カテゴリー「古墳・古代」の124件の記事

牽牛子塚古墳の閉塞石など

斉明天皇のお墓である牽牛子塚古墳に、9月に続いて11月13日に訪れました。
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9月に訪れた時に、「閉塞石が明日香村文化財展示室にありますよ」と言われました。
閉塞石は、石室の入り口を塞ぐ石です。

玄室の入り口です。現状は格子がはまっています。
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復元される前の玄室入り口
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写真右側の格子がはまっている部分が入り口です。
(復元された現在はこのアングルの写真はとれません)

閉塞石
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この石を据えて塞ぐことで永遠の別れになります。
子供の、天智天皇、天武天皇が悲しみの中で見送った石です。

棺とその飾りなど
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貼石
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実は7年前に来た時も閉塞石などを見ていましたが
意識してみるか、展示物を見学してゆくという意識かで
印象と記憶が全く違ってきます。
「見ようとしなければ、見えない」
あらためて自分自身に言い聞かせました。

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宮廷苑池(日本庭園の源流)

平城京跡などを長年見てくると、宮殿付属の「宮廷苑池」が権力基盤の重要な装置であることに気づきました。
藤原不比等、長屋王、藤原仲麻呂等の邸の立地が苑池との関りで理解できるようになりました。
そんな折、考古学研究所博物館で「宮廷苑池の誕生」展を見学しました。
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今まで回ってきた苑池史蹟のまとめとしてグッドタイミングの展覧会でした。

飛鳥京苑池跡(国指定史跡) 宮廷苑池の源流です。
ここから出土した石造物が橿原考古学研究所博物館入口に展示されています
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苑池は宮殿に接続しています
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発掘時の風景
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以前行ったときはこのような感じでしたが
今回は、草ぼうぼうで 島の跡の石積みがようやく見えました
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埋め戻すのが史跡保存の最良策なのですが、
活用面としては課題があります。
現状は、埋め戻しでもありません。
明日香村には活用に向けて方策を考えていただきたいです。

京都などに代表されるように、庭園といえば、寺院と一体のイメージですが、
庭園は宮殿や、豪族の私邸宅から始まっています。
奈良市の法華寺阿弥陀浄土院跡から庭園が発掘されています。
寺院に付属する庭園のはじめではないかと思っていました。
展覧会では「寺院の浄土庭園の最古の例」となるのではないか、とされています。
私の推測が間違いでなかったことがうれしかったです。

田の中に残る阿弥陀浄土院の庭石
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後方は平城宮東院庭園です。

飛鳥京苑池11月14日訪問
阿弥陀浄土院11月11日訪問

 

 

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石棺(の模型)がふるさと納税返礼品

来月、熊本旅行を予定しています。
一番の目標は、阿蘇ピンク石(馬門石)の石切り場跡を見ることです。
阿蘇ピンク石は熊本県宇土市で古墳時代から産出されて、
石棺に作り上げられて、はるばる関西まで運ばれて、
継体天皇や竹田皇子などの古墳に入れられています。

その産出地の宇土市のふるさと納税の返礼品として石棺模型があります。
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寄付金はなんと31万円!

寄付は無理です。
ただ、お土産として売っていないかな?
欲しいです。
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現地に行ったときに探してみたいですが、
一つ一つ手作りだそうですので、
市販はされていないかな?

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蘇我蝦夷、入鹿の邸跡(甘樫丘東麓遺跡)

(訪問日11月14日)
考古学者は、明日香の甘樫丘東麓遺跡を蘇我蝦夷、入鹿の邸跡とは断定していません。
発掘跡から「蘇我」などの名前を記した決定的な遺物が出ていないからです。
しかし、年代や、焼けた痕跡から日本書紀の記述と一致し蘇我の邸跡であることはほぼ確実です。

その邸宅がどのような場所なのか、地図だけではわからない立地を知りたくて訪れました。
事前に発掘報告を読んでゆきました。
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現地は既に埋め戻されていて、草ぼうぼうであることが予測されたからです。
そしてその通りの現状でした。
発掘時の空中写真と地図です。
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上の図で赤く塗ってある調査区から見ました
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乙巳の変(私は大化の改新と教わりました)で入鹿が暗殺された(宮殿)場所が眼下に見えます。
宮殿を見下ろす位置にこの邸宅がある事に蘇我の権力の大きさを実感しました。
宮殿の最も華やかな場所である苑池跡も見えます。

目を北東に転じると、入鹿を暗殺した後、中大兄皇子が戦闘態勢に入った飛鳥寺(法興寺)もやはり眼下に見えます。
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入鹿が暗殺されたのが6月12日、雨が降っていた中、入鹿の屍はむしろで覆われこの日のうちに入鹿に渡されました。
蘇我邸には、武器庫もありましたが、蘇我の配下の氏族は武器を捨てて走り去ります。
翌13日に蝦夷は邸に火を放って自殺します。

乙巳の変の緊張感と入鹿の絶望感を感じました。

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キトラ古墳天文図見学

(11月13日見学)

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被葬者は高市皇子説が有力です。


壁画体験館の2階が展示室となっています。
入室前に注意事項の説明があります
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展示室内は撮影禁止です。
1グループ12人で見学ですので
時間は短いですが、じっくり見ることができました。

こちらの写真はレプリカを撮影しました(精巧です)
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位置がずれているそうですが黄道も書かれています
星の金、太陽を表す金が鮮やかです。
月を表示した銀は剥落が進んでいますが確認できます。

見学の前後は1階の展示室で学習です。
とても良い展示です。

前回は、壁画特別公開とは関係なく来ましたが、
特別公開(予約)に合わせてきたほうが絶対いいと思いました。

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飛鳥浄御原の遺構発掘

14日に飛鳥京宮廷庭園跡を訪れていた時に、
発掘調査をしている現場で様子を見ていました。
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その立地からして、遺構が出ているのは、当然だろうと思ってみていました。

今日の夕刊で発表記事を見ました。
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天武・持統の遺構です。

飛鳥古京の発掘調査は、まだまだ続くのでしょう。
全貌がわかるのはいつになることやらですが、
新発見の期待が続きます。

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野神古墳(奈良市)

全長50mほどの前方後円墳らしいのですが、
現状は、団地の一角の10mあるかないかぐらいの大きさです。
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原型をとどめていません。
墳頂に過去の発掘の説明板があります
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竪穴石室はコンクリで保護され、その上に天井石が置かれています
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天井石には縄かけ突起が見られます

実測図
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石棺
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縄かけ突起が左右対称の位置ではありません

この石棺ははるばる九州・熊本から運ばれてきました。
阿蘇ピンク石=馬門(まかど)石で、
継体天皇、竹田皇子(推古天皇の子)等の石棺に使われています。
野神古墳は、和珥氏の拠点です。
九州との接点はどうだったのか?気になる古墳です。
(11月11日訪問)



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牽牛子塚古墳

古墳時代終末期の天皇陵の証の八角形墳として初めて復元されました。
心待ちにしていました。
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圧倒的存在感です
復元されてよかったと思います

石槨入り口
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この扉の中に入るには予約が必要です。(500円必要です)
現在は土日、休日のみ開扉しています。
柵越しでも石槨の開口部は見れます
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斉明(皇極)天皇と間人皇女の合葬墓です
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2室あります

復元前の2014年に訪れた時の写真です
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石槨入り口は、当然見学料は必要ありません
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標柱
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位置を変えて現在も立っています
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今回の旅行で3回行きました。
夕暮れ時には古墳が赤く染まっていることを期待しましたが、
夕日が立ち木にさえぎられて期待したほどではありませんでしたが、
それでも昼間に見るより、やわらかく輝いていました


 

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越塚御門古墳

斉明(皇極)天皇の孫で、大津皇子の母である大田皇女の墓です。
12年前に牽牛子塚古墳の発掘埋め戻しの際に発見されました
日本書紀の記述と一致したことから、牽牛子塚古墳が斉明天皇の陵であることの決定打になりました
2014年に行ったときは既に埋め戻され、
「この辺かな?」と、残念な気持ちで歩き回っただけに、
今回念願を果たしました

牽牛子塚古墳の東南20mの位置になります
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墳丘の形は不明ですが、方形にしてあります
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予約者がいると、内部を見学できます。
(平日は予約日にはなっていないので見学できません)
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石棺(石槨?)と版築の跡がくっきり見え、逆に破壊された部分の墳丘も分かります
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プロジェクションマッピングで説明があります
(一般編と有料入場者向けと2編用意されています)
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この陵墓の主の人生がわかる説明になっています


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益田岩船

牽牛子塚古墳の裏から徒歩十数分のところにあります

東側からの写真です
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前回行ったときは、「登らないでください」となっていました。
(ごめんなさい。無視して登りました)
今回は、その注意看板はありませんでした。
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前回はあっさり登れたのに、今回は少し苦労しました。
年月の経過を感じました

上面が見える位置からの写真です
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この巨岩石造物には、その用途について諸説ありました。
しかし、現在は、斉明天皇の陵である牽牛塚古墳の石槨が
制作中にひびが入って、放棄されたとする説にほぼ統一されました
向かって左側は雨が溜まっていますが、ひびが入った左側は水が溜まっていません
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上面から見た写真を横にすると牽牛子塚古墳の石槨にそっくりです
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この巨岩が未成品となったために
牽牛子古墳の550トンの石槨を二上山から運びこむことになってしまいました。
あらためて動員された人々の労苦がしのばれます。


 

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