カテゴリー「上空1万メートルから」の23件の記事

上空1万メートルの黄砂

またぞろ黄砂がやってきてニュースになっています

去年の5月22日に福岡まで飛行機に乗りました
雨が降っていて、飛行機が上昇して雲の上に出ました

黄砂が飛んでいました
富士山もいつもの透明感がありません
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普通は明るくなって、空のブルーが濃くなるものですが
黄色くなっていました
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すじ雲も黄色くなっていました
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今月9日も雨でした、
雲を突き抜けると、明るくなって空は濃いブルーになりました
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こうでなくてはいけません

上空1万メートルの黄砂は、雨で地上に降ることはないので
さらに遠くまで飛散してゆくのでしょう

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機内WiFiと地図アプリ

飛行機から地上を眺めるのが好きです
地図ではわからない情報を地形から読み取れますし
活断層も大きな古墳も見れて楽しいです
自分自身で巡った史蹟のを見るのもこれまた楽しいものです

飛行機が現在どのあたりを飛んでいるのか?を確認するため
12月の熊本へのフライトで
機内WiFiで地図アプリを使って位置を確認していました
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順調だったWiFiも大阪を過ぎたあたりから
更新されなくなり、白紙になりました

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広島などは地図がなくても分かります
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しかし、見たこともない施設などはさっぱりわかりません
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フライト後に地図で、兵庫県赤穂市近くの大型放射光研究施設 SPring8であることを確認しました
場所がわかったことで、次回からは目印として使えます

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天空の城 備中松山城

12月8日の熊本へのフライトで
中国地方に差し掛かってきたら、盆地に霧が溜まっている所がいくつも見えてきました

その一つ、天空の城として知られる備中松山城がある高梁市らしき
霧の塊が見えてきました
季節的には一番よく見える時期です

天空の城
(展望台から見た写真)
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天空の城を天空から見るとこうなります
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〇がお城で、△が展望台です

上空通過時間が12月8日9:45です。
雲海は少し小さくなっているようです

上空から見ると盆地状の地形に雲海ができることがよくわかります

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久し振りのフライト

今月の大阪旅行の帰りは、久しぶりに航空便を使いました。
動機は 1、機内のコロナ対策に少し安心感を持っていたこと 2,新幹線に比べて利用時間が短いこと 3,今回巡った奈良・大阪の県境の山々を上空から見たかったこと 4,機内WiFiの機能チェックです。

機内は、換気を強くしているせいか換気口からの音が強かったです。座席は横7列のところ乗客は3人のみでした。飲み物はいつもの通りに出ました。降りるときは密にならないよう配慮されていました。マスク等しっかり対策していれば、過度に心配する必要はないかなと感じました。
ANAの機内WiFiで、メールやLINEで写真を送ることはストレスを感じませんでした。YAHOOマップなどは重いせいか開けませんでした。

肝心のフライトコースですが期待していルートより北で、しかも低い雲がかかっていて今回巡った地は見ることができませんでした。考えてみれば往きのフライトコースが私の希望コースでした。久しぶりでしたので忘れていました。

機上から見たランドマーク
万博記念公園
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セントレア 中部国際空港
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静岡空港
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富士山と三保の松原
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スマホからの撮影です。

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オーロラに送られて ワールドカップ’15ツアー終了

ヒースローをたって帰途、ロシアのサンクトペテルブルグは、すっかり夜でした。

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この後、飛行機の窓は閉めることになるのですが、少しだけあけて見ていました。
白く大きなものが・・・・雲のはるか上空に、広がっているのが目に入ってきました。ゆっくりと揺れています。ところどころ光が強いところがあります。“オーロラ”に違いありません。
念のためCAさんに訊きました。『オーロラですね。反対側は星空がきれいに広がっていますよ。」との回答。隣の席で眠っている佐藤さんは起こしませんでした。何しろ4年前のニュージーランドへ行った時、「赤道越えだよ。」と眠っているのを起こして不評だったからです。
しかし、CAさんとの会話で目を覚ましたようです。暗い方を見続けて目を慣らしておかないと見えないので、果たして見えたのでしょうか?

シベリアに入るあたりまで見えていました。

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飛行機は、その後急速に日の出を迎えます。

オーロラに送られて感動と勝利を味わった’15ラグビーワールドカップツアーは終わりました。(年内に締めくくれてよかった)

 

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上空から見た津波被災地

7日の帯広出張は、体調がすぐれず正直な気持ち家でゆっくりしていたかった。
航空便の左側座席をとって雪雲が山脈で止められているのを見たかったのですが、予約が遅かったので右側しか空いていませんでした。皆さん考えることは同じ?右側からは太平洋しか見えなく退屈かと思っていました。

離陸して筑波山が眼下に見えました。そのまま太平洋に出るかと思ったところ、そのまま北上しました。福島空港が見えたので福島第二原発はどこ?と見やりましたがわかりません。

そして相馬市が見えました。

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「東日本大震災で大変だっただろう」と思いながら見ていました。

少しの間、海しか見えませんでしたが、次に半島が視野に入ってきました。牡鹿半島しかありません。ということは手前が松島・・・・自衛隊の東松島基地の滑走路が見えます。海からの近さを実感します。

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写真右下が松島湾 左上に石巻の港と町(雲に少し隠れています)

気仙沼市 

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ここにきて海に近い地域が空き地になっているこに気づきました。津波の犠牲となった方に手をあわせました。

大船渡市

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釜石市

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想像していたより町は大きくありませんでした

大槌町

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宮古市
湾の奥もやはり空き地になっていました。

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被災地が次から次へと目に飛び込んできました。
飛行機は宮古から太平洋に出ました。

国土地理院の津波被災状況の写真展示などを見ていましたが、思いがけず自分自身の目で見ると胸に迫ってくるものを感じます。あらためて犠牲になられた方のご冥福を祈ります。

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青森県 尻屋崎 (会津 斗南藩)

東京から飛行機で北へ行ったのは久しぶりでした。青森でも新幹線の方が便利です。さすがに札幌は飛行機です。
梅雨時で青森まで雲を下に見て飛行していましたが津軽海峡に出る手前でようやく雲が切れました。
眼下に見えたのは尻屋崎・・・・・下北半島の東北端に位置します。

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写真の左が北・津軽海峡、写真上は太平洋になります。
緑に覆われていますが、冬は厳しい環境に置かれるのでしょう。眼下に見える地は、戊辰戦争の後、会津藩が移された斗南藩の一部です。
上空から見ると、激動、厳しい環境というのは見えません。

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飛行機から見た仁徳天皇陵古墳他

先月はじめて関西空港を利用したと思っていましたが、思い出してみるとニュージーランドへ行くときに一度寄っていました。ですがツアーでしたので座席も指定できませんでした。上空から地上の景色をじっくり眺めたのは今回が初めてでした。

関空から羽田行きのフライトです。離陸して大阪の中心部から神戸へ旋回して関空の上空近くに戻ってきて羽田へ向かいました。
羽田へ向かって左側です。最初に飛び込んできたのが伝仁徳天皇陵古墳(中央)

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百舌鳥古墳群です。堺市役所の展望台から見たり古墳群を巡ったことを思い出しました。

続いて古市古墳群です。

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一番大きいのが伝応神天皇陵古墳、左に少し離れて伝仲哀天陵古墳など、古墳時代の最盛期を見ながら飛行機は進みました。

名古屋を過ぎると、すぐに富士山が見えてきます。江戸時代のこと、名古屋から富士山が見えるか話題になったそうです。東の方角に僅かに白い頂が顔をのぞかせている山が富士山ではないか?と、当時は確証がなかったのですが、今では「名古屋市内からは見えない」ことがわかっています。

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近づいてきた雲の上の富士山です。

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伊豆半島の西海岸と富士山です。左上に富士山が小さく写っています。良いアングルだと私は思っているのですが、ブログに載せるために写真を小さくしなければならないのが残念です。

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私の787ファーストフライトでした

12月17日の伊丹発羽田行きANA032便が、遅ればせながら私の787初フライトとなりました。
時間に余裕を持ってゆきましたので空港ビルから離着陸を見ていました。

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787はもう結構あちこち飛んでいるようです。
乗機を狙ったわけではありません。座席予約のときほとんど気にしていなかったのです。が、というより予約が遅かったので気にする以前の話だったのです。

これより前、リニューアルなった大阪駅ビルを見に行きました。屋上に小さな公園や農園まで作られていました。ここから伊丹空港に発着する飛行機が良く見えます。

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飛行機の先、トップが黒い建物は管制塔です。

787は窓のシャッターがありません。スイッチで窓の明るさを調整します。

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初めてですので触ってみました。
座席は窓際をとったのですが、機内番組のコントロールスイッチは座席の右側についていました。左側が使い勝手が良いのですが、コストダウンのためすべて右側についているのでしょうか。
天井が高く感じられ、開放感がありました。

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徳川宗春の墓

今日NHKテレビ“歴史秘話 ヒストリア”で尾張徳川の藩主・徳川宗春が取り上げられました。将軍・徳川吉宗の財政緊縮策に反対し、いわば財政積極策をとったため宗春は失脚しました。
番組の内容は首肯できるものですが、一つ残念なことがありました。

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番組の最後に徳川宗春のお墓が紹介されました。徳川宗春のお墓ほど数奇な運命をたどったお墓も少ないのではと私は思っているのですが全く触れられませんでした。
徳川宗春のお墓は、名古屋の郊外の「平和公園」にあります。徳川御三家筆頭の藩主ですから、本来家格は将軍家につぐものです。菩提寺の建中寺にあるべきものが、戦後の復興計画のもと、移転させられ「平和公園」という集団墓地に移されました。時の流れを感じます。
また、移転前に、第二次世界大戦の空襲で、焼夷弾の直撃を受けました。亡くなってから二百年後に上空1万メートルからの直撃弾を自分のお墓が受けるなど、まるでSFの世界の話のようなことがおきるとは、人間のすべての想像力を発揮しても及びもつかない事だったでしょう。
宗春は二十男に生まれ、御三家筆頭の藩主となり、失脚するという人生も波瀾でしたが、お墓もそれ以上の波瀾の歩みをたどりました。NHKの番組ではその点が触れらていませんでした。

宗春が、吉宗に楯突いたということで、将軍家にはばかって墓石には江戸時代を通じて網をかぶせられ、はずされたのは明治になってからだ。という記述を見ましたが、建中寺を訪ねた際に聞きましたが、「そのような状態を見たという事は聞いておりません。」とのことでした。

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焼夷弾直撃の痕が生々しく残っています。

私がこのお墓を訪れたのは、2008年11月中旬でした。名古屋駅の観光案内所で「徳川宗春のお墓を教えてください。」と聞きましたが、案内所の方は知りませんでした。うろ覚えで「平和公園とかなんとかにあるような・・・・・」と聞き直しました。「平和公園」に墓があるというのがピンとこなかったからです。「平和公園というところはあります。」というので、「ひょっとして、そこは墓地ですか?」と聞いたところ「そうです。」と返ってきたので、「わかりました。」と言ったところ、案内書の人は、ダメを押すように「その人の墓があるかどうかはわかりません。」と。宗春さん、影が薄かった。

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