神社の多くは和歌山の熊野大社の系統だと思います。
出雲の熊野大社は、古代においては杵築大社(出雲大社)より社格が上で、出雲のトップに位置する神社です。知名度とは別に現在も熊野大社は出雲国の一の宮です。
出雲大社の神官に閉じ込められた出雲氏の中央からの追われ方がさらに厳しいものだったと知りました。

出雲国の様相がだんだん見えてきました。

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出雲大社

明治になってから出雲大社(いずもおおやしろ)と改称しましたが、伝統的には杵築(きずき)大社と号していました。
今回の旅行で、実は3回行きました。
1回目は6月25日 すぐ近くの古代出雲歴史博物館で2時間の見学の後、
「博物館が6時までやっているならと、5時半に行ったのですが閉まっていました。
2回目は翌26日、4時20分ごろ行きました。
目指す宝物館は4時30分で閉館で、御朱印だけいただいて他へ回りました。

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3回目が27日。ようやく境内を周れました。

最初の日に行った歴史博物館で
発掘された鎌倉時代の本殿の柱が展示されていました。
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本殿の高さは50メートル程であったという伝承があり、
荒唐無稽と思われていたのが、柱が発掘され、現実味を帯びてきました。

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これは宇豆柱(うずばしら)の本物で、心柱はレプリカでした。
本物は、出雲大社の神宝館にあるとの説明です。
信心深くない私がこだわったのは、心柱の本物を見たいという欲求です。

神祐殿=神宝館
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(館内は写真撮影禁止です)
こだわった結果ようやく見ることができました。

社殿をようやく巡ることができました。

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主神は西を向いているということで、西側からも拝むようになっています。
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私の関心事は、鎌倉時代の本殿のあった場所です。
旧本殿は、現在の八足門と重なる位置にあり、目印があります。
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大きさが実感できます。
この跡の表示を見るのには時間の制約はありません。




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日御碕(ひのみさき)神社 出雲市

出雲大社から車で30分ほどの所にあります。
海岸縁にあると思って行ったら、最初は森の中に見えました。

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ここから降りてゆくことになります。

下の宮である日沉宮(ひしずみのみや) は、伊勢神宮が 「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」)との神勅により祀ったのが始まりと言われています。
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素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る上の宮もあります。

100メートルほど海上に
経島(ふみしま)があります。
神域で神職以外の立ち入りはできません。
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昼を守るとされた天照大神が祀られています。
東の伊勢神宮に対して西の日御碕神社なのだと思うのですが
ここに伊勢の天照大神というのは、私の理解を超えます。

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猪目(いのめ)洞窟遺跡 出雲市

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出雲国風土記に
「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書かれ、「夢の中でこの洞窟へ行くのを見たならば、必ず死んでしまう。ここは昔から黄泉の坂、黄泉の穴と呼んでいる」と記されています。この洞窟がここ、猪目洞窟と言われています。
そのために、心霊スポットとか、逆にパワースポットと言われますが、私自身は、何とかスポットというのを全く信じません。ただ、古代の人がそのように思った場所はどのようなところなのかに関心はありました。

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奥まで行きましたが、それほど奥行きはありません。
縄文から古墳時代までの遺物と
弥生から古墳時代の人骨が発掘されています。

出土品の一部が、出雲弥生の森博物館で展示されています。
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出土品の中には、農具などもあります。
埋葬地も含め生活の舞台となった洞窟と思われます。

現状は、船の保管場所
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説明板には雨合羽がかけられています。

洞窟の前を道路が通っています。
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道路開通前です。
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風土記が上辞された時は、この洞窟は墓地の役目を持っていました。
そしてここへ徒歩で来ることはできなかったものと思われます。
舟で亡骸をここへ運んできたのでしょうから
まさに黄泉の国へ送ると実感されたのでしょう。

遺跡として貴重で、国の指定史跡になっています。
(訪問日6月26日)

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夏見廃寺(昌福寺)三重県名張市 奈良旅行202306

足を延ばしてちょっとだけ県境を越えました

初代斎王の大来皇女が建立した昌福寺の跡と推定されています
大来皇女は悲劇の大津皇子の姉です
この地を訪れた理由がここにあります
展示館があります
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金堂内部の復元
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仏像はなく、塼仏(せんぶつ)がその代わりとなっています
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京都大学総合博物館に出土品が展示されています
(展示館は撮影禁止となっています)

寺跡
展示館の方に案内してもらいました
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金堂の階段
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河原石で作られています

塔跡
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本来からある礎石は6個です
心礎
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心柱の礎石の心礎は、本来のものです
心礎さえ本来のものであれば良しです

夏見廃寺の帰りに
脇本遺跡に寄りました
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脇本遺跡は雄略天皇の宮跡ですが
天武朝の建物跡も発見されました
この建物が斎王の大来皇女に関する建物です
現在は埋め戻されています
この地から畝傍山が見えます
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大来皇女が見た景色がそこにあります



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奈良大和路ポスター 奈良旅行202306

以前から欲しかった奈良大和路のポスターを
今回の旅行で3枚買いました。
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B1サイズ 縦1メートルの大判です。
前回の奈良旅行で買おうと思いケースを持って行ったのですが、
往きの新幹線にそのケースを忘れてしまいました。

今回けーすは持って行かなかったのですが、
雨対策を十分にして持ち帰り、今日額装しました。

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毛原廃寺跡

三重県境に近い山中にある廃寺跡です。
ともかく山の中です。
天平年間初頭の創建と見られ、
「文献に名前を残していない幻の大寺」ということのようです。
藤原京から伊勢への街道が
都が藤原京から平城京に遷都後に伊勢道のバイパスに建てられた寺と見る可能性が強いです。
赤丸が毛原廃寺跡
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唐招提寺に匹敵する可能性がある寺が幻というのはいかがなものでしょう
文献に名を残す「竹渓山寺」と指摘する説があります。
木簡等で直接の出土品はありませんが可能性は高いと思います
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金堂跡
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こんなにおおきな礎石を残している寺が、
幻の寺というのは、やはり実感としてあり得ないです

食堂?かといわれています
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この礎石昭和初期に運び出されていました。
昭和49年に返還されました。
もとの位置が判明しないのでまとめて置かれています。

国の指定となる前に、発見された瓦をご近所の方に見せてもらいました
さらに持ってみました。
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普通は博物館で眺めるだけですので、貴重な経験です。
あらためて「重い!」と感じました。
柱を頑丈に作らないと持たないな。と実感しました。
(訪問日6月13日)

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薬師寺東塔・西塔 特別公開 奈良旅行202306

薬師寺には4か月前に訪れています。
その時は、修理が最終段階でした。
そして今回(6月15日)は修理が終了し特別公開でした。
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朝一番ということもあって、すいていました。

東塔
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ちょっとびっくっり
いきなり迎えてくれた彫像
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釈迦の生涯の大きな彫像が4面が据えられていました
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塔の初層として、本来の型なのでしょうが、
解体修理前の特別公開の時も訪れて
心柱を見ていましたので、
今回は心柱も四天柱も見えません。
私の関心とするところからするとちょっと残念です。

西塔は近代の再建ですので、同じ様式ですが受け入れられましたが、

大津皇子の鎮魂のための竜王社を訪れました。
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前回、やはり大津皇子を鎮魂する若宮社を訪れながら
竜王社は、訪れそこなっていました。
竜王社の前から撮った写真
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龍王社は回廊の外側にあります。(若宮社も同様です)

玄奘三蔵院の平山郁夫筆の壁画も公開されていました
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想像より大きくて、迫力がありました。

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大阪によって帰宅

昨日のうちに大阪に移動しました。そして今日、帰宅しました。
昨日もそうでしたが、「嫁さんが行きたい」というリクエストです。
私としては何回か行った史蹟です。

大阪歴史博物館→難波宮跡→四天王寺→真田幸村最期の地

大阪歴史博物館から見た難波宮跡
風景は変わっていません。
ただ、あらためて大阪の中心部にこれだけの土地を確保して保存した
先人に敬意を表したいです。
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奈良市

奈良に来たら鹿さんにご挨拶しないと、何となく落ち着かない気分になります。結果的には雨にはならなかったのですが、1日バス券で廻りました。

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薬師寺(東西両塔初層特別公開)→法華寺→海龍王寺→奈良公園

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