カテゴリー「書籍・雑誌」の20件の記事

鎖国も聖徳太子も消える

学習指導要領の改定で「鎖国」や「聖徳太子」が教科書から消えるそうです。

実態は、すでに鎖国も聖徳太子も教科書からはほぼ消えているようです。あちこちの本から私自身が勉強した頃と日本史の教科書が変わっていることは知っていましたが、網羅的に書かれた本を今読んでいます。

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2,3年前に高校の現職の日本史の先生から「聖徳太子はいなかった。」と聞いてびっくりしました。「厨戸王を脚色して聖徳太子とした」と穏当な表現でいってくれればそれほど驚かなかったのですが・・・・・。学習指導要領は、現在の学問水準と、それを反映した教科書を追認する形です。

「鎌倉幕府は蒙古襲来が原因で滅びた。」これも訂正されているようです。ちょうど読了した『鎌倉幕府と朝廷』で私も知りました。

170214a3鎌倉時代は「訴訟多発の時代」という印象です。「相続に見合う土地がなかったことが、幕府滅亡の要因だ」というのです。『一所懸命』がさらにリアルに響いてきます。ただし、訴訟関係の文書が多く残っているということも顧慮しなければならないでしょう。

私達が300年前の事についての言い伝えを書いても歴史になりませんが、例えば、700年に起こった出来事を300年後の1000年に書いたら歴史になってしまうことがあり得ます。
歴史は動いている。そんな感想を持ちます。

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「人間・始皇帝」読了

始皇帝は史記に書かれていて、今さら「人間・始皇帝」もあるまい。新発見があったとも聞いていないので、どう展開するのだろう?と、読む前は懐疑的に思っていました。
読んでなるほどと思ったのは、「史記」などの後世の文献資料を、同時代の墳墓などから出土した竹簡などの考古資料で修正しているということで合点が行きました。
ちょうど、「記紀」といった後世の文献資料ではわからなかったことが、遺跡から出土した同時代の木簡で明らかになる。と、同じ関係であるということです。

当然ですが、中国の人名、地名で地図ともにらめっこで、読むのに時間がかかりました。ですが、面白かった。

本筋とは関係ないのですが、『首』という文字と『頭』という文字の成り立ちの関係です。『頭』は偏と旁です。「敵の武将の首をとる」と言った場合は、文字通り「首」だけをとるのではなく、首から上の頭をとることです。『首』という文字は、首+顔+頭から成り立っていることを、あらためて知りました。「首をとる」とは「頭をとる」ということです。
本文に書かれていた、この時代の凄惨な処刑の例で「首という文字の成り立ち」に関心が向きました。

始皇帝の二代目が、お馬鹿さんで、「馬を見て鹿と言った」故事から『馬鹿』という言葉が生まれたと思っていたのですが、二代目は決して「馬鹿」ではなく、若き二代目が権力を持った首相に逆らって「馬」を「鹿」といえなかったことを知りました。おくらばせながら知って良かった。

また、西安に行って見たくなりました。

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「風土記の世界」三浦佑之著 読了

本著は、風土記に語られている内容そのものの解説ではありません。勿論個別の物語の理解についても述べられていますが、むしろ日本書紀、古事記、風土記の位置づけ、関連を軸に述べています。それぞれの政治的背景(中央と諸国の関係)を浮かび上がさせることで、より理解を深めようと企図しています。その糸口ぐらいは理解できたかと思っています。

読み終えて、筆者の「風土記の多くが失われているが、残っていたなら古代世界が大きく広がっていただろうに、残念だ」との思いに共感しました。今後の研究の深化に期待を寄せます。

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久し振りに読んだ「暮らしの手帳」

NHKの朝ドラの『とと姉ちゃん』の大ファンになっています。
思い立って「暮らしの手帳83号」を買って読みました。第1号の抜粋復刻版が付録です。

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「久し振りに読んだ。」と言っても、今まで、まともに買って読んだ記憶はありません。“消費者テストの雑誌”程度に思っていて立ち読みしたぐらいだったと思います。

ドラマで「豊かな暮らしがあれば、その暮らしを守ろうとする。それを壊そうとする戦争は起こさない!少しでも暮らしを豊かにしよう。」とのこの雑誌の思想に心を動かされました。

雑誌を読んでみてそうした思想が、記事の随所に感じられました。記事の多くは男性にとっては、あまり関心のない『衣食』が中心ですがエッセイなどの共感する読み物もあります。
今でも、広告は載せていません。応援したくなる雑誌です。

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“江戸大名お家滅亡”読了

“大江戸御家相続”山本博文著に続いて、江戸時代の家督相続についての本です。

こちらは、「歴史REAL編集部」編です。軽いタッチで、ささっと読み終えました。

山本さんの本は、その時代の「御家相続への考え方」が背景として述べられていますが、こちらは事実関係の紹介と言った趣です。史蹟案内として読めました。

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『大江戸御家相続』読了

江戸時代の将軍家を中心として家督相続の様相を述べています。面白く読みました。

名古屋市博物館に行った時、学芸員に質問したことがあります。
「尾張藩は、徳川御三家の筆頭であるにもかかわらず、明治維新の時に、薩長の新政府に抗することがなかったのは、なぜですか?」と質問したことがあります。尾張藩の動きが、官軍が抵抗を受けずに江戸へ入城できた決定的な要因でしたから、是非お聞きしたいと思っていました。答えは「尾張藩は、勤王を旨としていましたから。」でしたが、しっくりきませんでした。

この本を読んで、その答えがわかりました。
江戸時代は280年続きました。明治維新の時には多くの大名は、すでに藩祖の血筋を繋いではいませんでした。将軍家や御三家も例外ではありません。幕末尾張藩も水戸家の血筋です。そして養子に迎えられた先の「お家大事」が基本行動になった事を理解すると、幕末の尾張藩はじめ、各藩の動きが理解できます。

著者・山本博文さんの本は、いつも楽しく読まさせてもらっています。

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“蘇我氏-古代豪族の攻防” 倉本一宏著

“蘇我氏の古代”吉村武彦著に続いての古代豪族・蘇我氏に関する本でした。2冊続けて読みましたので、蘇我氏への理解が増しました。もう一冊蘇我関連本が出ています。重なって出版されたのは偶然なのか?それとも何か契機があったのでしょうか?

大阪・羽曳野市それに太子町もまわってきました。そこが蘇我氏の一族である石川氏の本拠だとこの本で知りました。河内の石川がこの地であると意識して、旅行しなかったことが悔やまれます。
ですが、奈良・葛城地区への旅行の楽しみが増えました。今年中に行ければ良いのですが。

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“蘇我氏の古代”吉村武彦著

岩波新書の“蘇我氏の古代”を読み終えました。とても面白かった。
今まで奈良・明日香を何回も訪れています。次は「葛城氏」の地を訪れたいと思っていますが、私にとって葛城氏は、今一つスッキリしない、イメージも湧いてこない、のです。

本書は書名の通り“蘇我氏”を取り上げているのですが、まず、“氏(うじ)”を取り上げて、次に葛城氏を取り上げています。少し葛城氏がイメージできるようになりました。“名負いの氏”という視点が新鮮でした。

そこから蘇我氏について述べられています。長年しっくりこなかったことで、蘇我氏滅亡のクーデターの時、蘇我宗家を倒した側に蘇我一族がいたことの状況も理解できました。
この本は、蘇我氏のみならず藤原氏が奈良朝以降の権力掌握過程まで追っています。藤原氏との対比で蘇我氏のありようを浮かび上がらせていますが、結果的に葛城氏から藤原氏までの変遷を述べ、大河ドラマを見るような本になっています。

“貴族”の語源も知りました。良書です。

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『源頼政と木曽義仲』中公新書

平家全盛の世を数少ない源氏の頼政が生きぬいたのか?興味をズーッと持っていました。

平清盛は権勢を誇りながら「源平並立」の型にメリットを認めたところに頼政の存在を必要とした。以仁王の「平家打倒の令旨」に応え反旗を翻したのは、計画的ではなかった。等、挙兵に至る様相がわかりました。長年モヤモヤしていたものが晴れました。

昨年暮れに、宇治平等院で頼政の墓と自刃した場所の“扇の芝”に参った事もあり、私にはタイムリーな出版でした。

本の後半の木曽義仲については、良く知られていますので目新しい内容はありませんでした。前半の源頼政についての記述だけでも読む価値があると思います。

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『夢魂の人』高野長英私論を読了

奥州市水沢にある高野長英記念館で買い求めた千田捷煕著『夢魂の人』-高野長英私論-を読了しました。

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高野長英の手紙など江戸時代の文章の引用を丁寧に読み進めましたので、小説と違って読み進むスピードは遅く20日ほどかかりました。
あらためて高野長英の人となりを、この書を通じてではありますがより深く知った気がします。
私が、高野長英について持っていた知識は、「蛮社の獄に連座して投獄され、脱獄して、逃亡途中、薬品で自らの顔を焼きさらに逃亡を続けた。」と言った程度でした。この程度の知識でも「すごい人生だ」と感じていました。
吉村昭の小説『長英逃亡』に出会った時は、綿密な考証をする吉村昭が江戸時代の逃亡劇というおそらく資料がとても少ない話をどうして作品にできたのだろう?と言った長英とは別の関心もありました。秩父宮ラグビー場の行き帰りに長英の最後の地を通るというめぐり合わせが長英に対してより深く関心を持つようにもなりました。
そして今月初め、念願の長英の生誕地や記念館を訪れてきました。長英の自筆を見て感動もしました。しかし、この書を読了した今、長英の命を絞り出すような訴えを感じながら、記念館の遺墨、遺品を拝見したのか?自問し、少なからず恥ずかしい気持ちが起きています。
もう一度記念館に行きなおしたい衝動に駆られています。長英の生き様は、私に、「時代と人の生き方」を深く考えさせてくれました。

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