カテゴリー「古墳・古代」の144件の記事

菅原はにわ窯跡(菅原東遺跡)

近鉄大和西大寺駅から徒歩10分ほどのところにあります
はにわを焼いた窯です
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発掘後は公園になっています
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奥の覆屋の中に1,2,3号窯が保存され、他は埋め戻されています
展示されている窯
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展示されている窯は、道路(青色)になった部分にあって数メートル移動しています
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ここの菅原という地名は
はにわを作るなどした土師氏が本拠としたのがこの地で
奈良時代末期に菅原氏となりました
この一族から平安時代に菅原道真が出ました

ほど近くにある
菅原天満宮
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日本最古の天満宮だそうです
菅原氏の氏神を祭っているので、道真以前からあった神社です
天満宮との名称は後世のことですので
「最古の天満宮」・・・・ 誤りではないにせよ微妙

菅原天満宮遺跡天神堀
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菅原道真の「産湯のだそうです
伝承として楽しんでおけば良いかと思います
(訪問日2月20日)

ちなみに京都に産湯の井戸(菅原院天満宮神社)があります
もちろん北野天満宮もあります
ですが同じ京都でも菅原道真の邸跡と菅大臣神社が
私は好きです

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椿井大塚山古墳

京都から奈良へJR大和路線に乗るたび、
このあたりが「椿井大塚古墳か?」と思って過ぎていました
古墳ファンなら知らない人はいない古墳ですが
今回(訪問日2月21日)に行って、椿井大塚古墳と思っていたのが
実は椿井大塚という名前でした
間違って覚えていたことに気づきました
何十年も間違っていたことになります

卑弥呼の墓か?(本当かな?)と言われている箸墓から40~50後に作られた
出現期の古墳です
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第一印象は、「思ったより大きい!」でした
後円部
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後円部から前方部を見ると墳丘の上には家が立てこんでいます
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後円部をJRの線路が通っています
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まるで「首切り」のような状態です
この線路の拡幅工事の際に、偶然石室が発見されました
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その線路を電車が通ります

私が周濠かなと思ったところは推定図では後円部の一部でした
私が想像していたよりかなり大きい古墳でした
銅鏡が36面出土した古墳に見合う大きさであることを実感できました

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高麗寺跡(京都府木津川市)

飛鳥時代の寺院跡です
渡来系氏族の高麗氏にかかわる寺です
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のどかな田園風景の中にあります

創建後に恭仁京が遷都してきました
右京地区に当たります

金堂跡
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瓦積基壇
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レプリカで復元されています

塔跡
レプリカの心礎
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実物の心礎はレプリカの地下に埋もれています
この心礎は、舎利孔が礎石の側面にあります
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こうした形は他に大津京の崇福寺に見られるだけで
大変珍しい形です

レプリカではありますが見たかった礎石です

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蟹満寺(京都府木津川市)


蟹の扁額が目を引きます
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奈良時代以前に造立された丈六の金銅仏は
飛鳥大仏、山田寺(=興福寺仏塔)、薬師寺金堂と講堂の薬師如来、そして蟹満寺の釈迦如来の5体のみです
山田寺は、首から下は失なわれていますのでお姿全体を拝めるのは4体だけということになります
国宝です(高さ2.4m)
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薬師寺の薬師如来とよく似ています
御仏は素晴らしくすぐ近くから拝観できました

国宝の白鳳仏を本尊とする寺ですので、
お堂はもっと大きいと想像していましたので、
こじんまりしていたのは予想外でした
参拝客は私たち夫婦以外はおりませんでした

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この薬師如来の来歴については諸説ありましたが、
発掘調査の結果仏像の位置が、創建時と変わらないことがわかりました
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台座は江戸時代のものですが、
もともとからこのお寺にあったものとの説が有力です
御朱印をいただきました
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恭仁宮(跡)

聖武天皇が740年から4年間宮殿を置きました
京都府ですが、奈良市内からは車で30分ほどです。

大極殿跡
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大極殿の後、山背国分寺金堂になりました

同じく塔跡
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行く前は、国分寺の下に恭仁宮が埋まっていると思ったのですが違いました
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左が恭仁宮 右が国分寺です
恭仁宮を生かして国分寺が建てられています

大極殿の南に恭仁宮朝堂院があります 昔の石碑があります
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現在は恭仁小学校の校内になっています

内裏跡は埋め戻されています
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くにのみや学習館(入館無料)
恭仁宮跡紹介ビデオが流されています
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出土品の展示
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一例です 瓦の裏に「神人」のへら描きがあります
小さいけれど必見の場所です

全景です
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意外と地域としては広いと感じました

銭司(ぜず)遺跡
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恭仁宮が今でいう皇居+霞が関官庁街とすると、
23区に相当する恭仁京の範囲で
この遺跡はいわば造幣局
和同開珎などを作っていました
近隣には「和銅」など地名が残っており、地名の文化価値を
あらためて感じました

「遷都」という言葉から平城宮から離れた地との先入観から
この地に来るのが遅くなりましたが、来てよかった
聖武天皇が反乱と疫病から『彷徨して都を変えた』という説より
気ままに都を変えた強い帝王との説に同感します
(訪問日2月21日)

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益田岩船の珍説

Facebookで地図上で古墳からやたらと線を引く投稿があります
箸墓の稜線の延長線上に九州の宇土半島の馬門石(阿蘇ピンク石)産地があるので
「箸墓の石棺は阿蘇ピンク石だ」との結論です
(石棺よりも木棺の可能性が強いとそもそも思うのですが)
馬鹿馬鹿しい話ですが、本人はいたって真面目です。
どうせなら中国まで線を引っ張ってみたらどうでしょうか!と突っ込みを入れたいところですが
なんと、中国まで線を延長したけれど関連ある場所はなかったそうです

素人の珍説には笑いですませばよいことですが、

なんと図書館に益田岩船からやたらと線を引っ張った本がありました
書名『ヤマト古代祭祀の謎』

まず、益田岩船ですが
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「古墳の墓室であるとする説」で近年はほぼ定着しています

件の著作でもやたら線を引っ張った図が多く登場します
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時代も関連もあったものではありません
その結果出した結論が、これです
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やたら線を引いた成れの果ての馬鹿馬鹿しい結論ですが、
古代史の本にはこうしたいい加減な本が混在しています
著作者の経歴を確かめて、選んで読まなくてはなりません





 

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弁天社古墳(奈良県桜井市)

大神神社の末社の境内にあります
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封土はなくなっています
案内板に、南に向け開口しているとの解説ですので
南に回ったのですが開口部はありません
この案内板に戻ってきました

天井石です
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こちら側は奥壁側です
崩れた石の間から玄室に入ります
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奥壁側から入りましたので
右に見える四角い石は玄室にある石棺の一部と思われます

奥に見える石が石棺の蓋のようです
位置からすると玄室ではなく羨道にあります
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中を覗き見ることはできませんが
カメラを入れて内部を撮影しました
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カメラのモニターを確認してびっくりしました
きれいに加工された刳り貫き式石棺です
この地域で石棺が残っているのは珍しいようです
見て満足度の高い古墳です
(訪問日2月23日)



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茅原狐塚古墳(奈良県桜井市)

今回訪れた古墳で、石室内に入れた古墳の位置関係です
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左上が箸墓 右上黄色の囲みが慶雲寺裏古墳
これから紹介する茅原狐塚古墳と弁天社古墳が右下赤の囲みです

茅原狐塚古墳の玄室の長さは6mを超え羨道は11mを超える大きな古墳です
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常に水が溜まっているようで、たまたま水位が低く
石室内に入れたのは幸運だったようです
ただしどろどろでした
奥壁に達するまでに途中踏み台にした石がありました
石棺の一部なのでしょう
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奥壁に石棺の蓋石が3個あります
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この石棺の蓋の一つに違和感を感じました
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左右の端の厚みが違います 不思議です
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玄室から羨道部を見ました
両袖式です
三輪逆(みわのさかう)の墓との説もあります
特定はできなくとも、被葬者は三輪氏の一族としてよいかと思います
(訪問日2月23日)




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慶雲寺裏古墳と石棺仏

奈良県桜井市には、熊本から運ばれた阿蘇ピンク石で作られた石棺が三つ発見されています
その一つが箸墓古墳から遠くないところにある
慶雲寺の石棺仏です
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古墳の石棺の蓋の部分に仏さまを彫ったものです
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彫った時点では、棺の蓋という認識はなかったのです
12月に熊本へ行って阿蘇ピンク石を拾ってきたので
供えて千数百年ぶりに再会してもらいました
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手前の黒い石の上に置きました

私は熊本で風化されたピンク石も見ていますので
この石棺仏のように風化していてもピンク石とわかりますが
そうでないと「どこがピンク石か?」と思う人が多いです
比較的、ピンク石の地が出ている所に比較のために置きました
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同じピンク石の奈良市の野神古墳石棺よりピンク石の色がよく出ています

慶雲寺はお堂一つの小さなお寺です
お堂の裏に古墳が数基あります
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仏像か何か?が置いてあったのでしょうか台座らしきものが残っています

石室中より失われた羨道方向を見ます
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両袖式です
横穴石室が残っているのは、この1基のみです
石棺仏が、この古墳の石棺だったのかは不明のようですが
この近くの古墳にあった石棺のようです

(訪問日2月23日)

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奈良旅行4日目

小雨が降るなか、迷いましたがレンタサイクルで周りました。午後は雨が止み決断は正解でした。

桜井市埋蔵文化財センター→箸墓古墳→纏向遺跡→纏向石塚古墳→ホケノ山古墳→堂ノ後古墳→慶運寺裏古墳(&石棺仏)→茅原狐塚古墳→弁天社古墳→藤原京→本薬師寺跡

今回の旅行で、薬師寺、新薬師寺、本薬師寺と周り、以前に行った下野薬師寺と合わせて薬師寺コンプリートを嫁さんにプレゼントしました。

今日久しぶりに訪れた本薬師寺

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2月はお花が無いのであまりおすすめができる時期ではありません。

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