妙国寺(堺市)と堺事件
妙国寺にも15年前に来て、参拝し、また3年前にも来ましたが、この時はお寺の中には入らず、向かいにある土佐藩士のお墓にお参りしました。
幕末に堺を警備していた土佐藩が港の水深を測っていたフランス兵を11名殺害し、事件後土佐藩が責任を負わされ藩氏11名が切腹したというのが堺事件で、この時の切腹の場がこの妙国寺でした。
妙国寺の道路わきに立つ道標
「左 とさのさむらいはらきりのはか」
切腹したのは妙国寺ですが、勅願時(天皇の祈願寺)の寺格を理由として兵卒の墓など建てられないと。結局向かいのお寺に遺体は葬られました。
この時に切腹した土佐藩兵の遺髪や血塗りの三方(台)が宝物資料館にあります。ガイドさんが「切腹する藩士をどのように決めたと思いますか?」と問いかけてきたので、ガイドの隣に座っていた私は即座に「くじ引きで決めました」と答えてしまいました。おそらくは知らない参拝客が驚くというガイドにとってクライマックスだったと思うのですが、・・・あとで知らないふりをすればよかったと思いました。
今回のガイドの案内はここまででしたが、15年前は、自由に庭に降りることができました。
切腹跡の碑 「英士割腹」
土佐藩氏とフランス兵の慰霊碑
以上3点は15年前の写真です。
今回、二十代の青年が一緒に案内されていたので、寺を出てから向かいの藩士の墓を案内してあげました。この事件のことを知らなくて、藩士の生々しい遺品を見てショックを受けていたようです。
本能寺の変の時に家康が滞在していたのが、この妙国寺です。その時の寺域は今の2倍ほどでした
「堺事件を語り継ぐ会」というのがあることを今回知りました。
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