総理大臣の戦後80年所感は次のように提起しています
『前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
政府および軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜(むこ)の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元首相の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。』
そして次のように述べています
『政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術に例え、「相当の心配はありますが、この大病を癒やすには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東条英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。』
この所感には全く持って同感です。こんなバカな戦争をして数百万人の犠牲者を出したことに対して反省することに反対する人がいるというのは驚きです。
相手を知らずにではなく、知っていて戦争を主導した人間を厳しく責任を問うことは、外国のためではなく、私たち自身に求められることです。
ブログに書くことはあまりありませんが、先の大戦についても大きな関心を持っています。戦争を多方面からとらえた光人社NF文庫や、戦争関連の本を読んでいます。
戦争で犠牲になられた方が、戦争を指導して、犠牲を強いた人を許すとはとても思えません。「犠牲を強いた側の人間を決して許さない」という決意を持ち続けることこそ、犠牲者に対するせめてもの弔いになると思っています。
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