カテゴリー「旅行・地域」の314件の記事

上賀茂神社、下鴨神社 奈良京都旅行201410/11

旅行の最後に上下かも神社を訪れました
豪雨の中、特別参観を優先し残念ながらゆっくりと周ることはできませんでした

上賀茂神社 正式には賀茂別雷(かもわけいかづち)神社
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特別参観は聖地に入るというので「淨掛」をつけて参拝しました
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特別参観の範囲は撮影禁止です
私が注目したのは
岩上(がんじょう) どなたも見れる場所です
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葵祭のときに、宮司が勅使と対面し、御祭文に対して神の意志を橋殿の勅使に伝える
「返祝詞」(かえしののりと)を奏上する場所
上賀茂神社で神山と並んで最も大切なところというのが私の理解です

 

下鴨神社 正式には賀茂御祖(かみみおや)神社
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境内の御手洗池
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特別参観の案内
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資料館や鴨長明の復元された廬もあったのですが
雨で断念しました。

これで今回の旅行の主要訪問地の紹介は終わりです。

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大徳寺三玄院 奈良京都旅行201410/11

大徳寺・総見院で時間切れとなってしまったのですが
大仙院にも寄りたかった
大徳寺には高校の修学旅行以来でした
当時、お庭を説明してくれた僧侶が今は住持をされているようです
またの機会を待ちましょう

総見院の帰りに三玄院の前を通りました
石田三成公のお墓があります
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去年、50年ぶりに特別公開がありましたが
お堂とお庭の公開で、お墓は非公開でした

一度でよいので、お墓参りをしたいのですが

門に掲げられていました
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「お断り!」の強い意思を感じました
残念です。いつか墓参できることを願っています。

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総見院・信長座像 奈良京都旅行201410/11

特別公開の時間が午後4時までということで
ダメかもと思いながら、息を切らせながら総見院に着きました
受付が4時締切ということで何とか参観できました
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お目当ては、信長の座像です
撮影禁止ですのでポストカードです
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信長の一周忌のために作られたもので
おそらく当人の顔かたちに一番よく似ているのでしょう

ちょっと暗くて、目を慣らしながら説明を聞きました
木造ではありますが、眼光鋭く畏怖を感じました
等身大とはいうものの、少し小さく感じました

木造が当院に帰ってきた時に載せた輿
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奥の茶室に通じる渡り廊下につるされていました

織田信長一族の墓
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信長の遺体は見つかりませんでしたので、供養塔です

他にも入り色ありましたが、信長の木像が見れたことが、一番です

30,40分ほど参観しました
帰りには拝観終了の案内が出されていました
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盧山寺とお公家さんの集団墓地 奈良京都旅行201410/11

盧山寺は紫式部の邸跡です
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道長邸跡の説明板よりはるかに立派です
道長の邸跡からは徒歩で5分程の近距離です
とはいえ門がどこにあったかで違いますし
徒歩でふらっと歩く身分ではなかったでしょう
邸の広さは月とスッポンです
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入口には大河ドラマのポスター
嫁さんは参観
私は以前に来ていますのでスルーしてお隣の墓地へ

慶光天皇陵
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正直言って、ここもどうでもよかったのです
隣接してある墓地 お公家さんの集団墓地です
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武者小路家
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正二位とかが並んでいます
名前は「藤原朝臣」
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江戸初期の天皇の皇女
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こうした墓も数基あります

墓碑にどんなに高位の位階を刻んでも・・・・・
無常です。



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京都仙洞御所 奈良京都旅行202410/11

仙洞御所とは、上皇の住まいの名称です
東京の皇居には仙洞御所はありませんでしたが
6年前に上皇が誕生して仙洞御所ができたので
それからは、仙洞御所の名称の頭に「京都」をつけたそうです

江戸時代末期の火災により建物はほとんど残っていません
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予約制ですが、当日受付(北門)が若干ありますが
紅葉の季節では早朝から列ができるそうです
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敷地内にある 大宮御所
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内部は洋風になっていて、天皇や上皇が京都に来た時の宿舎になっているそうです

我々参観者が入ったのが北門ですが
こちらは正門(内側から)
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紀貫之の邸宅跡付近
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石碑があるそうですが、石碑には案内されませんでした
この仙洞御所は、藤原道長の本邸跡ですので、紀貫之は時間軸ではその前になります

大きな池の庭は、大きさでは桂離宮をはるかにしのぎます
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素晴らしいお庭ですが
桂離宮を見てからここに来ると、見る順番が間違ったと
桂離宮の素晴らしさを改めて認識しました。





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二条城本丸御殿 奈良京都旅行202410/11

二条城には高校の修学旅行以来でした
当時は本丸は公開されていませんでした

本丸御殿特別公開を機に行ってきました
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お薦め参観コース(青線)では物足りないので
本丸も一周できるコース(赤線)に足を延ばしました
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本丸の櫓門 ちょっと変わった格好をしています
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横手(桃山門)から見た櫓門
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桃山門
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天守台
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高さはそれほど感じないのですが、眺めは良くて、行幸した天皇も感動したと思われます
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本丸御殿越しに比叡山
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西橋(裏門)
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奥に見える蔵も江戸初期です

西南蔵
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本丸御殿 玄関
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本来の御殿は焼失し、(最高級の)お公家さんの家を江戸末期に移築してきました
二の丸御殿とは雰囲気が違います
ガイドについて部屋を回りました
内部は撮影禁止となっています

グルーっと回ってみると、
二条城は、結構大きいと感じました。

 

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桂離宮 奈良京都旅行201410/11

ブルータウトに「涙が出るほど美しい」と言わしめた桂離宮
一度は見ておきたいと思っていました
一度はみておきたい=いずれ一度見ればよい ということで
訪問が遅くなりました
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予約して朝一番のグループで回りました

予想以上でした
歩く事、5メートル毎にカメラのシャッター切りたくなるほど
隙間の無い美意識であふれていました

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ここも素晴らしかった
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写真技術の至らなさで、なにが良いかわからない写真になってしまいました

紅葉はまだでした
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桂離宮と言えば、このアングルです
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紅葉の季節では予約が取りにくいようですが
季節にかかわらず、何度も訪れたい庭園です

京都の庭園と言えば寺院の庭園がメインですが趣が全く違います

売店で限定品のグッズをしっかり買い求めました
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今城塚古墳(継体天皇の墓)奈良京都旅行202410/11

継体天皇の古墳です
「天皇」の呼称は、150年の程後の飛鳥時代からですし
継体となずけられたのは200年以上たった奈良時代になってからですので
男大迹王(をほどおう)の墓と呼ぶのが本来ではあります
(宮内庁はまったく時代が異なる古墳を指定しています)

ここ、大王の古墳には自由には入れます
葬送儀礼の埴輪が、そっくり出土し復元されています
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外周の堤の上に埴輪が並べられています
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その堤の断面が展示されていますが
以前来た時になかった剥落が見えます
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墳丘本体の造り出し
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隣りの資料館は必見です
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この古墳には石棺が3体あり、その一つは九州の阿蘇から運んだ阿蘇ピンク石です
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石棺のかけらですが「朱」が塗布されているのがわかります
その後、市内で橋として使われていた石が石棺の一部であることがわかり資料館に展示されています
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古墳時代ののダイナミックな展開を示している古墳です
2回目の訪問でした。
お薦めの古墳の一つです。

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阿武山古墳(藤原鎌足の墓) 奈良京都旅行202410/11

大阪府高槻市にある阿武山古墳
通説で藤原鎌足の墓とされています(疑い無し)

京都大学地震研究所の構内にあります
入口に見学者はどうぞ、となっています
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高さ210メートルの山にあります
電動レンタサイクルで上がってきました

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石畳で四角形に囲まれています
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墳丘はありません
発見されたのは、偶然 奇跡です

古墳からは眺望がききませんが
途中の見晴台からは摂津は当然 山背、大和、河内が見渡せます
おそらく淡路島も見えるのでしょう

地図を見ると
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継体天皇の今城塚古墳を見下ろす位置にあります

継体天皇の墓が造られてからこの古墳が造られたのは140年後くらいですから
眼下の古墳が継体天皇の墓という認識はあったでしょう

奈良の談山神社に鎌足の墓とするものがあります
こちらから改葬したという伝承がありますが
考古学的には改葬したことは認められません
改葬の伝承は平安時代の書物ですから
鎌足の墓の所在がわからなくなった後
談山神社の権威付けに作られた伝承と思われます

高槻には以前に来ていますが
その後、なかなか機会がなかったのですが
ようやくかないました。

 

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聖武天皇即位1300年 (奈良京都旅行202410/11)

聖武天皇(皇太子時の名前は首〔おびと〕皇子)が即位して今年で1300年
奈良には今年はこれで3回目の訪問でしたが、
ここまで即位1300年で盛り上がっていた印象はありませんでした
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事前にネットで見ても、お目当ての遺物はどこにあるのか?はっきりしませんでした

まず、平城京跡資料館
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聖武天皇の事跡に沿って展示されています

首皇太子を示す木簡
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奈良国立博物館の展示
「大嘗祭」が記載競れた木簡
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大嘗祭は即位した天皇が行う最大の儀式です

平城京の跡は「地下の正倉院」と言われ
出土した木簡などから文献資料の作為が否定されたりしています

当時の資料から「奈良時代」がさらに身近に感じられました





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