法隆寺 若草伽藍 塔心礎
創建時の法隆寺(斑鳩寺)跡の若草伽藍の巨大な塔心礎
実は塔の中心にはありません
なぜこうなっているのか?
塔心礎が明治中期にお金持ちの収集の対象になり、
大阪に運ばれて、庭石として使われていました
(この頃、他寺院の礎石も多く運びだされました)
法隆寺の再建非再建の論争が高まった時に返還されました
その時に位置がずれて置かれたためです
礎石の形が、あまり例のない形です(真上からの写真)
江戸時代の記録と一致していますので、
庭石として使われた時に改変されたわけではありません
昨年から行われていた発掘調査の結果も夏期大学で報告がありました
(去年の11月に発掘現場を通他時の写真です)
29日に訪れました
草ぼうぼうで、この後建物が建つのでしょうか
発掘地は、図で示すと伽藍の南側(緑の楕円部分)です
場所としては、中門や南大門が想定されましたが
そうした遺構は発見されませんでした
門はどうなっていたのか、新たな不思議が生まれました。
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