カテゴリー「書籍・雑誌」の28件の記事

『阿修羅像のひみつ』 朝日選書

興福寺の阿修羅像がCTスキャナにかけられて調査されたことは、新聞などで知っていました。その一般向けの「報告書」です。


この調査のポイントとして、第一に健康診断、第二にどのような技術で制作されたのかを知る、第三に制作時の秘密を知る。をあげています。
スキャンから3Dプリンターで複製を制作して検証してます。釘も実際に作って検討しています。「お顔も造仏当時と違っている」となると、早くページを繰りたくなりました。
一番前の腕がきちっと正面に来ていないので、明治期の修理は「下手な修復だった。」と、思っていたのですが、『苦心の結果』であったことを知りました。そして、正面にきていないことから「合掌ではなく、何か物を持っていたのではないか?」との見方もありましたが、『合掌』をしていたことが内部構造から明らかになりました。
科学捜査の推理小説を読むような「謎解きのワクワク感」がありました。
あの『阿修羅展」から8年経っているのですね。その後1回興福寺で阿修羅像にお会いしています。阿修羅像の強い印象は褪せることはありません。



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『武士の日本史』岩波新書

武士に関する通史です。
武士の発生について「武士という芸能人」からの書き出しには「呆気にとられました。」しかし、決して奇をてらったわけではなく、大変勉強になりました。
現代の私たちの「武士像」は、武士が『武を使わなくなり行財政マンとなった江戸時代後半」の武士像が反映されているとし、そうした視点で戦国時代までの武士を見ては理解できないとします。さらに、太平洋戦争における東条英機が作った「捕虜は恥」とした戦陣訓は、本来の武士の教えではない」とし、現代における問題まで触れています。
目から鱗の本です。お薦めです。

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『斗南藩』読了

斗南藩と聞いてもピンとこない人が多いのでしょうが、明治維新の戦いで敗れた会津藩が23万石から下北半島の地にわずか3万石となって成立しました。厳しい自然環境のなか、移住した1万数千人が塗炭の苦しみを味わいました。
小学校の修学旅行で行くなどした経験から会津には関心と同情心がありました。

この本で、どんな過酷な環境であったかを詳しく知ることができました。さらに同情する一方で、違和感も感じるようになりました。
本書の根底に流れているのは、薩長に対する骨髄にしみる恨みつらみです。その一方で、悲惨な運命に導いた藩主の松平容保には「ただもう感涙あるのみ」です。ひどい目にあわされた藩士の代弁ではあっても、歴史書としての冷静さに欠ける記述に残念な思いを感じました。
恨みつらみも「武士として」であって、会津藩の領民が視野に入っていません。新しい国を作るという視点もありません。維新の敗者となった一端が何かを感じました。

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『不死身の特攻兵』読了

特攻兵に指名され、9回出撃して9回帰ってきた佐々木友次さんに取材した鴻上尚史氏の著作です。
特攻隊には以前から関心を持っていました。いかに戦争と言えども、死を前提とした「攻撃」を考えて実行した事を、私は我が民族の重大な欠点(欠陥)が表れたと思っています。
特攻兵で帰還した兵士を世間から隔離した施設「振武寮」の存在も本で知っていましたが、佐々木友次さんの存在は知りませんでした。(佐々木さんは戦地に置き去りにされ振武寮には入っていません)
何年も前になりますが、特攻隊出撃基地の知覧に行き、[知覧特攻平和会館]で特攻兵の遺書、遺品に涙しました。ただし、この会館で違和感も感じました。(私が行った時点です。今現在はわかりませんが)この攻撃を発案し、命令した責任に触れられていなかったのです。特攻は、戦果を期待するより「死ぬ覚悟をみせろ、そしてそれを行え!」と言う、戦術より精神論に重きがおかれました。多くの尊い犠牲と、他方、命令した人間の多くが戦後を社会的地位を得てのうのうと生きました。

日本人の欠点を見つめ直し続ける再度のきっかけになりました。お奨めしたい本です。

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「海の向こうから見た倭国」読了

私が歴史を教わっていたころは、「任那日本府」と教科書に載っていたのですが、近頃の教科書からは、その記述は消えつつあるそうです。
そのようになった研究の動向が書かれている本です。

弥生時代から古墳時代の遺跡、古墳の日本と朝鮮半島・南部の比較、研究の成果をもとにしています。「研究がここまで進んでいたのか」との率直な感想を持ちました。
日本独自の古墳とされた「前方後円墳」が朝鮮半島でも発見されて、日本の影響があることはその通りとしても、長期間にわたる一円支配とは認められない。ということから「任那日本府」なるものが存在したとは認めがたい。となった事が理解できます。

私が韓国にはじめて行ったのは40年ほど前です。百済の都・扶余や新羅の都慶州をおとずれました。とても良い印象を持っていました。
この本を読んで、半島の伽耶と呼ばれた地域を訪ねたいと思いましたが、近年の韓国には、親しみを感じません。残念な心持ちです。

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『鏡が語る古代史』読了

古墳時代に欠かせない銅鏡。国内の「伝世」の問題、卑弥呼がもらった鏡は?と言ったことに関心が集中してしまっていました。この本は、中国での銅鏡の歴史について書かれていますので、中国の事情については知識が少なかったので興味を持って読みました。
銅鏡の銘文を丹念に解説してゆきますので、久しぶりに漢文の勉強をした気持ちになりました。銅鏡の銘文を読んでみたいという気持ちになります。
手元にあった銅鏡の写真の解読を試みました。

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この銅鏡の部分です。

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読んでみました。
やはり難しいですが、このように読んでみました。

吾作月竟 幽涷三商

吾れ明鏡を作るに 三商を幽錬す

『私は、この素晴らしい鏡を作るにあたって、三種類の金属を密かに精錬した。』

どこを手掛かりに読むかです。ぐるっと円周に沿って書かれていますので、『竟=鏡』が手掛かりです。文字の一部で省略したり、音を借りて他の文字で表わしたりするので難しいです。定型で始まっているので何とかなりました。

銅鏡が作られはじめたのは、紀元前2000年ごろです。卑弥呼が中国からもらう2000年ほど前です。勿論それ以前に日本には入ってきていました。
銅鏡は、化粧道具として、魔よけとして使われたこと、鏡の価格が下級官吏の給与でも十分買えた価格であること。つまり商品として販売されていたことです。ちなみに鏡に価格が明示されているのは1例のみだそうです。

訪れた古墳から出土した例が多く出てきたことも、読んでいて楽しかった。

三角縁神獣鏡については、“いわば特注の中国製”説をとっています。論考については説得力がありますが、確定には、成分分析などの科学的知見が必要なのだろうと思います。

古代銅鏡を見る楽しみが増えました。それをこの本が教えてくれました。

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『古墳の古代史 -東アジアの中の日本』 読了

日本、朝鮮、中国における古代墳墓の共通性と地域の独自性についての好著です。特に印象に残った点を二点あげます。

古代、中国から輸入され、古墳に大量に副葬された鏡

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権力の関係がどうのということに関心がいってましたが、この鏡の輸入と引き換えに輸出されていた品に『人間』が含まれていたことを知り、輸出された人間に思いが至り、私の「鏡を見る」目が今までとは変わりました。

もう一点は、日本の前方後円墳の形の由来です。
「壺形土器をかたどった」という説を、NHKの歴史秘話ヒストリアで紹介していましたが、『ばかばかしい説』と思っていました。

この著書では、“「弥生時代の円形周溝墓に起源があり、円丘墓に付けられた陸橋部分が後方部の起源になった。」のは考古学界の通説になっている。”
もう通説になっているんだ!という驚きがありました。

円形周溝墓とは、土まんじゅうを作る時周りを掘るのですがその溝が360ではなく一カ所土まんじゅうに行く部分をのこす。(その部分を陸橋と表現しています)

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どこからが著者の独自の論なのかは良くわからない点はありますが、古墳に関する最新知識が得られました。
(森下章司著)

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“ここまで変わった日本史教科書”

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“ここまで変わった日本史教科書”吉川弘文館社刊を読了しました。

『士農工商』『百姓は生かさぬよう殺さぬように』
こうした言葉は、今の教科書には載っていないそうです。

大塩平八郎に対する評価が低くなっているなど、少なからずショックを受けた部分もあります。

今話題になっている、「聖徳太子」「鎖国」という表現が復活するそうですが、この本では、1年半前の発行ですが、「教科書から『聖徳太子』『鎖国』が消えつつある」となっています。変わり方が早いです。
しかし、幕末に『開国』を教えるので『鎖国』の語がないと教えづらい。という理由から『鎖国』が復活というのはいけないです。
『聖徳太子』の復活もいかがかな?日頃のお札で「聖徳太子」でなじんでいるからなのか?

興味深く読みましたが、著者3人は、教科書検定官(正確には調査官)です。検定の正当性が色濃く出ています。当然、申請者側の目線がありません。その点についてはちょっと距離をとりたい本ではありました。

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鎖国も聖徳太子も消える

学習指導要領の改定で「鎖国」や「聖徳太子」が教科書から消えるそうです。

実態は、すでに鎖国も聖徳太子も教科書からはほぼ消えているようです。あちこちの本から私自身が勉強した頃と日本史の教科書が変わっていることは知っていましたが、網羅的に書かれた本を今読んでいます。

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2,3年前に高校の現職の日本史の先生から「聖徳太子はいなかった。」と聞いてびっくりしました。「厨戸王を脚色して聖徳太子とした」と穏当な表現でいってくれればそれほど驚かなかったのですが・・・・・。学習指導要領は、現在の学問水準と、それを反映した教科書を追認する形です。

「鎌倉幕府は蒙古襲来が原因で滅びた。」これも訂正されているようです。ちょうど読了した『鎌倉幕府と朝廷』で私も知りました。

170214a3鎌倉時代は「訴訟多発の時代」という印象です。「相続に見合う土地がなかったことが、幕府滅亡の要因だ」というのです。『一所懸命』がさらにリアルに響いてきます。ただし、訴訟関係の文書が多く残っているということも顧慮しなければならないでしょう。

私達が300年前の事についての言い伝えを書いても歴史になりませんが、例えば、700年に起こった出来事を300年後の1000年に書いたら歴史になってしまうことがあり得ます。
歴史は動いている。そんな感想を持ちます。

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「人間・始皇帝」読了

始皇帝は史記に書かれていて、今さら「人間・始皇帝」もあるまい。新発見があったとも聞いていないので、どう展開するのだろう?と、読む前は懐疑的に思っていました。
読んでなるほどと思ったのは、「史記」などの後世の文献資料を、同時代の墳墓などから出土した竹簡などの考古資料で修正しているということで合点が行きました。
ちょうど、「記紀」といった後世の文献資料ではわからなかったことが、遺跡から出土した同時代の木簡で明らかになる。と、同じ関係であるということです。

当然ですが、中国の人名、地名で地図ともにらめっこで、読むのに時間がかかりました。ですが、面白かった。

本筋とは関係ないのですが、『首』という文字と『頭』という文字の成り立ちの関係です。『頭』は偏と旁です。「敵の武将の首をとる」と言った場合は、文字通り「首」だけをとるのではなく、首から上の頭をとることです。『首』という文字は、首+顔+頭から成り立っていることを、あらためて知りました。「首をとる」とは「頭をとる」ということです。
本文に書かれていた、この時代の凄惨な処刑の例で「首という文字の成り立ち」に関心が向きました。

始皇帝の二代目が、お馬鹿さんで、「馬を見て鹿と言った」故事から『馬鹿』という言葉が生まれたと思っていたのですが、二代目は決して「馬鹿」ではなく、若き二代目が権力を持った首相に逆らって「馬」を「鹿」といえなかったことを知りました。おくらばせながら知って良かった。

また、西安に行って見たくなりました。

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