太子道
聖徳太子が飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)=推古天皇の宮殿と
ご自身の斑鳩宮とを行き来するために作った道を「太子道」と言います
(中世以降は法隆寺街道とも呼ばれました)
当時の道は、基本的に南北、東西でしたが
両所を結ぶため斜めに通されました(それゆえ筋違道とも呼ばれます)
現在もところどころ残っています
聖徳太子以降に藤原京が造られたので
飛鳥に近いところでは痕跡がなくなっています
法隆寺夏期大学の最終日(7月29日)に、その一部を自転車で走りました
川西町の観光パンフレット
マップです
赤矢印の場所の写真です(行政区分では河合町になります)
太子道の幅がどのくらいかは私の宿題となっています
こちらは安堵町に残る太子道です
太子道の説明板があります
道の近くに伝承を持つ史跡が多くあります
その一つの油掛地蔵の説明板
「聖徳太子の通学路として知られています」
通学していたの?と突っ込みたくなりました
太子道を歩く推奨コースがあります
以前から、ゆっくり歩きたいと思っていましたが
今回は、ほんの一部を自転車で走りました
(酷暑では歩くのは無理です)
いつか、ゆっくり太子道を歩きたいと思っています。
| 固定リンク
「歴史・史蹟」カテゴリの記事
- 橿原考古学研究所友の会 会報(2024.09.06)
- 法隆寺夢殿(2024.08.10)
- 額安寺と聖徳太子創建の寺 (2024.08.09)
- 聖徳太子の孫の墓(古墳)Ⅰ(2024.08.05)
- 太子道(2024.08.04)
コメント