カテゴリー「城」の59件の記事

皇居(江戸城)平川門と不浄門の新資料

 江戸東京博物館で開かれている企画展『徳川将軍家へようこそ』で、びっくりする資料に遭遇しました。“江戸城秘図”です。「平川門」の部分に目が釘付けになりました。

この地図にふれる前にこのブログで取り上げてきたことをまとめてみます。

城内に向かって平川門(渡櫓)の右隣にもう一つ門(帯曲輪門)があります。このような形態の門は、江戸城では、ここをおいて他にありません。この門は、死体や糞尿、罪人を城外にだした不浄門と言われています。舟で運び出されたとされています。

170823a3
ところが、ここからは(通路のようになっている)帯曲輪を通って竹橋門に出ます。不浄門から舟で運び出すことは不可能です。

170823a2_2

170823a5_2

江戸時代は260年以上続きましたので、江戸城も改変が行われています。

享栄年間の江戸城図には船着き場のような記載があります

170823a4_2

詳細はわかりませんが、不浄門の機能を果たす有力な資料です。

初期にはそもそも帯曲輪はありませんでした。
(江戸城始図)

170823a11_2(寛永江戸図)

170823a121_2

ところがびっくり、
企画展『徳川将軍家へようこそ』で展示された“江戸城秘図”では、帯曲輪は竹橋門までつながっていません。

170822b1_2

不浄門として合理的な構造になっています。実に明確な図です。今まで目にしたことがない図ですし、出所も徳川記念財団ですから確かです。私が驚いた理由です。

ただ、この展示では、図を19世紀としてますし、更なる情報が欲しいところではあります。

現状の平川門、不浄門からみて、不浄門について疑問を持ったことがありましたが、帯曲輪門を不浄門とすることは合理的と思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

江戸城始図と平川門

江戸城の地図としては、最古級の地図が松江市で発見されました。
今まで知られていた「慶長江戸絵図」とよく似ています。
(似ているから最古級となったのか)

私が注目したのは、「平川門」です。
(写真中央の赤い部分=平川橋というべきか)

170208c1

まだ、帯曲輪はできておらず、不浄門もありません。もっとも、その後は二の丸として城内になっているエリアは、この時点では大名屋敷地となっています。不浄門という役割を果たす城門の必要性もなかったのでしょう。

(帯曲輪は、写真の平川門から左へ直線的に伸びた通路状の構築物で、この絵図ではまだ存在していません)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東御苑(江戸城めぐり)

三の丸尚蔵館を見てから先ほど特別参観で見た富士見櫓を本丸側で見ます。

160531b4
シンガポールの方から写真を撮ってもらいました。

松の廊下址

160531b999
大奥址から天守台。そして、北拮橋門で5メートルほどいったん外に出て刻印を観察

写真の撮り疲れ?この辺での撮影はありません

梅林坂にある門写真を撮ったのは門を支える柱穴が残っているからです。

160531b6
刻印を見つけて楽しいんでいました。この近くでも刻印を見つけ出しました。

加賀百万石前田利恒の刻印です。

160531b5
平川橋の擬宝珠

160531b7

160531b8
 
「大工」が線で消してありますね。と、Nさん。言われてみればその通りで、何回も見ている私は、そんな意識は持っていませんでした。新たな宿題が出来ました。

平川門から出て、締めくくりは鬼門の「南無阿弥陀仏」

160531b9
苔のようなものがついていて判読が難しかった。MITSUさんが来た時は良く見えたそうです。冬場に見に来るべきかと、ここはちょっと残念。

歩行歩数は一万数千歩でした。楽しい1日を過ごしました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

皇居特別参観

160531b00_2
英会話サロンの皆さんと、皇居特別参観でした。お天気に恵まれました。全体の参加者は、なんと140人の大部隊でした。

160531b0
宮内庁前

160531b31
写真を撮りまくりで、一行のしんがりを務めることが多くなりました。

宮殿前

160531b1_2二重橋(奥の橋)を渡ります

160531b21
普段は皇居の外側から見る二重橋を今日に限っては皇居内から見ます。

160531b99二重橋の内の(奥の橋)と伏見櫓

160531b2
宮殿の車寄せ

160531b22
宮内庁の庁舎(旧江戸城の霊廟址・・・・江戸城で最も神聖な場所)を巡って戻ってきました。

旧枢密院

160531b3
こちらの前を通って東御苑に出ました

| | コメント (0) | トラックバック (0)

熊本城も心配

熊本城を訪れたのは今から6年前になります。

160417a4

160417a1_2

数あるお城の中でも魅力的なお城の一つです。さすがは加藤清正が作ったと納得します。その後の細川とつないできたお城が、テレビでここかしこ崩れた姿をみると、再建した本丸御殿は報じられていないけれどどうなっているか心配です。

この櫓も崩れたようです。

160417a3
この塀も崩れてしまったようです

160417a2
被災された方は。お城どころではないでしょう。
私も経験がありますが、「これだけダメージを与えて、なお、いじめるの!もう勘弁して!」との感想を持ったものです。余震って精神的なダメージが大きいです。早く余震が収まって、欲しいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

江戸城鬼門の「南無阿弥陀仏」

江戸城で、私がいちばん“江戸時代”を感じるスポットが江戸城鬼門にあたる堀の石垣に「南無阿弥陀(仏)」と彫ってある石です。

160412b2

160412b3

知識としての“鬼門”ではなく、“鬼門”がこの文字によって、私の心に迫ってきます。
他の石がきちっと積まれているのに、この石だけは、いかにも「邪・厄」の通り道をふさいでいるといった感じで石の形が不整形です。(写真の赤矢印)

160412b1
以前にもこのブログでふれましたので2回目です。雨が少ない季節ですのでお堀の水位が下がっていて見やすいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

江戸城・平川門/不浄門

江戸東京博物館での“徳川の城”展で、江戸城総廓図が展示されていました。

150926a1
不浄門/平川門の部分に目が釘付けになりました。

150926a2
左側が本丸に通じる(城内)です。
船着き場と思しきところがあります。しかも通路を示す細い赤線がそこへ引かれています。


江戸時代は、二百年近くありました。平川門もこの期間を通じて同じ形態であったということはないでしょう(絵図の比較では変遷が読み取れます)
参考までに、以前に掲載した地図を再掲します。帯曲輪門≠不浄門の意見に傾きます。

131108c1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

信長の館跡(岐阜)

金華山全体が岐阜城になっています。その山裾に信長の館がありました。

(模擬)入口

150316b1
「発掘調査の結果、ここにこのような門はありませんでした。城の雰囲気を出すために立てました。」と言った趣旨の説明がありました。歴史的事実と違うことを明示する姿勢に良心を感じました。

(出土した)入口

150316b6

150316b2
直線的に進めません。つづら折れとなっています。

信長が進出してくる前の斉藤氏(稲葉山城)時代の遺構が信長時代に築かれた石垣の下に眠っています。

150316b3
斉藤道三の時代だな!と想像がかき立てられます。

さて、いよいよ信長館だと進むと、

150316b4
「立ち入り禁止」発掘調査は終わっているようですが整備保存はこれからのようです。

立ち入れないのは残念ですが、ロープウエイからは見れます。

150316b5

150316b7
今はこれで我慢です。(3月6日訪問)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

岐阜城

織田信長の天下布武の城=岐阜城は、国盗り物語の斉藤道三時代は稲葉山城という名前でした。国の指定史跡となったのは意外と最近で2011年でした。

標高329mの山城です。

150316a1
天守閣はコンクリ製の再建で資料館となっています。出土品などの資料は一見の価値ありです。

歩いて登りたかったのですが、日程の関係もあって、ロープ―ウェイで昇りました。

ガイドの案内板があってわかりやすいです。現在の位置、古絵図など解説が的確です。

150316a2
模擬に建てられた『一の門』は、建造位置が異なっています。こちらがその場所です。

150316a3

二の門の位置はほぼ正確です。

150316a4
石垣が結構よく残っています。

150316a5

頂上(天守閣=資料館)からの眺望です。

150316a6
眼下に長良川と関ケ原方面を望んでいますが360度素晴らしい眺望で、尾張、美濃が見渡せます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

江戸城・(皇居)乾門

乾門は、明治になって西ノ丸裏門(坂下門の左奥)を移し新設された門です。

140410b1

江戸時代には、ここに門がありましたが城の外につながる門ではなく、門の名前はわかりません。
現在は、旧近衛師団司令部(現国立近代美術館)が目と鼻の先にあります。吹上御所とも近く、明治以降は重要な位置を占めることになりました。
普段は、警備も厳しくて近づきがたく、というより近づけません。

今まで、遠目から見て黒い門でしたが、黒漆塗りを施してありました。

140410b2

140410b3

140410b5

140410b4_2

坂下門と同様、皇居の通用門としての品位ということなのでしょう。
江戸城(厳密に言えば皇居)の門の中で乾門は異彩を放っています。今回の坂下門→乾門の通り抜けでその理由がわかったのは収穫でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧