聖徳太子の孫の墓(古墳)Ⅱ
竜田御坊山古墳(群)は、法隆寺の西に1kmほど離れたところにありました
「ありました」と、いうの60年前に土砂取り工事の途中で発見され、更地になりました
現地に行く前に見ていた地図です
赤丸が1号墳、中が2号墳、右端が3号墳です
現地に行って入手した資料の地図
この地図も、資料の説明文と違いますので検討が必要です
いずれにせよ地図の通り現在は住宅地となっております
「御防山」という地名ですが、江戸時代には「御廟山」となっており
貴人の墓所として伝承されていました
発見されたといっても、文化財の関係者がいった時には
ブルトーザーによって1号墳も2号墳も古墳の石材が散乱している有様
3号墳は墳丘が半分削られ石槨が露出している状態でした
地元の人の話によれば「古墳はもっと多かった」そうです
それらは、破壊され地中に埋まっているとのことです
悲劇的な死を迎え、さらに千数百年後にブルトーザーによって
永眠さえも破壊されるという悲劇となってしまいました
現地近くからの眺めです
奈良盆地が一望に望め、先に作られてあった藤ノ木古墳も眼下に見えます
竜田御坊山古墳群はもう少し掘り下げてみたいと思っています。
| 固定リンク
「古墳・古代」カテゴリの記事
- 古墳訪問記事を公開停止しました(2025.01.29)
- 古墳の木棺に新たな知見(2025.01.28)
- 古代の朱の生産技術(2025.01.20)
- 景行天皇の光る鎧(2024.12.27)
- 「古墳で眠る夢」?(2024.12.24)
コメント