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2025年8月

Duaringoでてっぺんを取りました

語学学習アプリのDuolingoのダイアモンドリーグでてっぺんを取りました。学習アプリですが、順位争いのゲーム的要素も強いです。
日曜日の午後7時がゴールです。
前日まで20人中1位でしたが、2位の人が夜中に(学習して)大量にポイントを獲得して、朝起きたら小差で2位に転落していました。私は午前に学習して結構な差をつけて逆転しました。2位の人はあきらめる差と思っていたのですが、アプリを見ていたら午後3時ごろ2位の人がまたポイント差を詰めてきました。競争心が湧いてきて、ここで「追っても追っても差が縮まらない」ようにして逆転を許しませんでした。
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優勝にこだわることは普段はないのですが、今回はメンバーを見てチャンスと感じて、一度ぐらいはてっぺんを取ってやろうと頑張りました。
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暑いさなかで外出しないので、室内競技感覚で楽しみました。

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日本vsカナダ ラグビーPNC

仙台で行われたラグビーテストマッチ(国代表同士の試合)で日本は57-15で快勝しました。

開始早々3分に日本が先制トライをあげ、試合の入りは上々でした。が、その後ノックフォワードなどのミスと、オフサイドの反則が多くなり31分にイエローカードをもらい1人少なくなりました。この不利な状況でワーナ・ディアンキャプテンのトライで17-10とリードして前半を終了します。
後半20分を過ぎるとカナダの運動量がガクンと落ち、日本がスピードに乗った攻撃でトライを重ね、57-15で快勝しました。

この試合でワーナ―選手が初キャプテンを務めました。プレーでもキャプテンとしてでも力を発揮していました。今後の活躍に大いに期待します。ラグビーはキャプテンの役割が大きいスポーツです。

そのワーナー選手が髪をちょこっと後ろで結んでいました
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今まで見た記憶がありません。それとも気づかなかっただけなのか?
今度会う機会があったら聞いてみたいです。ただ次シーズンは海外でプレーしますのでちょっと先になるとは思います。

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東芝、1回戦敗退 都市対抗野球2025

29日の3回戦、東芝はJR東日本と対戦しました。

始球式は、ラグビー・ブレーブルーパスのトッドヘッドコーチ、リーチマイケル選手、佐々木選手、眞野選手が参加しました。
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試合に入ってから応援団のステージに全員そろって上がって
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リーチさんが代表で激励のご挨拶
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応援風景は変わりません
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生観戦で「ビデオ検証」を初めて経験しました
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結果を場内アナウンスで告げるのですが、応援の声で聞こえませんでした
大リーグではアンパイアが、ホームプレート付近でアウト・セーフのジェスチャーを入れながら発表します。大リーグを見習うべきです。

試合は東芝が相手の立ち上がりを攻めて先制しました。ヒット数でも相手を上回りましたが、サヨナラ負けをしました。
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2回、3回と先頭打者を出しながらバントで送らず、9回にはまずい走塁がありました。勝ちを自ら手放したような戦い方に「なんだかなあ、」と、すっきりしませんでした。

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東京ドームに来ました

都市対抗野球の応援に東京ドームに来ました。

暑いのでテレビの前で応援するつもりでしたが、ここの所、出不精になっていたので、その反省を込めてやって来ました。

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大谷選手の凄さ

暑さを理由に外出もせず、大谷選手の試合を欠かさず見ています。

今日の試合で、ほとんどスピードボールを投げず、カーブとスライダーで投球を組み立てていました。もっとストレートボールを投げたら楽なのに?と思って見ていました。解説の荒木大輔さんもそのように言ってました。

その謎が解けたのが、試合後のインタビューで「カーブとスライダーを試しました。このボールを投げられれば、各球種の仕上げになります」と。なんと、公式戦ですが大谷選手にとってはリハビリの最終段階だったのです。リハビリはわかっていましたが、持ち球全部を使って抑えながらイニング数を増やしていくと思っていたので驚きました。持ち球全部を使わなくても抑えてゆくところに大谷選手の凄みを感じました。

相手チームのデラクルーズ選手は大谷選手を尊敬していて、日本語を勉強しているほどですが、デラクルーズ選手にスピードボールを最後に決めて三振を取っていました。ヌートバー選手に対してもそうですが、仲の良い選手だからこそ持てる力をすべて使って厳しく勝負するという哲学を感じました。

大谷選手に不可能はないと、ついつい見がちになりますが、749日ぶりの勝利は、大谷選手にとっても大きなハードルだったのだと思いました。

 

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リポビタンD ラグビーファン交流サイトを創設

リポビタンでおなじみの大正製薬が、ラグビーファン向けの交流サイトを作りました
名付けて「リポDラグビーファンパーク」
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ラグビーの日の8月24日から会員の募集を開始しました。

2019年のラグビーワールドカップ日本大会を契機に多くの企業がラグビーにかかわりを持ってくれるようになりました。それはそれで大歓迎ですが、大正製薬は、ラグビーを応援して25年になります。ラグビーが人気が出ていなかったころから支えてくれました。ラグビーファンとして特別に気持ちがはいります。

今後の展開に期待します。

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8月24日は「ラグビーの日」でした

知らなかったのですが8月24日は「ラグビーの日」でした。イギリスのラグビー校でサッカーの試合中にエリス少年がボールをもって走った日を記念したとのことです。
もう10年も前になったんですね、ラグビー校を訪れた記憶が鮮明に残っています

校舎の前にあるエリス少年像
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広大な敷地でどこが正門なのかよくわからなかったのですが
校舎の反対側にラグビーグランドに通じる門があります
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この門は1967年に女王によって開かれたとのエンブレムがあります

門の近くの道路にエンブレムが埋め込まれていました
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選手名のほかに
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ラグビー発祥の場である説明版
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門の前でうろうろしていたら、「中に入ってもいいですよ」と声をかけられました
ここからは学校の中です
ラグビー発祥の記念板
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エリス少年が走ったというラグビーグランド
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もう一度行きたいです。


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日本vsアイルランド 女子ラグビーワールドカップ25

イングランドで開催されている女子ラグビーワールドカップで、日本は最初の試合でアイルランドと対戦しましたが、14-42で敗れました。
前半を7-28でリードされた日本は、後半にトライをとって14-28となったあとの52分にアイルランドのトライラインまであと5メートルと攻め込み、あと1本のパスでトライと攻め込みましたが、アイルランドのインターセプトを許してしまいました
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別角度
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もっと外へボールを回していたら・・・。21-28と迫ったのに、
ここからアイルランドの独走を止めることはできませんでした。

次戦は、ニュージーランドです。予選プールは3試合しかありませんので厳しい状況です。

この試合で、アイルランドにモールで攻め込まれた日本は反則をし、イエローカードとなってペナルティートライを許したのですが、TMOとなってトライもイエローカードもキャンセルされました。こんなケース、テレビではありますが初めて見ました。
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ラインアウトのオブストラクションですので、このケースはレフェリーが笛を吹かなければいけないと思います。

アイルランド強かったです。

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小学生の孫がDuolingoを始めた

 オンラインの語学学習アプリのDuolingoを始めて半年になります。今や語学学習もさることながら、点数をあげるゲーム感覚でやっています。
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今日、小学生の孫が、Duolingoを始めたいと言ってきました。親と姉がやっていますので、それを横目で見ていて、それこそゲーム感覚で始めたいと言ったのでしょう。
私のスマホやタブレットには孫専用のアプリがはいっています。スマホがすでに日常生活に入っています。当面は親のタブレットでするということですが、マイタブレットが欲しいというのはきっと時間の問題なのだと思います。

 

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法隆寺収蔵庫見学のクラウドファンディング

法隆寺のクラウドファンディングは、ほぼ年中行事になっています。今秋の収蔵庫見学も募集が始まっています。
法隆寺は他の宗派に比べて末寺が圧倒的に少なく、個人的な支えがとても重要ですので、クラウドファンディングに私は理解しています。
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一度参加して金堂壁画も見学させてもらっています。今秋は見送らざるを得ないのですが、機会を見つけて金堂内部拝観付きに、ぜひ参加したいと思っています。

案内では「内部拝観」となっていますが、普段でも金堂内部で拝観できます(図の青矢印)
金堂内部の図
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今回案内の「内部拝観」とは外陣から拝観できるということだと思います。
通常の拝観ルートでは絶対見れないのは、釈迦如来坐像の光背に刻まれた刻文です。薬師如来坐像の光背刻文も普段は見られませんが、東京国立博物館での「法隆寺」展でまじかに見ることができました。ので、残る釈迦如来坐像の光背刻文は絶対に拝見したいと思っています。
夢殿の救世観音と、金堂の釈迦如来坐像は、おそらく寺外に出ることはないと思われますので、今回のような機会でないと拝観はかないません。

法隆寺のクラウドファンディングに多くの方が参加されたらいいなと思っています。





 

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大谷人気にのった広告

酷暑の中、家でMLBの試合中継を見る機会が増えています。
今日も大谷選手はすごいホームランを打ちましたが、それとともにバックネットの広告に思わず目が釘付けになりました。

広告は「日産プリンス兵庫 兵庫スズキ」
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日本向けの放送に画面構成したのではなく、実際に球場掲載された広告です
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国内でもローカルな広告ですが、MLBの中継にしっかり映っています

ドジャースタジアムは広告料が高いのでしょうが、ここ、クワーズ球場は目下断トツの最下位の球団の本拠地です
広告料はリーズナブルなのでしょう
ここに広告を出した知恵に感心しました。

明日は大谷選手が登板です。楽しみです。

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入江泰吉記念奈良市写真美術館

ここも気になっていた美術館でした。冷房が効いている施設であることも訪れた理由の一つです。酷暑でなければまだ行ってなかったかもしれません。7月30日の夕方に行ったのですが、閉館まで40分ほどしかなく。見切れないだろうと、翌日開館時間に合わせてゆきました。2時間はかかったので出直しは正解でした。
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誰もお客はいません。ビデオの準備もまだ用意ができていませんでした。
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大和路の著名な写真家ですので、今まで見たことがある写真も多かったです。

使ったカメラも展示されています
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入江泰吉が活躍した時代はずいぶん前でも写真は今でも新鮮です。



 

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「須恵器とは」展 平城宮跡歴史公園

須恵器は土器より高い温度で焼き、密度が高くて、お酒などの液体を入れるのに適しています。平城宮跡での展示会を見ました。20250814b5
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器ですので、消費地の近くで生産すると思っていました。
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ここまでは、私の持っている知識と同じです。

ところが、全国から平城京に集められていました
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律令国家の力をまざまざと見せつけられました

寺院の屋根の上に取り付けられる鴟尾も須恵で作られていたのは驚きです
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須恵器という小さな器からも奈良時代の様相が見えてくることを実感しました。


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半世紀ぶりの東大寺法華堂

7月31日、旅行の最後に東大寺法華堂に行きました。これまで何回も奈良に行ってて、これまで何回も東大寺に行ってて、この日法華堂にいったのは、ほぼ半世紀ぶりでした。
半世紀前に、法華堂に伺ったとき、不空羂索観音と日光、月光の両菩薩の姿に、まるで天上界に入り込んだような感覚になりました。私が仏像と対面した最上の体験でした。
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(日光、月光が安置されていた時の法華堂)

その日光、月光が今は東大ミュージアムに移って、あの感動がよみがえることはもうないのだと、なって、「あの感動を自分の中で守りたい」という気持ちが法華堂から自分自身を遠ざけていました。

拝観者は私一人、半世紀前と同じでした。堂内にいた係りの方に、「この仏様は、どこから来たのですか?」と質問したら、「以前からおられますよ」と答えてくれました。50年の間に私の中から、不空羂索観音と、日光、月光を除いた他の仏様が消えていたことに気づきました。

「50年ぶりに来ました」と話しかけたら、少しうれしそうにして、「きっとこの板張りはなかったのでしょうね」と床を保護する敷板をさしました。そういわれればそんな気になるもので、私の記憶は50年の間に心象風景化していたのだと気づかされました。

誰も入ってこなかったので、仏像談義をして、法華堂をを去りました。

仏像保護のため、地震もありますし、展示室で保管されることに私は賛成です。ただ、原風景がなくなってしまうことも事実です。特別公開などと商業主義的なにおいのすることではなく、展示室からお堂に戻す期間を年に数日間設けてもらえればよいのにな、と思っています。

法華堂に行ってよかった。

 

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聖徳太子薨去の飽波葦墻宮(あくなみあしがきのみや)跡

法隆寺夢殿から歩いて10分ほどのところに上宮遺跡公園があります。
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ここを訪れたのは2回目になります。前回訪れた時は。聖徳太子の住まいの宮の一つという知識でした。
今回の法隆寺夏期大学で考古学者の平田先生の講演から、ここが太子薨去の飽波葦墻宮」(あくなみあしがきのみや)の跡地であろうと教わりました。

公園の端に説明版があります
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以前来たときは、聖徳太子がおられた所と、この田圃を見ましたが、今回は、「亡くなられた所」と感慨深く眺めました。同じ風景でも気持ちの持ちようで変わってきます。
聖武天皇の娘の称徳天皇も来ていますので、奈良時代のものと飛鳥時代のものとを区別してみる必要がありますが、この日はとりあえず、そこまではいっておりませんでした。

遺跡公園から50メートルのところに、宮の跡の伝承を持つ成福寺があり、今はは廃寺になっています。大きな3メートルぐらいの石碑がありますが、立ち入り禁止ですので何の石碑かは確認できませんでした
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お寺であったことが実感できます。
入口はフェンスで閉じられています
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左手の石碑をよく見ると
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「太子道」と刻んであります。去年一部を歩いた太子道の終点がここだったのです。
(訪問日7月27日)

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勢野東遺跡(奈良県三郷町)

ほとんど注目されることのない遺跡ですが、奈良盆地で一番標高の低い縄文遺跡です。
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石碑は遺跡から数十メートル離れた場所に設置されています
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写真の赤丸のあたりが遺跡のあったところです

現地説明版にある通り1万5千年前の遺跡はまだ少なくて、ここは石器を作っていた遺跡です。
「石器」と聞くと、なんだ、石か!となりがちですが、今風に言えば、ここは工場地帯であったわけです。

この遺跡の持つもう一つの価値は、奈良湖(あるいは大和湖)が縄文から古墳時代にあったというフェイク情報を信じる人がいまだに多くいます。しかし奈良盆地で一番低いところにある遺跡(人間が生活した痕跡)ですから、そのような湖は存在しなかった何よりの証拠になります。
発掘調査報告書は簡単手に入らないのですが、「奈良県の遺跡」にも触れられています。
そこには「たびたび洪水があった痕跡が認められる」としています。湖の底では洪水は起きません
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あらためて奈良湖の存在を否定します。
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志賀直哉旧居(奈良市)

奈良市でずーっと気になっていたのが志賀直哉旧居です。どうしても奈良市内の他の史蹟を優先してきたのと、行っても書斎を見るぐらいなのかと思っていたのがなかなか行かなかった理由です。酷暑なのでそうは歩き回れないので、今回行ってきました。
志賀直哉の旧居は尾道にもありますし結構住居を移動している印象があります。なくなったのは渋谷です。

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すぐ2階に行きました。そこから見える景色にびっくりしました
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右手に御蓋山とその奥の春日山 びっくりしたのは左手に若草山が見えたことです。市街から来て左手に行けば若草山ですが、反対方向の右手に来たので、一瞬、わけがわかりませんでした。そして落ち着いてみると、この景色が志賀直哉がこの地を選んだ理由であろうことが容易に想像できました。

たたずまいは和風です
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ところが洋間もあり
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括りつけの冷蔵庫までありました
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個人の住宅としては、すべてそろっていて理想的な家でした。
文人墨客のサロン的な雰囲気が残っていました。
(訪問日7月30日)

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救世観音(法隆寺 夢殿)

百済観音は2メートルを超える長身の仏像です。救世観音(夢殿におられる方は、くせかんのんと濁らずに呼んでいます)も光背までの高さが3メートルを超える長身の観音様です。夢殿に安置される前はどこにおられたのか?最新の研究では聖徳太子の御子の山背大兄皇子が建立した法起寺か中宮寺の金堂に安置されていたのではないかとする説があります。
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今まで多くの仏像を見てきましたが、私にとって、他を圧して一番魅力を感じる仏様です。圧倒的な存在感が迫ってきます。明治になって秘仏として450メートルの白布でぐるぐる巻きにされていた救世観音を寺の抵抗を排して実見した時のフェノロサと岡倉天心が抱いた畏敬の念がわかる気がします。

法隆寺夏期大学の4日間、毎日百済観音を拝観しましたが、救世観音は2時間ほどの公開でした。夢殿で「百済観音は寺外によく出てますか救世観音は寺外に出たことはあるのですか?」と聞いたら、ニコッと笑て「一度もありません」との返答でした。

夢殿には、救世観音の背中側に聖観音立像が安置されています。非公開です。
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秘仏中の秘仏である救世観音を差し置いて、非公開の仏像の存在って何だろう?という率直な疑問があります。


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百済観音

法隆寺の諸仏の中で圧倒的に露出しているのが百済観音です。法隆寺夏期大学で行われた奈良国立博物館の館長による 「百済観音」素描 と題した講演で「そうだったのか」という納得のお話を聞くことができました。

本像は江戸時代から明治17年までは「虚空蔵菩薩」として伝えられてきました。明治20年に「朝鮮風観音像」として記録に表れ、それは見た目の印象から来たものでした。虚空菩薩ではなく観音として確定されたのは明治44年に宝冠が発見されて(それまでは宝冠がなくてつるんとした頭でした)その宝冠に弥陀仏があらわされており、観音像として確定されました。

丸枠が弥陀仏

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ただ、明治44年時点でも百済観音という名称はありません。
大正6年(1917年)に発行された「法隆寺大鏡」の本像の名前ではなく解説ランで「『百済観音』といひ」と出てくるのが初見です。そして大正8年和辻哲郎の古寺巡礼によって百済観音の名前が広まりました。
この百済観音は百済からもたらされたのではなく、もとより法隆寺金堂内陣北側に安置されていたというのが有力です。

明治28年に奈良の国立博物館が設立されますが、自前の所蔵品はなく、模写や模造品を展示するのみでした。百済観音は明治30年に奈良博物館に出品され、さらに明治44年から昭和5年まで博物館で展示されていました。この時期に博物館を訪れた和辻哲郎や会津八一らによって広く世に知られることとなりました。
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私は斜め右手前から見る百済観音が一番好きです。
海外でも展示された百済観音の知られざる来歴を知ることができました。

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40度超えを体験

今日は、スマホ体験会で、午前中は外出していました。
午前中とはいえ、歩いている時は暑かったことは暑かったのですが、ともかく我慢です。会場はエアコンが効いていますので何も問題はありません。
午後1時頃に戻ってきました。40度超えでした。
月並みな言葉ですが、サウナに入っているようでした。ただ、サウナでは風は吹きません。サウナと違うのは強くはないのですが風がともかく熱かったです。
ちょこっと寄った図書館は、暑さを避ける人がいっぱいで、いす席は空いていませんでした。
私が乗っている自転車は、電動アシスト付きです。普段は坂でないところでは電源を切っていますが、この日ばかりは平らなところでもアシストをきかせていました。

どうせ熱いなら、39.9度で止まるより40度超えてくれたほうが記録と記憶になるので良いです。(いささかやけ気味)
お互いに熱中症には気を付けましょう!

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三室山2号墳・3号墳 奈良県三郷町

本来、夏場は古墳見学には適していません。草ぼうぼうで蚊がいて・・・・、法隆寺夏期大学に合わせてですので、珍しい古墳に絞って見学しました。

双墓双室墳 簡単に言えば一つの古墳に石室が二つあり、その古墳が並んでいるというものです。方墳が並んでいます。
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1号墳はなぜかなく、こちらは2号墳 開口部です
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石室内部
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開口部を中から見ました
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3号墳の石室
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5cmぐらいしか開いてず、内部は確認できません

残念ながら2号墳3号墳とも、1室ずつしか確認できませんでした。
(訪問日7月25日)

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廃仏毀釈のリアル

明治になって「神仏分離令・廃仏毀釈」があって、多くの寺が困窮し文化財が海外に流失した。」ということは学校で習いましたが、それ以上の実態については知りませんでした。法隆寺夏期大学の中で、会津八一が秋篠寺の住職に聞いた話として
「秋篠寺は無人で手不足のため、西大寺から仏像が多く投げ込まれた。残念ながら坊主は供養してお祀りできないので、夜またそっとあちらに投げてくると、翌日またこっちに投げてきて、やったり取ったりでキャッチボールだね」
仏像のキャッチボールが行われた様子が語られていました。

秋篠寺は、それほど大きくなく、伎芸天がよく知られています
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この仏さまも、実は西大寺にあったということです。

私は以前、奈良の法華寺で四天王像の1体だけが小さくて、その場で「どうして1体だけ小さいのですか?」と聞いたことがあります。お寺の方は困った顔をして返事はもらえませんでした。
仏像は長い歴史の中で、時には強奪されたり、移動をしています。廃仏毀釈もその1ページなのでしょう。
いまは、そうした事情があるかもしれないという前提で、仏像に関する質問には注意を払っています。


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斑鳩(いかるが)地名起源説

法隆寺に、「斑鳩地名発祥地」の石碑があります。幅1メートルほどの立派な石碑です。
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この石碑は寺内の聖徳会館にあります(赤い印)
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聖徳会館は行事などで使われ、通常は参拝客は入れません。金堂のある東院伽藍から夢殿へ向かう、参拝客なら必ず通る道に面しながら塀に隔たれています。この立派な石碑は一般参拝客の目には留まらないのです。何のための石碑なのか?不思議です。

斑鳩の地名語源として イカル という鳥が群れを成していたという説など、いくつかあります。
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この石碑の言う語源は定かではありませんが、私にとって法隆寺の不思議の一つです。

 

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法隆寺・若草伽藍塔心礎

酷暑の中、法隆寺夏期大学への参加に躊躇がなかったわけではありませんでしたが、若草伽藍の礎石をやはり見たいという気持ちが勝ちました。厩戸王子(聖徳太子)存命中に関したものは、ほぼすべて地中にあります。その中で数少ない目に見えて触れることができるのが若草伽藍の礎石です。去年は憧れのアイドルにあって、ポーっとしたような感覚がありましたが、今年は、少し落ち着いて見て、触れることができました。
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この礎石は、明治になって寺の外に持ち出されました。大阪から戻ってきたのが昭和13年でした。

平田先生から説明がありました。礎石の下に穴を掘った形跡がないので、地上に置かれ基壇と同じレベルであったと思われます。”塔”は一般的には登るものではなく、登るようにはなっていないものですが、「ここに建てられた塔は登れるようになっていた可能性もある。」と見解を示されました。

明治20年以来続いた法隆寺再建・被災県論争の終止符を打ったのが若草伽藍でした。現在の法隆寺の中心となっている西院伽藍がほぼ南北になっているにに対して若草伽藍は北西に23度ほど振れています。若草伽藍が法隆寺の前身の斑鳩寺である決定的打となりました。

手前の杭が若草伽藍の中心線です。
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後方の塀(重要文化財)が東西線ですので、礎石と結んだ中心線は結構西に傾いているのが実感できました。

暑さがひどかったので、参加者の健康対策もあって、時間が30分ほどでした。若草伽藍の見学が許されるのが、夏期大学参加の条件のもと、年1回というのは残念です。多くの参加者の方が礎石に手を触れていました。

(訪問日7月26日)

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