カテゴリー「城」の66件の記事

駿府城

エコパのラグビーワールドカップの試合の後に
5日に静岡市内の史跡をめぐりました。
駿府城では、天守台の発掘が行われていました。
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天守台の大きさにびっくりしました。江戸城より大きい!
家康が建てた天守閣の前に秀吉時代の天守台の跡も発掘されています
9日のNHKの「歴史ヒストリア」で、この間の事情が紹介されました。
秀吉時代の天守台
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金箔瓦の大量出土地
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見学センターで展示されていた金箔瓦
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江戸城を上回る大きさの天守台にびっくりした時、
思い浮かんだのは、秀吉の時代との比較ではなく
江戸城との比較です。
家康の立てた江戸城天守閣は、
秀忠、家光と、建て替えられました。
大きな駿府城の天守閣に、将軍の城の天守閣が見劣りするのは
将軍として受け入れられるものではなく、
大御所存命中は、できなかったが、・・・・・・。
ではなかろうかと、想像を巡らせました。

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高天神城

(武田と徳川が争奪戦を繰り返しました。

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信玄が落とせなかった城とはどんなものか?関心がありました。

落城の際死者を埋葬した地からスタート

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高天神城の城名の由来になった社(旧社)

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本丸

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井戸

 

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 籠城を左右します

遠州灘が望めます

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横堀 堀切 空堀 

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家康が落城させてすぐ廃城にしたことで遺構が良く残ってます

 

 

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江戸城石垣の採石場(熱海市下多賀)

江戸城の石垣は伊豆半島から運ばれました。その採石場の一つ熱海市下多賀を訪れました。(5月30日)
ここは、いわば江戸城の故郷になります。
数百メートル車で登って行きました。

今、目の前にある岩は、江戸城に運ばれることのなかった「残念石」になります。


『羽柴右近』(森忠政=森蘭丸の弟)の銘があります。



ノミで表面加工した「すだれ仕上げ」
今までお城へ運んで積み上げる前に工事現場での作業と思っていました。採石場での作業と知ったのは収穫です。


この石は、ここで欠けてしまったので、お江戸に行くことはなかったのでしょう。

有馬家の採石場であることを示す岩

「是ヨリにし 有馬玄蕃 石場 慶長十六年七月廿一日」と刻まれています。

「慶長十九年」の刻印石 徒歩でかなり上がって行ったところにあります。

(写真)青字で補った左側に刻まれています。
刻印石がゴロゴロしています。

江戸までは船で運ばれました。

嵐で一度に200艘が沈んだ記録があるそうです。落胆ぶりがわかります。

ここへ来て、江戸城の石垣の石を切り出し、運ぶことが危険で過酷な労働である事を強く感じました。

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石垣山一夜城(小田原)

秀吉が天下統一の仕上げとなった小田原攻めで築いた石垣山一夜城を訪れました。
名前は「一夜城」と伝えられますが、4万人をついやして築いた城です。




井戸曲輪です。淀殿が化粧で使った井戸との伝承ですが、千利休が点てた茶の水もこの井戸でしょう。



今も水が湧いています。

家康が関東に国替えを命じられ、伊達政宗が死装束で参陣したのもこの地です。


秀吉にとって眼下に北条方の小田原城を見、海上を含めて包囲した。

まさに高みの見物を決め込んだ得意の顔が想像されます。かたや「小田原評定」でした。
写真の星印が小田原城天守閣です。

小田原城の向こう側は『北米プレート』家康などが陣を張りました。
ここの城は『フィリピンプレート』・・・・地球規模です。

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鉢形城跡

埼玉県の寄居町に行って来ました。鉢形城歴史博物館でマンホールカード が配られています。


こじんまりした博物館ですが展示はよくまとまっています。


ただ、「撮影禁止」には違和感を感じました。禁止にする理由がわかりません。

現地に行くまで、山城かと思っていましたが、全く違っていました。

荒川を利用した堅固な城です。

土塁も立派です。


秀吉軍に、八王子城先立って攻められました。

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津久井城址

神奈川県愛川町にマンホールカード をもらいに行きました。孫も連れて行ったので、孫にもサービスしなければいけないので選んだ先が「県立津久井湖城山公園」です。
北条氏が築いた山城です。秀吉の小田原攻めに際し落城しました。



出土品の展示もあります。



城跡に子供が遊べる大型遊具が設置されています。


史跡保存からは「いかがかな?」と思わぬでもありませんが、これも一つの方向なのかも知れません。

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江戸城始図を拝見

今月6日に江戸城の図面に関する展覧会を2展見に行ってきました。
1つは、都立中央図書館での「幕末の大奥と明治の皇城」展です。


展示の第1章が江戸と江戸城です。慶長江戸図の実物が展示されていました。
そして「今江戸図」も展示されていました。
今回の私のテーマである『江戸城の帯曲輪はいつできたのか?』のヒントがありました。
最初期の慶長にはまだありません。「今江戸図」には載っていますので、寛文(1650年ごろ)にはできたようです。このことがわかって嬉しかった。
「幕末の大奥」の展示も権力の移行が見えて良かった。



2つ目は、日比谷図書館文化館の「松江城と江戸城」展です。




江戸城始図の現物を見ました。
テレビニュースで知っていましたが生で見ると言うのはまた別格です。
お土産にクリアファイルを買いました。


そして図録

勉強になりました。

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皇居(江戸城)平川門と不浄門の新資料

 江戸東京博物館で開かれている企画展『徳川将軍家へようこそ』で、びっくりする資料に遭遇しました。“江戸城秘図”です。「平川門」の部分に目が釘付けになりました。

この地図にふれる前にこのブログで取り上げてきたことをまとめてみます。

城内に向かって平川門(渡櫓)の右隣にもう一つ門(帯曲輪門)があります。このような形態の門は、江戸城では、ここをおいて他にありません。この門は、死体や糞尿、罪人を城外にだした不浄門と言われています。舟で運び出されたとされています。

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ところが、ここからは(通路のようになっている)帯曲輪を通って竹橋門に出ます。不浄門から舟で運び出すことは不可能です。

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江戸時代は260年以上続きましたので、江戸城も改変が行われています。

享栄年間の江戸城図には船着き場のような記載があります

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詳細はわかりませんが、不浄門の機能を果たす有力な資料です。

初期にはそもそも帯曲輪はありませんでした。
(江戸城始図)

170823a11_2(寛永江戸図)

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ところがびっくり、
企画展『徳川将軍家へようこそ』で展示された“江戸城秘図”では、帯曲輪は竹橋門までつながっていません。

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不浄門として合理的な構造になっています。実に明確な図です。今まで目にしたことがない図ですし、出所も徳川記念財団ですから確かです。私が驚いた理由です。

ただ、この展示では、図を19世紀としてますし、更なる情報が欲しいところではあります。

現状の平川門、不浄門からみて、不浄門について疑問を持ったことがありましたが、帯曲輪門を不浄門とすることは合理的と思います。

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江戸城始図と平川門

江戸城の地図としては、最古級の地図が松江市で発見されました。
今まで知られていた「慶長江戸絵図」とよく似ています。
(似ているから最古級となったのか)

私が注目したのは、「平川門」です。
(写真中央の赤い部分=平川橋というべきか)

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まだ、帯曲輪はできておらず、不浄門もありません。もっとも、その後は二の丸として城内になっているエリアは、この時点では大名屋敷地となっています。不浄門という役割を果たす城門の必要性もなかったのでしょう。

(帯曲輪は、写真の平川門から左へ直線的に伸びた通路状の構築物で、この絵図ではまだ存在していません)

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東御苑(江戸城めぐり)

三の丸尚蔵館を見てから先ほど特別参観で見た富士見櫓を本丸側で見ます。

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シンガポールの方から写真を撮ってもらいました。

松の廊下址

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大奥址から天守台。そして、北拮橋門で5メートルほどいったん外に出て刻印を観察

写真の撮り疲れ?この辺での撮影はありません

梅林坂にある門写真を撮ったのは門を支える柱穴が残っているからです。

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刻印を見つけて楽しいんでいました。この近くでも刻印を見つけ出しました。

加賀百万石前田利恒の刻印です。

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平川橋の擬宝珠

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「大工」が線で消してありますね。と、Nさん。言われてみればその通りで、何回も見ている私は、そんな意識は持っていませんでした。新たな宿題が出来ました。

平川門から出て、締めくくりは鬼門の「南無阿弥陀仏」

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苔のようなものがついていて判読が難しかった。MITSUさんが来た時は良く見えたそうです。冬場に見に来るべきかと、ここはちょっと残念。

歩行歩数は一万数千歩でした。楽しい1日を過ごしました。

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