カテゴリー「旅行・地域」の208件の記事

流人と情念 八丈島旅行

流人の中には、当然政治犯など粗暴犯とは違う人がいます。江戸時代を通して島抜けを図ったのが15件で成功は1件のみです。
流人はそれぞれ自活生活を求められました。
監視する島役所跡は草地となっていました201129a2
無実を訴え続けて流罪から7年後に断食死した慈運法印の碑201129a1
情念を感じます。しかし近くのガソリンスタンドで聞いてもわからず、
観光案内書でも首を傾げられて、ようやくたどり着けました。
島酒の碑
201129a3 八丈島で焼酎を作るようになったのは薩摩出身の流罪人(密貿易)が伝えたことに始まります。江戸時代末期碑そのものは昭和になってつくられました。この碑がある神社は小高い丘で噴火口跡です。
このパンフは便利です。観光案内書で質問した時にもらいました。
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宇喜多秀家と豪姫(前田利家の娘)夫婦の像 201129c1 岡山築城400年を記念して平成9年に建てられました。豪姫は流されてきていませんが、2人を逢わせましょう。とのことです。

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宇喜多秀家屋敷跡 八丈島旅行

屋敷跡の情報があまりなかったので、お墓に先に行ったのですが、
屋敷跡は駐車場(私有地)もあり、お墓の近く(徒歩1~2分)ですのでこちらに先に行くことをお勧めします。
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『宇喜多秀家住所跡』『御菩提の 多子や植介ん 此寺に みのり乃秋曽 久しかる遍き』の秀家の和歌が刻まれています。
ここにも供養の岡山城の礎石が飾ってあります。
201128a2 後ろの蘇鉄は秀家お手植えだそうですが、大きさから推察すると何代目かなのでしょう。
屋敷跡の後背地に比べると敷地は3メートルほど高いので、悪い立地ではありません。
201128a3 敷地から見える八丈富士が少しは慰めになったのか?しかし50年の流罪生活はあまりにも長すぎます。
村田家住居跡
201128a5 秀家に随行してきた医師の村田道珍斎の住居跡ですが、掲示板はありません。
秀家一行が上陸した地点にも向かいましたが、港湾工事のため近くまで行ってあきらめました。
終焉の地は、2説あるそうです。一ヶ所はお墓の道路を挟んだ向かい側です。

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宇喜多秀家のお墓 八丈島旅行

八丈島への旅行の最大目的は、宇喜多秀家の足跡をたどることでした。
関ヶ原合戦で西軍の主力として戦い、関ヶ原の武将で最も長生きをし、徳川家光よりも長生きをしました。
岡山57万石の大名から、敗軍の将そして流人として生涯を終える。誠実な生きざまと不撓不屈の信念に惹かれます。
墓所は秀家の墓を中心に家族と子孫のお墓が囲んでいます。201127a1_20201204000701
子孫がおられますので花が供えられています。中央の五輪塔の墓は天保12年にたてられたものです。その左にある塔婆型のお墓が元来のお墓です。
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『南無阿弥陀仏』と刻んであるそうですが、読み取れません。201127a3_20201204000701
この時点では戒名が許されなかったのかもしれません。
供養のためでしょう!近年、岡山城の礎石が備えられています。
201127a-2 「浮田」姓のお墓があります。『中納言秀家』をしのぶ墓碑銘が建てられていました。201127a5_20201204000701 無念さが伝わってきます。
宇喜多ではなく、浮田と名のったのは徳川幕府のに遠慮したからという話も聞きますが、これはちょっと事実とは違うと思います。命日になると岡山からお墓参りの人々がやってくるそうです。

 

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八丈富士お鉢ち巡り 八丈島旅行

26日~29日まで八丈島へ行ってました。レンタカーで2日と半日かけて島内をめぐりました。
これだけ廻ると道路もあらかた覚え、カーナビも必要なくなりました。
27日は八丈富士の火口巡りをしました。201127a5
7合目までレンタカーで行き、そこからトレッキングです。30分ほどで火口に着きました。201127a4 すり鉢状になっていると想像していたのですが火口の中はこんもり森になっていて小さな池がありました。
時計回りで山頂までは15分ほどで着きます。5201127ajpg
がけっぷちを行きますので高所恐怖症の人には怖いかもしれません。201127a3 360度眺望は最高です。北側に回り込んだらさらに深い火口が口を開けていました。201127a2 お鉢巡りは約1時間。ちょっと怖かったけど気持ち良い時間でした。日ごろの運動不足のせいで翌日から筋肉痛でした。

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万葉集と古今集のもみじ

今回の旅行は、テーマは「もみじ」でした。
今は、もみじは紅葉と書きますが、それは古今和歌集以降の事で、その前の万葉集では黄葉と書いている歌がほとんどです。古今集は都が京都に移ってからで、万葉集は奈良に都があった時代を多く反映しています。二つの歌集ができた間は、ほぼ100年あります。

京都で紅葉を見て、1時間で奈良に移動して黄葉を見ることは、100年を1時間でタイムスリップできるということです。それを体感するのが今回の旅行の目的でした。奈良は斑鳩へ行きました。・・・・・明日香や吉野、山の辺の道へ行けばもっと良かったのかもしれませんが、体感という事では合格点はつけられました。

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出来れば来年もこの時期に行ってみたい。

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斑鳩周遊 2日目

昨日周りきれなかった斑鳩を午前中巡ってきました。
法起寺→三井瓦窯跡→伝山背大兄王子墓→法輪寺

午後は、奈良国立博物館。京都まで戻って 京セラ美術館「維新の夜明け」展

法起寺の日本最古の三重塔


柿を食べながら


法輪寺の三重塔の再建に物語がありました。


天気に恵まれました。歩いていると汗が滲んできました。
充実した旅でした。

本日の歩数は25,403歩でした

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斑鳩周遊

アプリによれば今日の歩数は29;727歩でしたた。
巡った史蹟は、
法隆寺→中宮寺→駒塚古墳→調子丸古墳→上宮遺跡公園→中宮寺跡→藤ノ木古墳→龍田神社→吉田寺→竜田川→三室山→斑鳩大塚古墳群→伊弉冊命神社→素戔嗚神社

法隆寺には高校の修学旅行以来です。
とりあえず、夢殿は一人占め





中宮寺は、創建時は、現在地から数百メートル東というのは初めて知りました。
行ってみたら史蹟公園として整備中でした。


石碑もぐるぐる巻きでした。


その他の史跡は改めてアップします。





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京都の紅葉と国宝展

昨日の同窓会の後、夜行バスで京都に来ました。

紅葉を観に、南禅寺を横目に永観堂へ


見事な紅葉でした。




甘酒とみたらし団子をいただきました。
1200円
食べていると紅葉が、はらっと落ちて来ました。


「幸せ」を感じました。
3時間いました。

その後に京都国立博物館に「国宝」展の最終日に滑り込み


午前中はかなり混んだようでしたが、1時頃は10分待ちでした。ラッキー

伝頼朝像・・・・よくぞ頼朝に成りすましていたな!


でも、右の平重盛とほぼ左右対称で同格の描き方。
「伝」の怖さ、伝承が一人歩きです。

燕子花図屏風に「里帰り」と。
あれと思ったら、所蔵は東京の根津美術館で、光琳は京都。なるほど!

その燕子花図屏風が図録の表紙です。


ともかく 厚い! 重い!

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東芝フィルハーモニー管弦楽団 第43回定期演奏会

ミューザ川崎で開かれました。

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おなじみの『カルメン』がプログラムに入っています。誰もが知っている有名な曲です。ですが、私はこのオペラのストーリーを知りませんでした。ドン・ホセがカルメンを殺めて終わるんですね。
演奏は、全曲ではなくハイライトでした。機会があったら、通しで聞いてみたいものです。
熱心な練習がうかがえる演奏でした。アンコールもなじみのあるトロイメライで聴衆に気持ちよく帰ってもらおうという気遣いがうれしいです。

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演奏曲目
カリニンコフ:交響曲第1番 ト短調
ビゼー:歌劇「カルメン」ハイライト

アンコール
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」より 第一幕「ワルツ」
シューマン:「子供の情景」より 「トロイメライ」

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京都旅行 2日目です

今日は、ホテルから泉涌寺まであるいてゆきました。
塔頭の戒光寺に寄って、泉涌寺の入り口で、「9時までお待ちください。」と言われました。開門を待つことなど初めてです。
しばらくは、境内には私ひとりでした。
宝物館がおやすみで、かわりに後座所が無料でした。
月輪陵



仏殿・舎利殿

楊貴妃観音(御朱印)

次に来迎寺の大石内蔵助の立てた茶室

次に今熊野観音
慈円のお墓があるというのに境内図に載っていなくて探し回りました。「立入禁止宮内庁」の看板で断念しました。
悲田院に寄って京都駅徒歩。さすがに疲れて、予定変更で「鉄道博物館」で今日は終了です。






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