カテゴリー「多摩・八王子」の16件の記事

八王子城址 庭園発掘現地説明会

10日に八王子城・御主殿の庭園遺構の現地発掘説明会に行ってきました。発掘調査が終わると埋め戻されます。
配布資料は2点あり、1点は「発掘された八王子城」です。

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上質紙で70ページほどです。サービスが良いなと思いました。もう1点は今回の発掘の解説です。

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裏面は地図です。

暑い中説明が始まりました。

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池の大きさに比べると主立石の大きさがわかります。説明員が立っているところは池の中です。
発掘前にこの石を見ていますがこんなに大きな石とは思いませんでした。発掘の結果、枯山水と思われた庭が池を伴った庭であることがわかりました。
説明の後、質問してわかったことは、建物(会所)に近い区域の庭はすでに発掘され埋め戻され復元されています。

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手前が埋め戻された庭です。
ここは、当時のグランドレベルまで発掘しました。池は当時のグラウンドから掘り下げられているのですが、どうやらそこまでは調査をしていないようで、それで池のない枯山水と推測したようです。(奥のオレンジ色のネットの向こうが今回の発掘場所)
つまり手前まで池が広がっていた可能性も否定しきれないのですが、手を付けることはできません。池を発見したニュースは、以前の発掘調査の不備も浮き上がらせました。

また御主殿の建物の礎石も発掘されました。

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火災で焼けた柱の跡がくっきり礎石についていました。四角い柱(写真)や、丸い柱跡がよくわかります。付近は焼けた土も出ています。

遺物も一部公開されていました。注目は鉄砲の弾です。

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左側が鉄製で、右側の弾は緑青がふいています。銅製です。銅の弾丸があったことを初めて知りました。
大変興味深い見学会でした。埋め戻しは今月末になるらしいのでまだ見学は可能かもしれません。

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八王子城 御主殿復元公開

復元へ向け工事中だった八王子城の御主殿跡が公開されました。家族で21日に行ってきました。

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大手から虎口へ向かう曳橋です。

御主殿は、礎石の配置のみで隣の会所は杉を使って床を復元しています。

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礎石として使われた石は新しいものでちょっと違和感を感じます。実際の遺構は発掘の後、埋め戻されて保護されています。手前は雨落ち溝です。

庭の遺構です。

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左の大きな庭石は発掘前から地上に顔を出していました。この奥に城の本丸に通じる最短ルートの隠れ道があります。八王子城は山城で山頂の本丸に通じるルートがいくつかあります。私はこの最短ルートが好きですが、当時も今も知る人は少ないです。

会所です。

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床だけの復元で建物にはなっていませんが、礎石だけ配置したより建物が大きく感じられます。写真手前の所からしゃれたベネチアンガラスの器が出土しています。

道路の遺構です。

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2カ所ほど発掘されていますが、どこに通じているか未発掘で行き先はわかりません。来年度が整備の最終年度らしく、道路の未発掘部分は、そのまま謎として残るようです。

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八王子城址・ガイダンス施設、アクセス

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(写真は八王子城址の曳橋ですが、御主殿跡の一部は現在工事中です)

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ガイダンス施設
先週の10月20日にオープンしました。

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八王子城の歴史のパネル展示、ビデオ説明、ジオラマとあります。出土品の簡単なパネル展示はありますが、残念ながら現物はここにはなくて、郷土資料館にあります。郷土資料館は八王子駅から車で5分ほどの所にあります。このガイダンス施設からは車で30分程かかります。

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休憩所も併設されています。お手洗いはきれいです。

駐車場は50台収容できます。オープン時間はガイダンス施設とも午前8時30分から午後5時までです。

アクセス
ガイダンス施設までのバスは高尾駅北口のバス乗り場1番から土日、祝日のみに1時間1本ほど出ています。(所要時間は7,8分)ただし、同じ1番乗り場から霊園前まで行って徒歩15分が平日もふくめて頻繁に出ています。バス乗り場でお聞きになった方が宜しいとお思います。運行は西東京(にしとうきょう)バスです。
時刻表です→http://www.navitime.co.jp/poi?node=00020348

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オリンパスホール八王子のチケット

オリンパスホール八王子が4月2日に開館します。座席数が2,000席で音響設計者はサントリーホールと同じそうですので期待できます。八王子市内には今までの市民会館(3月で閉館)や、いちょうホールなどがありますが交通の便が良いとは言えません。それに対して、オリンパスホールは八王子駅駅南口からデッキで直結されていますので大変便利です。
4月2日の開館記念コンサートのチケットは既に完売しています。先日“友の会”の入会手続きをし、昨日は4月24日の千住真理子さんのコンサートのチケットを購入しました。一般発売は10日ですが、昨日は“友の会先行発売”の初日でした。初日でしたが良い席は勢いよく売れていました。
ところでこの“友の会”の入会案内のホームページが見ずらくて不親切です。オリンパスホールのホームページもまったくいただけません。Webの勉強をしているのでホームページの出来が気になることもあるのですが、一利用者としても「はっきり言ってなっていません。」市内の他のホールも併せて管理運営している財団のホームページになるのですが、それらの施設もまとめているから見ずらいホームペジになっているのも一因ですが、トップページのヘッダーに財団名がドーンと載っています。利用者にとって財団はどうでもよいのです。会場とコンサートの情報が欲しいのです。お役所仕事的なホームページ、いや、いまどきお役所だってもっと工夫をした良いたホームページを持っています。
オリンパスは年2,500万円の命名代を払っているそうです。落第のホームページは命名代に見合うページに改善すべきでしょう。

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JR中央線の通勤特別快速の誤停車

今日、JR中央線の通勤特別快速が通過すべき西八王子に誤って停車して、結局その先は快速電車として運転をしたとの事です。運転士も車掌も気づかなかったそうですが、ちょっと運転士と車掌に同情します。
中央線は、快速、通勤快速、特別快速、そして通勤特別快速が走っています。各駅停車は早朝と深夜だけですのでほとんど気にする事はないのです。それよりも“快速”と云いながら三鷹・中野間は各駅電車となって複々線を2本の電車が各駅停車となって平行して走るという“快速”の名に値しない運転をしています。このばかばかしさをいつまで続けるのか?これこそが問題です。“特別快速”は他の路線に当てはめれば、“快速”にしかならないでしょう。
中央線の電車が1日何本走っているかはわかりませんが“通勤特別快速”などたった2本しか走っていません。通勤に中央線を使っている人でも「そんな電車があったの?」と、知らない人がたくさんいます。
早そうな名前の電車がずらっと並んでいますがちっとも早くない!利用者の側に立った、抜本的な運行体制を考えるべきです。

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八王子“いちょう祭り”

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20日、21日と31回を迎えた“いちょう祭り”は良い天気に恵まれて、かなり人出が多く、おそらく30万人以上の人出があったと思われます。旧宮廷駅跡地と御陵の公園をメインエリアとして、銀杏並木の甲州街道の沿道には露店が続きました。

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今日はクラシックカーのパレードがありました。

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長安寺です。
佐渡金山奉行を務めるなど、甲斐・武田家の遺臣で、徳川幕府草創時の財政をになった大久保石見守長安を祀っています。徳川に多大なる貢献をしましたが、不正蓄財があったとして死後墓場から遺体を掘り起こされて斬首され、遺児は処刑されました。権力闘争の凄惨な結末です。
いちょう祭りの手形ラリーの関所となっていました。

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陸軍幼年学校跡(八王子)

陸軍幼年学校は、陸軍のエリート将校を純粋培養するための教育機関です。あの東条英機も陸軍幼年学校を出ています。
この陸軍幼年学校が八王子にありました。元々市ヶ谷にあった学校は、終戦の前年の昭和19年に八王子に学校そのものが疎開してきました。終戦の2週間ほど前の、昭和20年8月2日に八王子は空襲されます。この幼年学校も当然標的です。全焼し10名が亡くなり、そして8月末には解散となりました。
戦後は都営長房団地となり、2階、5階建ての低中層の団地が並んでいました。現在は11階建の高層への建て替えが進んでいますが、幼年学校の校舎などがあった場所は、建て替えが進んでいなくて5階建てのアパートがほぼ空室となって2棟のみ残り、他は解体されたのみで更地のままになっています。現地には幼年学校の跡地であることの痕跡も碑もありません。

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空襲前の航空地図です。写真の下から道路を上がってきて右に折れて正門があります。その突き当りが本部です。

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通行する人のほとんどの人が幼年学校があった事も、ここが正門であった事も知りません。

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本部跡は5階建てアパートが解体されて更地となっています。

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校舎などの施設の跡地の全景です。本部跡の左手は訓練場でした。現在は小学校になっています。
旧弾薬庫跡は、現在11階建ての高層アパートになっています。そこからの俯瞰です。(1枚目の航空地図の矢印方向から撮りました)

アクセス
中央線の西八王子駅下車 北口よりバス 城山手行きor長房団地行(15分間隔ほどで出ています)で5分、児童館前下車です。児童館前のバス停が本部跡の位置に当たります。

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八王子城と真田幸村(八王子城4)

御主殿の奥から、山頂の本丸へ通じるルートがあります。お城の正面は大手道ですが、このルートは本丸ー御主殿間の直登ルートで、守り手側としては大切なルートであったことが想像されます。ここが真田幸村の攻略ルートでした。城攻めには北条方から寝返った大道寺政繁が加わっていますので、真田隊に情報は漏れていたのでしょう。(大道寺政繁は小田原開城後、秀吉から功を賞されるどころか、謀反人として切腹させられています)

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大型の石垣が四群あります。

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腰かけ?テーブル?単なる落石とは思えない岩と小空間もあります。後方は石垣になっています。

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山王台には不釣り合いな慰霊碑があります。

大手道は新道が出来たりして改変が加えられていますが、この真田隊ルートは通る人がほとんどいなくて、手もそれほど加えられていません。往時を偲ぶ雰囲気があります。私のお気に入りのルートですし、お薦めのルートです。

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八王子城 ・御主殿(八王子城3)

城山の麓に位置する御主殿は、発掘調査され遺構は掘りだされて虎口などは復元されています。建物跡は礎石がありましたが、埋め戻されています。わずかに庭園の石がちょっとだけ地上に顔を出しています。

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八王子郷土資料館にある御主殿の現状模型です。建物部分は埋め戻された礎石の位置が示されています。右手の石段の中ほどには門がありました。

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曳き橋
橋台遺構をもとに架けましたが、橋そのものは想像復元です。(去年の撮影です。欄干が新調されました。現在は白木の状態ではありません)

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御主殿の殿舎地区です。

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御主殿の滝 落城の際多くの人が自害したところ伝えられています。
ここは心霊スポットとしてテレビや雑誌に取り上げられています。落城の際、城山全体で二千名以上の人が命を落としているといわれています。ここをことさら心霊スポットとして喧伝することは命を落とした人に対する冒涜です。不愉快なことです。

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八王子城 ・出土品(八王子城2)

(5月7日の“八王子城・アクセス”の続きです)
八王子城は、戦国末期の山城です。豊臣秀吉が小田原城攻めの一環として、1590年八王子城を攻めました。豊臣方は前田と上杉の連合軍です。前田利家、上杉景勝そして、あの直江兼継と真田幸村も城攻めに加わっています。

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管理事務所前に陶板の説明はありますが、現地には出土品等はありません。
出土品は郷土資料館にありますが、最寄駅は八王子駅となります。八王子駅から徒歩15分ほどです。http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kyodoshiryokan/index.html

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イタリア・ベネチア製です。今は山あいになっていますが、おしゃれな品が備わっていたことがわかります。

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各種什器や八王子城の出土か明示されていませんが当時の鉄砲の弾などもあります。

関連書籍もありますが、一般向けの八王子城に関する本は書店の郷土史コーナーにあります。

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