カテゴリー「古墳・古代」の82件の記事

御陵印と橿原考古学研究所博物館

奈良旅行3日目
今回のメーンイベントの高松塚古墳壁画見学に加え、キトラ古墳の壁画も見学できたので満足感もありましたし、動き回りましたので疲れ気味でした。軽めの日程にして、神武天皇陵で御陵印をもらい橿原考古学研究所博物館を見て帰ってきました、。

御陵印

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30個あります。押印する要領もだいぶのみ込めてきました。御陵印そのものはコンプリートしています。

続いて橿原考古学研究所博物館
御坊山3号墳の石室 正確に言えば横口式石槨を真近からみました。

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漆喰が残っていました。扉の石との間も漆喰で塗り固めたようです。
石槨の中には15歳前後の男性が陶棺に眠っていました。終末期古墳です。

特別展の準備で展示室の一部が閉鎖されていました。

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高高松塚、キトラ古墳の壁画を見学

今日はレンタサイクルで飛鳥から高取町まで巡りました。

中尾山古墳→飛鳥歴史公園館→高松塚古墳壁画修理作業室(壁画見学)→高松塚古墳→高松塚壁画館→文武天皇陵→キトラ古墳(壁画見学)→キトラ古墳壁画体験館→於見阿志神社・檜隈寺跡→高取下屋敷門→市尾墓山古墳→市尾宮塚古墳

歴史公園館の裏手に高松塚古墳壁画修理作業室があります。見学会場です。警備も厳重でまるで要人に面会するようです。時間は10分。

壁画を位置的には下から見ることになり、剥落の状態というのは写真では感じられません。実際に見る価値を感じました。

中尾山古墳


真の文武天皇陵とも言われています。墳頂に主体部が露出しています。

キトラ古墳古墳壁画体験館


素晴らしい施設です。
見学は、キャンセル待ちでした。身分を証明するものの提示を求められました。

市尾宮塚古墳


近づくと、石室内の照明が点灯します

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奈良・葛城

奈良の葛城を廻りました。山の辺の道とは奈良平野をはさんで反対側(大阪側)です。
葛城市歴史博物館→地光寺跡→笛吹神社(葛城坐火雷神社)・笛吹神社古墳→置恩寺→二塚古墳→神明神社古墳→皿池古墳→屋敷山古墳→慶雲寺→柿本神社

葛城市歴史博物館




こじんまりしていますが、葛城の歴史を知る上で欠かせませんし、図録が史跡巡りに役立ちます。
笛吹神社古墳は、境内の奥まったところにあります。ご丁寧にも古墳の入り口と石室に注連縄が張られています。

これでは「見学させてください。」とも言えません。

二塚古墳


神明神社古墳


見逃した古墳、史跡がありました。宿題です。


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『沖ノ島』写真展

日本橋・高島屋で開かれている世界遺産「沖ノ島」の写真展を見てきました。

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私は宗像大社までは行ってますが、当然沖ノ島には行けません。それだけに大きなパネル写真で雰囲気を味わうということになります。
数万点の国宝は展示されてなく、あくまで写真展です。

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『鏡が語る古代史』読了

古墳時代に欠かせない銅鏡。国内の「伝世」の問題、卑弥呼がもらった鏡は?と言ったことに関心が集中してしまっていました。この本は、中国での銅鏡の歴史について書かれていますので、中国の事情については知識が少なかったので興味を持って読みました。
銅鏡の銘文を丹念に解説してゆきますので、久しぶりに漢文の勉強をした気持ちになりました。銅鏡の銘文を読んでみたいという気持ちになります。
手元にあった銅鏡の写真の解読を試みました。

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この銅鏡の部分です。

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読んでみました。
やはり難しいですが、このように読んでみました。

吾作月竟 幽涷三商

吾れ明鏡を作るに 三商を幽錬す

『私は、この素晴らしい鏡を作るにあたって、三種類の金属を密かに精錬した。』

どこを手掛かりに読むかです。ぐるっと円周に沿って書かれていますので、『竟=鏡』が手掛かりです。文字の一部で省略したり、音を借りて他の文字で表わしたりするので難しいです。定型で始まっているので何とかなりました。

銅鏡が作られはじめたのは、紀元前2000年ごろです。卑弥呼が中国からもらう2000年ほど前です。勿論それ以前に日本には入ってきていました。
銅鏡は、化粧道具として、魔よけとして使われたこと、鏡の価格が下級官吏の給与でも十分買えた価格であること。つまり商品として販売されていたことです。ちなみに鏡に価格が明示されているのは1例のみだそうです。

訪れた古墳から出土した例が多く出てきたことも、読んでいて楽しかった。

三角縁神獣鏡については、“いわば特注の中国製”説をとっています。論考については説得力がありますが、確定には、成分分析などの科学的知見が必要なのだろうと思います。

古代銅鏡を見る楽しみが増えました。それをこの本が教えてくれました。

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保渡田古墳群ー八幡塚古墳ー 群馬県

群馬県高崎市のかみつけの里博物館と保渡田古墳群の八幡塚古墳を訪れました。

かみつけの里博物館

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模型などの展示は丁寧な作りでわかりやすかった。ただ、展示のボリュームは小さかった。

八幡塚古墳(前方後円墳)は、葺石、埴輪、周濠の中島など復元されていました。それぞれのパーツの意義を理解しやすいです。

周堤上の埴輪群

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継体天皇の墓とされている大阪の今城塚古墳とよく似ています。今城塚古墳のほうが規模は大きいいですが、埴輪が作られ、果たす役割が明確です

中島

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祭祀が行われました。ここでは四島あります

後円部の墳頂から階段を下りて埋葬施設を見ることができます。九州の西都原古墳群にも、こうした展示がありましたが、珍しい施設です

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石棺の蓋がきれいに切断されています。写真右側に切断された一方の蓋があります。

古墳の復元は、今では全国に多くあります。ここではこれまでの復元のアイデアが生かされています。

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『古墳の古代史 -東アジアの中の日本』 読了

日本、朝鮮、中国における古代墳墓の共通性と地域の独自性についての好著です。特に印象に残った点を二点あげます。

古代、中国から輸入され、古墳に大量に副葬された鏡

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権力の関係がどうのということに関心がいってましたが、この鏡の輸入と引き換えに輸出されていた品に『人間』が含まれていたことを知り、輸出された人間に思いが至り、私の「鏡を見る」目が今までとは変わりました。

もう一点は、日本の前方後円墳の形の由来です。
「壺形土器をかたどった」という説を、NHKの歴史秘話ヒストリアで紹介していましたが、『ばかばかしい説』と思っていました。

この著書では、“「弥生時代の円形周溝墓に起源があり、円丘墓に付けられた陸橋部分が後方部の起源になった。」のは考古学界の通説になっている。”
もう通説になっているんだ!という驚きがありました。

円形周溝墓とは、土まんじゅうを作る時周りを掘るのですがその溝が360ではなく一カ所土まんじゅうに行く部分をのこす。(その部分を陸橋と表現しています)

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どこからが著者の独自の論なのかは良くわからない点はありますが、古墳に関する最新知識が得られました。
(森下章司著)

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“古墳”五百円硬貨

私の本来の趣味ではないのですが、兄の影響で記念硬貨などの案内が造幣局から届くようになりました。

その中に地方自治法施行六十周年記念硬貨の案内がありました。全都道府県分が発行されているのですが、大阪府は「仁徳天皇陵古墳」がデザインされています。

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古墳の周濠まできちんと刻まれています。

平成27年7月の発行です。発行枚数がきっと多かったので、売れ残っているのでしょうが、私は「古墳」のデザインが好きで選んでいますので関係ありません。

「親方日の丸の時代」と違って造幣局も商売熱心です。

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新沢千塚古墳群(奈良県・橿原市)

「地下の正倉院」とも言われた古墳群が、奈良県・橿原市の新沢千塚古墳群です。

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数は600ほどで、古墳群を見慣れた目にも「これはすごい」と迫力を感じます。(写真はほんの一部)

その中の一つの126号墳

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丘の中でも高い所にありますのでそれなりに高い地位の人(女性)は想像できましたが、副葬品を見てびっくりです。

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この他にペルシャから伝わったお椀もあります。
新沢千塚の副葬品は“歴史に憩う橿原市博物館”にあります。

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装飾品はレプリカがです。現物の副葬品は上野の国立博物館にあります。おそらく見ていると思いますが、出土した古墳の20mほどの円墳の小ささとのギャップは現地に来て初めてわかります。(訪問日2017/1/29)

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推古天皇陵と植山古墳(」奈良・橿原市)

1月29日に“歴史に憩う橿原市博物館”を訪問した時に思わぬ出土品の展示に出会いました。

植山古墳出土品です

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素晴らしいです。
植山古墳は、竹田皇子と母の推古天皇合葬陵の有力候補です。私が2014年3月17日に訪れた時も発掘調査中でした。

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発掘中の上空からの植山古墳です

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出土品は東の石室(写真右)の竹田皇子からのものです。
推古天皇陵として有力な説ですが、弱点は天皇の石室(写真左)が後から合葬されたのですが、先の竹田皇子の石室に対して斜めに作られている点です。
後に改葬されましたが、不都合があった事も改葬の理由と考えれば、斜めになっているのはあながち通説の弱点とは思えません。

改装後の推古天皇・竹田皇子の合葬陵です

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2012年12月25日に訪れています。

ちなみに、推古天皇陵の印です

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多くの古墳や史蹟を巡っていると、予期せぬところで関連する遺物や遺跡に出会います。嬉しくなります。

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