聖徳太子の孫の墓(古墳)Ⅰ
聖徳太子の子が山背大兄王(やましろおおえのおう)です
その山背大兄王は、643年に斑鳩宮で
蘇我入鹿に襲撃されます。
いったん逃れますが、再び斑鳩宮に戻って
一族もろともに自害し、聖徳太子の王家はここに滅亡します
山背大兄王の子供=聖徳太子の孫の墓(古墳)が
橿原考古学研究所付属博物館にあります
『竜田御坊山古墳』です 3基が見つかっています
3号墳の棺です
陶製です。黒漆が塗られています、(珍しい)色からすると須恵質と判断されます
陶棺の中の副葬品です
左下は隋か初塔の硯などです
右は、琥珀製の枕(わが国初) 上が復元品です。
この陶棺を納めた石槨(石室が古墳時代終末期になるとこの形態になってきます)
入り口側に漆喰が残っています
陶棺を納めた後、蓋石をします
設備、副葬品とも超々高級品です
棺の中には人骨があり、年齢は14から15歳と推定され、
身長は150cmほどです
ところが棺の内寸が146cmしかなく、この被葬者様に用意された棺ではありません
1号墳では
3人分人骨が発見されていて、異常な状態になっていました
慌てて埋葬されたことがわかります
Ⅱ続きます
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