カテゴリー「古墳・古代」の75件の記事

“古墳”五百円硬貨

私の本来の趣味ではないのですが、兄の影響で記念硬貨などの案内が造幣局から届くようになりました。

その中に地方自治法施行六十周年記念硬貨の案内がありました。全都道府県分が発行されているのですが、大阪府は「仁徳天皇陵古墳」がデザインされています。

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古墳の周濠まできちんと刻まれています。

平成27年7月の発行です。発行枚数がきっと多かったので、売れ残っているのでしょうが、私は「古墳」のデザインが好きで選んでいますので関係ありません。

「親方日の丸の時代」と違って造幣局も商売熱心です。

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新沢千塚古墳群(奈良県・橿原市)

「地下の正倉院」とも言われた古墳群が、奈良県・橿原市の新沢千塚古墳群です。

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数は600ほどで、古墳群を見慣れた目にも「これはすごい」と迫力を感じます。(写真はほんの一部)

その中の一つの126号墳

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丘の中でも高い所にありますのでそれなりに高い地位の人(女性)は想像できましたが、副葬品を見てびっくりです。

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この他にペルシャから伝わったお椀もあります。
新沢千塚の副葬品は“歴史に憩う橿原市博物館”にあります。

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装飾品はレプリカがです。現物の副葬品は上野の国立博物館にあります。おそらく見ていると思いますが、出土した古墳の20mほどの円墳の小ささとのギャップは現地に来て初めてわかります。(訪問日2017/1/29)

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推古天皇陵と植山古墳(」奈良・橿原市)

1月29日に“歴史に憩う橿原市博物館”を訪問した時に思わぬ出土品の展示に出会いました。

植山古墳出土品です

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素晴らしいです。
植山古墳は、竹田皇子と母の推古天皇合葬陵の有力候補です。私が2014年3月17日に訪れた時も発掘調査中でした。

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発掘中の上空からの植山古墳です

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出土品は東の石室(写真右)の竹田皇子からのものです。
推古天皇陵として有力な説ですが、弱点は天皇の石室(写真左)が後から合葬されたのですが、先の竹田皇子の石室に対して斜めに作られている点です。
後に改葬されましたが、不都合があった事も改葬の理由と考えれば、斜めになっているのはあながち通説の弱点とは思えません。

改装後の推古天皇・竹田皇子の合葬陵です

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2012年12月25日に訪れています。

ちなみに、推古天皇陵の印です

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多くの古墳や史蹟を巡っていると、予期せぬところで関連する遺物や遺跡に出会います。嬉しくなります。

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乙訓(おとくに)古墳群 (161212京都の旅)

京都盆地の西、向日市、長岡京市、大山崎町は乙訓地方と呼ばれます。長岡京が置かれる以前の遺跡・古墳を歩いてきました。

物集女塚(もずめつか)古墳
前方部から後円部をのぞみます

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後円部と前方部の高さがそれほど違わないのは古墳時代後期の特徴です

石室の排水施設

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おそらく、初めて見たかとおもいます

玄室には立派な扉

161218a3あとで資料館で聞いたら条件付で公開しているそうです

寺戸大塚古墳

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考古学に関心がある人なら知っていますが、椿井大塚古墳出土と同じ三角縁神獣鏡(いわゆる同氾鏡)が出土しています。前方後円墳ですが前方部は失われています。

五塚原(いつかはら)古墳

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人の頭ほどの大きさの葺石があります。

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作った当時の石は、その後表土で覆われ崩れたところから出てきます。

元稲荷古墳
前方後方墳です。前方部から後方部をのぞみます

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後方部の頂から一角をのぞみます

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写真を撮った私は円ではなく角っぽくなっているのがわかるのですが、写真を見ただけでは判然としないかと思います。

石室の天井石

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説明版はありませんが資料館で同様の出土品を見ていましたのでわかりました

恵解山古墳 
この古墳は淀川近くにあります。

造り出し部 もう一方の造り出し部は矩形ではなく汀のような形をしています

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前方部から鉄製品が大量に出土しています。

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この地方最大の古墳です

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フォーラム「大王陵から天皇陵へ」

江戸東京博物館で開かれたフォーラムに行ってきました。
「八角形の王陵がしめす飛鳥時代の世界観」が副題です。人気があって定員に対して4倍の応募があったそうです。

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第1部が「八角形墳の意義と展開」橿原考古学研究所長の菅谷文則氏
第2部が最新情報紹介として「新発見の巨大古墳~小山田遺跡~」発掘を担当した鈴木一議氏、さらにパネルディスカッション

前方後円墳の終焉から方墳へ、そして八角形墳へと考古学、文献からの考察が披露されました。このテーマでは、最も知見がある講師の登壇だと思います。
パネルディスカッションでは、東京大学史料編纂所の田島公氏と女優の真野響子さんが加わりました。
真野さんはこのパネルディスカッションの前に2泊3日で古墳を今回のメンバーと廻ったそうです。この手のありがちな添え物の出席者ではなく、勉強の後が見られ、鋭い意見を披露していました。
衣裳は“推古天皇”の衣裳で登壇「持統天皇の衣裳を着たかったけど、」デザインがお気に召さなかったので推古天皇の衣裳となったそうです。橿原考古学研究所がついていますので、考証については何ら心配なしです。

聴講して、行きたい(行かなければならない)古墳がいくつか出てきました。とても良かった!

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武蔵府中熊野神社古墳(上円下方墳)

東京都府中市の熊野神社古墳に行ってきました。
上円下方墳です。迫力を感じます。

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築造時期は、終末期・・・飛鳥時代の後期以降ですから、大化の改新前後以降となります。

石室の入り口(閉塞石)が終末期らしさを漂わさせています

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併設の資料館の展示

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石室の実物大模型

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石室の石の加工も終末期らしく隙間の無い積み上げで、アーチ式に積み上げられています。

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駐車スペースはありますが、事前に連絡しておかないと駐められないようです。最寄りの西府駅から近いので公共交通機関を使った方が良さそうです。

上円下方墳は、全国で数例しか知られていません。他の同形の古墳も見たくなりました。

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歴史秘話ヒストリア「コーフン!古墳のミステリー」

今日、放映されたNHKの番組です。
古墳を取り上げていました。
前方後円墳の形について「壺」をかたどったものだと、「目からウロコの“古墳の形”秘話」だそうですが、「そういう解釈もできる。」程度の話を目からウロコと言われてもねえ。というのが率直な感想です。

「前方後円墳から蘇我氏系の方墳」と変遷を説明したなら、そのあと大王(天皇)の八角墳へとなったまで説明して欲しかったけれど、省略でした。

古墳ガールって? 古墳にはよく行くけれど見たことないです。

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東光寺剣塚古墳(アサヒビール博多工場内)

古墳の名前に「東光寺」とついていますが、東光寺という寺は近隣にはありません。アサヒビール博多工場の敷地内にあります。

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会社名の看板の横に古墳見学時間の案内看板があります

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守衛所で訪問者カードに記入して入ります。A4の解説と記念ステッカーをいただきました。

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蚊の襲来に耐えます。本来、夏は古墳見学には不向きの季節です。
横穴石室入口扉を開けて石室内に入ります。

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柵があって奥までは入れません。

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線刻があるようですが確認はできませんでした。

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舒明天皇の初葬地?と段ノ塚古墳

飛鳥で最大級の方墳が発掘されて舒明天皇の初葬地との説が出ています。
最大級となれば、専門家の言うとおり舒明天皇の古墳である可能性が強いのか?が、一方で方墳は蘇我氏のステータスですから蘇我蝦夷説。さらに、そもそも古墳なのか?との疑問説もあって、これからの進展に期待します。

舒明天皇が改葬されたのは段ノ塚古墳で学説はほぼ一致しています。昨年の春(3月)に行ってます。

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宮内庁が管理している陵に共通仕様で“八角墳”と言われても現地に行っても木に覆われてわかりません。宮内庁は墳形について今でも上円下方墳としています。
昭和天皇も上円下方墳です。古代の八角墳を円墳としてしまったため墳形の見誤りを今に引きずっているので今更訂正もできないという事です。

舒明天皇陵の近くに巨石があります。

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神武東征に結びつけた伝承がありますが、近辺の古墳から運び出そうとしたのでは?と想像力が働きます。舒明天皇陵の古墳よりこちらの方に興味がありました。

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水沢を巡って帰京

観光案内所が開くのを待って、午前9時レンタサイクルを借りてスタートしました。古代城柵の胆沢城が最初の目的地です。
「埋蔵文化財センターに先に寄った方が良いですよ」と、案内書の女性がアドバイスしてくれました。もとよりそのつもりでした。
サドルの調整をしていたら女性があわてて出てきました。「埋蔵文化センターは火曜の今日は、お休みでした。」と。別にだからといって行くのをやめるつもりはありません。が、休みは残念です。

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埋蔵文化財センター前
今日お世話になったレンタサイクルを記念写真におさめました。

水沢市内に戻ってきました。武家屋敷が良く残っていました。

『偉人通り』と名付けられた道路です。

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蛮社の獄の高野長英・・・この町へ来たかった最大の理由です。
大風呂敷と言われた(先見の政治家)後藤新平、
2.26事件で殺害された斉藤實(首相)
の3人がこの道に面した家から輩出されました。『偉人通り』のネーミングに納得・同感そして驚異です。

レンタサイクルを返す時間まで昼食抜きで巡っていました。

本日のコース
胆沢城跡→後藤新平記念館→武家住宅資料館(旧内田家住宅)→後藤新平旧宅→斉藤實記念館と旧宅→高野長英生誕地→安倍家住宅→日高神社→高橋家住宅→高野長英旧宅→高野長英記念館→高野長英・墓(供養塔)

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