カテゴリー「古墳・古代」の320件の記事

「郡司と天皇」読了

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50年以上前から古墳を訪ねていますが、昔は「この古墳は、地元の豪族(あるいは有力者)が葬られています」の、ほぼワンパターンの現地説明板でした。近年は被葬候補者の推測がされるようになってきました。地方でも「物部氏」などの中央貴族と同名の地方豪族が多くいます。同じ名前の中央と地方の関係はどうなのか?関心があります。結論を言えば。物部氏などは中央と地方の血縁関係は、たいがいないのですが、奈良時代の「郡司」が前の時代である古墳時代の地方豪族とどうつながるのかを期待して読みました。残念ながらその点には触れられていないのですが、思わぬ発見がありました。

聖武天皇が、奈良・東大寺の大仏を作るきっかけとなったのが大阪の智識寺(現在は塔の礎石が残っている状態)です。
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赤い四角部分の拡大図
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その近くに行基が作った橋があったというのです。
行基は聖武天皇に請われて大仏の造営に当たりました。

智識寺跡を訪ねていた私にとって思わぬ発見でした。




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豊浦宮(とゆらのみや)跡

見たかった飛鳥の豊浦宮は推古天皇が即位した宮です。その前身は蘇我稲目の家で、百済から献ぜられた仏像をこの向原の家に祀ったという日本の歴史の中でも特筆すべき地です。(日本仏教のはじまりの地)今まで近くを何回も通っていながら寄る機会を失っていました。
お寺の入り口には案内板があります
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宮跡が見れると書いてあるのですが、お寺に入ってもそれらしき場所はありません。
ご近所の人が「お寺の方に声を掛けたら見れますよ」教えてくれました

お声がけして本堂の向かって右側に屋根をかけて保存されていました(確かに一見して見れる場所ではありません)
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2メートルほどの深さです
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石敷きが見え、右手前の穴が掘立柱の抜いた跡です

周囲は住宅地となっていますので、全体の発掘は難しいでしょう。雨が降ってきたので、そそくさと退散せざるを得ませんでしたが、また、機会を見つけてじっくりと見学したいと思っています。(訪問日11月27日)

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紀伊風土記の丘

今まで見てきた全国の「風土記の丘」の中で、今回(11月26日)に訪れた紀伊風土記の丘が最も見ごたえがありました。

資料館前にある楠 直径4メートル 古墳時代に生きていた大木で、樹齢は350年 古墳時代から奈良朝ぐらいまで生きていたのでしょうか?オーラを感じました (これで根本です)
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ここは古代紀氏の本拠地です。大型古墳のほかに山全体に古墳があります
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紀氏の古墳の特徴は石棚があることです。紀氏が他地方にも展開していったときにも古墳には石棚がついています。今回、本家の古墳を見ました。
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石棚だけではなく、多くの古墳で石梁もついていました。
こちらの古墳を見上げると石棚が一つと石梁が二つあります
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古墳の大きさに比べると幅が小さいという特徴を感じました
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古墳によっては人が一人やっと通れるぐらいの幅です

こちらは首長クラスの古墳 中から出口を見ました
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左にある岩は、入口を塞ぐ岩の2枚のうちの1枚です

本拠地と他地区に進出した古墳では石室の幅が違います。石棚の伝統を生かしながら、(幅は)現地に合わせたように感じました。

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有間皇子の墓(岩内1号墳)

有間皇子のお墓(古墳)は、和歌山県御坊市にあります。
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一辺19.3メートルの方墳です。玄室は長さ2.48メートル 幅2メートル 羨道は長さ3.42メートル 幅1.45メートル
高さがわからないのは、発見当時上部が破壊されていたためです。発掘時の写真
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現状
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上部は復元ですので、床面を特にじっくり観察
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日本の古墳はすべからく墓誌がありませんので、築造年代と副葬品から推定します
副葬品は御坊市歴史民俗資料館で展示されています。開館日が限られているので古墳と一緒に訪れるには日程調整が必要です。
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副葬品 銀製蛭巻太刀
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漆片
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六花形鉄製棺飾金具
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六花形金具は斉明天皇のお墓でも出土しており、これらの副葬品はいずれも皇族級です。

和歌山県で皇族級のお墓といえば有間皇子以外はあり得ません。さらに、今回の訪問で、有間皇子とともに処刑された側近の塩屋鯯魚の本貫がこの地であることを知りました。この地が葬地であることの理由がわかりました。28年後に同様に謀略によって刑死した大津皇子が皇族御料地の二上山のふもとに埋葬されたこととの違いを感じました。

処刑地とお墓を今回訪ねて、有馬皇子の無念さをあらためて胸に刻みました。




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藤代坂 有間皇子終焉の地

11月の旅行の最大の目的は有間皇子の終焉の地と葬られた古墳を訪れることでした。
今から1367年前、孝徳天皇の長男であった有間皇子は中大兄皇子(後の天智天皇)の謀略によって処刑されました。有間皇子は19歳、中大兄皇子は32歳、多くの謀略をめぐらしてきた中大兄皇子にとって有間皇子はたやすい相手だったに違いありません。

有間皇子が処刑(縊死)された地が和歌山県海南市の藤代坂です。
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熊野古道に面しています
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この坂を下ってきて、ここで処刑されました。

有間皇子の墓
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軽視地に建てられた供養塔
木にさえぎられていますが、眼下に海を見下ろせて眺望が良いです

有名な歌碑
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「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」

熊野古道の道々にあった石仏でしょう
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伝承地というのは、後世になってから物語などをもとに作られることも多々ありますが、この地は悲劇の地として地元に語り継がれてきたものと思われます。伝承地として間違いはないでしょう。
この時代の明日香では石人像が発見された地の字が石神でしたし、水時計の遺構が発見された地は水落でした。

私は、中大兄皇子(天智天皇)は好きではありません。権力を握るためには人の命を命とも思わない(今の世の中も変わらずそうですが)その人生は、私は受け入れられません。


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「古墳時代の歴史」読了

亡くなられた松木先生の遺稿ともいうべき著作で、都度地図などを参照しながら読んだので読了まで時間がかかりました。
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歴史では、何年に何が起こったということを年代順(編年体)に書いてゆきます。しかし古墳時代は、〇世紀前半に作られた古墳という表記がほぼすべてです。そうすると古墳時代の地域別年代別の全体像がつかみがたいです。本書は言ってみれば古墳時代を編年体で書いた意欲的な著作です。古墳時代の流れがよくつかめます。大変好評なようで、すぐに重版となっています。

私も手製の古墳時代の年表を作って、〇世紀XX頃というのを年表の中の実年代の中に置いて作っています。
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まさに待ち焦がれていたことをテーマにしてくれた本です。古墳に関心がある方の必読書だと思います。
今後、他の考古学者からの反論もあるでしょうが、この書が基本になって論議が深められてゆくでしょう。
私の年表もこの本を参考に手を入れてゆくつもりです。


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有間皇子の古墳に墓参

堺から和歌山に移動して、念願だった有間皇子が葬られた岩内3号墳にお参りしてきました。

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古墳に行く前に皇子最期の地・藤白坂、古墳の出土品を展示している御坊市歴史民俗資料館を訪問しました。

念願を果たせたか感激でいっぱいで、肩の荷が降りた心持ちの中で帰途、湯浅伝統的建物群保存地区をお訪れてホテルに戻ってきましたが


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滋賀県守山市で石見型木製品出土

朝日新聞の記事では「埴輪にちなむ石見型木製品」と題して「石見(いわみ)型と呼ばれる木製品が出土した。守山市教育委員会が発表した。奈良県の石見遺跡で見つかった特異な形状の埴輪(はにわ)にちなむもので、全国18例目、県内4例目という。」
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このように書かれた記事では、ほとんどの人はこの記事を読み解くことはできないかなと思います。「埴輪にちなむ」と書いていますが、弥生から古墳時代でも初めのころは、おなじみの埴輪ではなく、木で作られたものがお墓に建てられてました。それが発展して土で作った埴輪に変化してゆきました。「なんだ 木か!」と思われるかもしれませんが、埴輪より高級品です。埴輪にちなむというより埴輪の祖型(原型)です。ここをきちっと抑えておかないと何を言ってるのかわからない記事となります。
出土したのは(削平された)前方後円墳のようです。

ヤマト王権の前方後円墳と、もう一方の勢力の前方後方墳が近江が中心であった可能性が出てきたことと相まって、近江の古墳時代が注目です。何しろ九州の熊本から運んできた石棺がある地ですから。

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大山古墳(伝仁徳天皇陵)新発見の副葬品

マスコミで報じられて話題になった大山古墳出土の副葬品を國學院大學博物館で見てきました。
報道されたときは、なんとなく関西でのことかと思っていたのですが、國學院大學の所蔵なんですね。
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甲冑の金具と包み
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一番下の一点は不明です

刀子(ナイフ)
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実用品ではなく祭具として作られたのだろうとリーフレットには書いてありました。

本などでよく見る模写図 写真でしか見たことがなかったので、実物を見るのは初めてです
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リーフレットまで用意してあった手回しの良さにはびっくりしましたが、堺市博物館の企画展用に用意したもののようです。
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入館料は無料です

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友史会報 10月号

橿原考古学研究所博物館の友の会「友史会}が創立70周年を迎えます。魅力的な企画が多くありますが、東京在住の私にとって参加できる企画は少ないです。会報を見ながら、うらやましいと、目の前にジンジンをぶら下げられた馬の心境です。

今月の会報は、藤ノ木古墳出土品の修理事業が5年目を迎えてその出土品に多くの紙面を割いています。
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橿原の博物館では何回も特集講演会が開かれますが、東京でも今月1回講演会があります。

70周年企画の続編を待っています。

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