原作者・吉村昭は「歴史小説は、その背景となった時代の性格を裁断するという役割もになっている。方法としては、作者が表面に出て自らの解釈を明確にすることと、史実を記してその判断を読者にゆだねることの二つがある。私は、後者の立場に身をおいているが、それは多分に自分の素質にもとづくやむを得ないものだと思っている。」と語っています。前者の立場とは司馬遼太郎らを指していることは想像に難くありません。
映画では井伊直弼襲撃を冒頭部分に持ってきて、そこに至るまでの過程を時間を戻しながら、襲撃後の逃走と並行して見せる手法をとりました。時系列を無視した手法は事のあらましをわかりにくくしています。予備知識がないと理解しきれないかもしれません。
歴史的事実としての襲撃そのものの評価は別として襲撃に至る思いが伝わってきません。しかも全体として細切れの描写となっていて深みがありません。主人公が九州まで行った逃避行。さらに、最後に捕われたのが茨城から福島を通って新潟まで逃げてのことであったことなど、持病に悩みながらの苦衷が、どこまで表現できていたのか?まったくの消化不足です。
原作者は雪がいつ降り止んだのかを明らかにすることにまで執念を持っていた点は表現していましたが、淡々と事実を追ってゆくことによって時代と人物を描きあげる吉村文学はこの映画からは感じられません。
事件の理解というところでは、大名の登城行列が一種の観光になっていたことが、襲撃側の待ち伏せが怪しまれなかった理由ですが、描写が弱かった。また、襲撃現場と井伊の屋敷が100メートルほどの距離にしか見えないため、なぜ井伊の加勢が来なかったのか?という疑問を感じることになる方もいるでしょう。
時代の雰囲気が感じられ場れば細かいことは良いと思うのですが、それにしても、桜田門に【桜田門】の大きな表札がかかっていたり、薩摩のお屋敷の扉に島津の家紋が大きく描かれていたなどは、ちょっとひどすぎます。
予備知識を持ってから見に行かないと、見るのにちょっとキツイ映画かなと思います。
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歌川広重《名所江戸百景》
事件の4年ほど前に描かれた井伊家の屋敷と門。事件現場近くの上空から俯瞰した感じになっています。この浮世絵が出された時には、井伊直弼はまだ大老にはなっていません。
絵の中に描かれている門の前にある井戸は十数メートル移動してまだあります。
井伊家の屋敷跡方向から見た(外)桜田門です。
元は加藤清正邸の屋敷でした。井伊邸の後は陸軍参謀本部へ、そして現在は憲政記念館となっています。
直弼の首が捨てられた場所・・・現在ビルの工事中です。
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