« 2024年7月 | トップページ | 2024年9月 »

2024年8月

晴耕雨読ならぬ

台風がどこへ行くかわからない
その上、台風の余波で激しい雨が降ったりやんだりで、
3日間、一歩も外に出ていません

晴耕雨読という言葉がありますが、
読書もしていましたが、
Youtubeで歴史関係の講座をたっぷり見ました
1時間30分ほどの番組を10本以上は見ました
今時の雨読です

運動不足対策として
同じくYoutubeで、時間を決めてスクワットをしました
これはこれからも習慣にしてゆきたいです

台風の影響で停電になっている地方でのインタビューで
「大谷選手のテレビが見れない」と答えている方がおられました
思わず笑ってしまいましたが
実は私も欠かさず見ています

とはいえ、やっぱり外に出ないと健康に良くありません
明日あたりからは、外出しなくっちゃ!



| | コメント (0)

ラグビーリーグワン 2024-25日程発表

待ち望んでいた日程の発表がありました

気になるのは、もちろん東芝ブレーブルーパス
12月22日日産スタジアムでキャノンとの開幕戦です
ホーム開幕戦は、翌週29日の三菱との対戦で味スタです

前年2位のパナソニックはアウェーでの開幕戦です
前年1,2位がアウェーで開幕するのは、なんだかな―?と思います

次シーズンから増えた2試合のうち1試合は札幌ドーム(大和ハウスプレミスとドーム)の開催です
リーチさんの母校がある札幌での好試合を期待します

鹿児島での試合があるのかな?と思っていましたが
次シーズンでは実現しませんでした

6月1日がプレーオフ決勝です

各チームの実力が拮抗しそうなので
厳しい戦いになると思いますが、
連覇を目指してファイトしてほしい。

| | コメント (0)

太宰治ゆかりの跨線橋

三鷹に行った際、気になっている
太宰治ゆかりの跨線橋の様子を見てきました

跨線橋はまだ壊されていませんでした
20240827a1
見るなら今のうちですが
見るだけです

階段
20240827a2
入れません、が
階段の下の方は残っていました
20240827a3
そういえば、この部分のみはの残すと聞いた覚えがあります

残っていたことにホッとするとともに、
複雑な気持ちもあります。

| | コメント (0)

ラグビー日本代表カナダに快勝

パシフィックネーションズカップ初戦
バンクーバーへ遠征してカナダ代表と対戦し
55-28で快勝しました。
(前半 38-7 後半 17-21)

ワ-ナーディアンズさんが2トライで
マンオブザマッチに選ばれました
ワークレートの高さをこの試合でも魅せました

ジョネナイカブラさん、
ランの初速が早い!
自陣から60メートル走ってのトライは
やっぱりすごいです

久しぶりにJAPANのすっきりした試合を見ました。

前半 38-7
後半 17-21

| | コメント (0)

ソリッドモデルと三浦さん

ソリッドモデルというのは、木を削りだして作った模型です

三鷹で開かれた展示会(飛行機)に行ってきました
20240824a1
飛行機のソリッドモデル制作では三浦さんは有名です

「模型の塗装にツヤ無しを使っているのはなぜですか?」とか
いくつか質問しました
旧海軍の軍人で乗艦歴がすごいのですが
とても柔和、ソリッドモデルを離れて人物に興味を抱きました

ウクライナ支援のペーパークラフトを購入しました
20240824a2
20240824a3
ソリッドモデルは購入しませんでしたが
今後、機会があったなら検討したいです。

| | コメント (0)

竜田御坊山古墳の調査報告書を入手

聖徳太子一族の終焉にかかわる
竜田御坊山古墳の調査報告者を入手しました
20240823a1
通例は「発掘調査報告書」となるのですが
破壊されかけてから現地調査されたので
『発掘』の文字がありません

昭和52年3月の発行です
47年前の発行です
この古墳を意識したのは今年ですから
年月の経過に、ため息が出ますが、
入手できたことに感謝です

読み進むのが楽しみです。

| | コメント (0)

”GINON”レモンサワーを無料でいただきました

LINEでアサヒビールの商品にプレゼントによく応募しています
今回も無糖レモンサワーに当選しました
20240819a1
引き換えていないとフォローが来ます

コンビニで在庫を確認します
20240819a2
コンビニとしてはついで買いを期待しているのでしょうが
別に欲しいものがなかったので、引き換えしただけでした

アサヒ党なので、他のメーカーは知りませんが
当選確率は高いです

テイストは、しつこくなく口当たりがよいです。

| | コメント (0)

東芝ブレーブルーパスファンクラブ募集予告

9月上旬から募集開始する予定と、
メールで事前告知がありました

猛暑の中ですので、ラグビーシーズンはまだ先ですので
少し驚きました

会員種別は未定となっていますが
増えそうな気がします
会員種別がどうなるか、とても気になります。

| | コメント (0)

コーヒーマシーンが戻ってきました

修理を依頼していたコーヒーマシーンが戻ってきました
ネスレ(個人的にはネッスルの呼び方に親しみを感じます)のマシーンです

ヤマト運輸が箱持参で取りに来て
1週間で戻ってきました
保証期間内でしたので、無料でした

一時的に子供から借りていた赤いマシーンと
戻ってきたグレーのマシーン
20240822a2

カプセルが入ったまま、外せなくなり故障しました
私の操作がまずかったのですが
ネスレの対応は良かったです

単にコーヒーを抽出するだけと、マシーンを甘く見ていました
水を高圧にするなど、意外と複雑な仕組みを持っているということがわかりました
すすぎなど、メンテをきちんとしなければいけないですね

スマホのアプリから抽出します
20240822a3
(アプリの画面)
コーヒーブレークが戻ってきました

| | コメント (0)

iPad教室 日野 20240821

午後のコースは、休講となりました

午前コースでは、
写真合成の仕上げをしました
過去2回勉強したのですが、2回とも時間切れとなってしまっていました
今日は、十分勉強しました

こんな感じです
20240821a1
3枚の写真を合成し、文字を書き込みました

あとは、何回も作って慣れるだけです

続いて
iPhoneのカメラ機能についているLive Photosの解説です。
以前にH講師が解説していたのですが、私自身忘れてしまっていたので
あらためて勉強しました。

さらに、質問に答える形でH講師からLineのスタンプと絵文字の解説
部屋の中は涼しく、良い時間を過ごしました。

| | コメント (0)

『神武天皇の歴史学』読了

外池昇氏の著作です
20240818a1
伝説上の人物の神武天皇の墓がなぜあるのか?
それは、幕末に孝明天皇が伝承地3ヶ所から選んで決めたからです。

そこは知っていたのですが、なにをもとに孝明天皇が決めたのかがわかりませんでした
本書はその経緯、歴史的背景について詳しく書かれています
幕末に作られた神武天皇陵に関する決定版といってよいと思います


天皇や皇族がお参りする墓が「さしたる根拠もない墓である」こと
伝説上の人物の墓を作るというのは、そういうことなのですが
大方の人は、そうしたことは知りません

この本は、幕末に作られた神武天皇陵について述べていますが
藤原京を作った時にも作られています

神武陵については、あらためて記事にしたいと思います。





| | コメント (0)

ラグビーチケット購入に支障

9月14日、15日のパシフィックネーションズの
チケット先行販売に申し込んでいたのですが、落選しました
(嫌な予感がしました)

昨日、一般発売で購入手続きをしたところクレカ決済ができませんでした
結局コンビニ支払いで購入しました

以前に抽選販売に当選した時に、
誤って引き落とし拒否にしてしまったのです
つまりブラック口座に指定してしまったわけです。

これからも先行販売に申し込めません。不便です

ブラック口座指定を解除するために、
クレカ会社と手続きを進めなければなりません。

| | コメント (0)

アンチウィールスソフト

現在のマイパソコンのアンチウィールスソフトは
ノートンです。
2年ほど前に2台購入した時に2台分でお得ですと進められました
どこでも同じようなものだろうとて導入しました

この判断はよくなかったと今は思っています
以前は、ずーっとウィルスバスターでした
勤めていた会社が使っていましたので安心感がありました

このソフトはやたらとオプション(有料)の購入を進めてきます
たびたび拒否していたら
今週になって「お客様は前のバージョンをお使いですが、
今回からは無料で利用できるようになりました」とメッセージが出ました。
セキュリティーには関係なく、パソコンのスピードに関係する部分なので
オプションというのはわからぬでもないですが
ウィルスバスターでは、普通にカバーしてもらっていた機能です

アンチウィルスソフトは、他の商品と違って比較しにくいものです
今回、よくわかりました。
個人的にはウィルスバスターが良いです。

 

| | コメント (0)

鹿児島の特攻資料館

卓球の早田ひな選手が「生きていること、当たり前じゃない」と、
「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と発言したことが報じられています。

気持ちは、よくわかります。
私も20年前か?どうか?正確には覚えていないくらい前に
知覧へ行き特攻平和会館、そして太刀洗平和記念館に行きました
命を散らさざるを得なかった若者の写真や遺書、遺品を見ると
胸が締め付けられる思いの連続でした。

ただ、彼らの人生を奪った戦争指導者・責任への
言及がなかったことに強烈な違和感を感じました

「特攻隊の犠牲があったから、戦後の平和な日本がある」
というだけでは、彼らに報いることにならないと思います

東条英機をはじめ、旧日本軍の指導者層のでたらめぶりに
私は怒りを持っています

記念館には、戦争指導者の責任追及をきちっとして欲しいと願います

特攻隊員が本土を離れる最後に別れを告げた
開聞岳にも登りました。私にとっての慰霊登山でした

先の大戦の犠牲者を忘れないとともに
戦争責任者を許さないという気持ちを持ち続けることが
彼らを慰霊することになると思っています。

| | コメント (0)

塚穴山古墳

天理市にある塚穴山古墳は、飛鳥の石舞台古墳にせまる大きさの巨大古墳です
隣接の墓地からゆこうとしましたが、フェンスに阻まれて大回りして天理教の施設を通ってゆきました

墳丘は大きく削平されています 天井石はありません
20240815a2
元は直径65m、周濠が13mもある巨大古墳です
物部氏の絶頂期の古墳と見られています

奥壁側から周りました
20240815a3

石室側面です
20240815a4
石室の床石が大きいです このような大きい床石初めて見ました
石室に入って床石の大きさに、あらためて驚かされます
20240815a6


石室入り口からの写真です 奥壁の前に私が立っています
20240815a5

右側面の石です

これまた大きな側石に驚かされました 1枚岩です
20240815a7

奥壁から入口方向の写真です
20240815a8
石室の入り口の石は両側から出ています(両袖式)

データー図面です
20240815a1

物部氏の力の大きさを実感しました

普通に観光客が行けるならば、石舞台古墳と並んで
多くの人が訪れるのでしょうが

古墳に興味ある方には必見の古墳です。
(訪問日 7月30日)

| | コメント (0)

「布留遺跡の歴史」展 天理参考館

20240814a1
布留式土器の名で知られる布留遺跡は天理市にあります
遺跡は旧石器時代から奈良時代まで続きますが
天理教の施設の下で眠っているか
多くは消滅していますので、
現地では石碑が建っているぐらいで実際に目で見ることはできません
20240814a4
副題で「物部氏より前から後まで」となっていますが
物部氏と直接結びつく遺物はありませんでした

ですが、布留遺跡の長い歴史を俯瞰して見ることができる展覧会です
20240814a2

夏休みの子供さんの見学も多く
説明札が 関西弁(奈良弁?)だったのが面白かったです
20240814a3
(訪問日 7月30日)

| | コメント (0)

「神護寺」展 東京国立博物館

上野の国立博物館の神護寺展に行ってきました。

一番の呼び物は日本最古の高尾曼荼羅 前期は胎蔵界曼荼羅です
20240813a4
4メートルX4メートルある大きな曼荼羅です
実物は、この写真より暗いです
江戸時代の模写が展示され
動画でも拡大された紹介されていますが
せっかく実物があるのに自分の目で見たいです
単眼鏡(私は展覧会用の双眼鏡を持参)が必携です
微細にして暗く、肉眼では見えない部分が多いですが
これがあれば大丈夫です

伝源頼朝像
20240813a5
今では頼朝ではないというのが定説です
京都国立博物館で見ていますが、もっと大きかった印象がありました

「撮影可」のコーナー
20240813a2

空海の自筆文書が見られます
頼朝の自筆も、たぶん自筆は花押だけだとは思います
文覚の書状もありました

ショップコーナーでは「撮影可」
20240813a3
珍しいです

密教には、関心は強くないのですが
空海の帰朝の頃や、頼朝の時代の雰囲気が味わえました。


| | コメント (0)

OB飲み会

久しぶりの飲み会でした。

Img_1970Img_1972

| | コメント (0)

法隆寺夏期大学を振り返って

7月26日から29日までの法隆寺夏期大学に参加して
参加後の調べ事も一段落しました
Img_1756
送られてきた参加者カードに1回目と記載されて、
この先も参加しなさいと、無形の圧力をちょっとだけ感じました
Img_9798
500人が集まって、自由時間には周辺の史蹟に散らばりますので
あちこちで出会い、「同級生意識」が芽生えます
Img_1855
炎天下で記念撮影を辞退された方も多くいらしたようです
寺内では、参加者に対して暖かいもてなしを感じました

お盆や法要と並んで夏期大学も中門の横で告知されていました
20240811a1
法隆寺と東大寺管長(トップ)奈良国立博物館講師講話の内容も大変良かった
若草伽藍の塔心礎を見たい一心で参加した夏期大学でしたが
太子信仰に対する理解が少し進んだ気がしましたし
法隆寺への多面的な理解も進み、とても充実した時間でした。

額安寺で、たまたま会大学参加者の方とお会いしました
お一人は12回参加、もう一方は6回参加でした
私が初回と聞いて「来年もぜひ参加してください」と、お誘いを受けました

参加したいのは、やまやまですが、さあどうするか?
ゆっくり考えます。

| | コメント (0)

法隆寺夢殿

斑鳩の地名の発祥地の碑
20240810a1
夏期大学の講習会場の敷地にありました
せっかくの石碑ですが、普通に法隆寺を訪れた参拝者は見ることはできません

同じく講習会場から望み見た夢殿
20240810a2
中央が夢殿です、この景色も一般の参拝者には見ることができません
石碑といい、ちょっと残念です

中宮寺から見た夢殿
20240810a3

絵殿から見た夢殿
Img_1645_20240810223001
写真を撮ろうとしたら、係の方が声をかけてきました
遮って「ここは普段は公開されていないので、ここからの写真を撮りたいのです」
係の方が納得していました
夢殿は、南西角からとるのが美しいといわれています

ここ数年、正倉院展と合わせて夢殿の救世観音を参拝しています
夏期大学初日の特別公開で拝観をしていましたので
お厨子はどんなだたのかと思い厨子を確認しました
20240810a5
やっぱり、仏様は拝顔してこそありがたみがあります。

| | コメント (0)

額安寺と聖徳太子創建の寺 

聖徳太子が造った熊凝精舎(くまごりしょうじゃ) を起源とする
額安寺(かくあんじ)を7月30日に訪れました
(行政区分としては大和郡山市です)
20240809a1
太子創建伝承を持つ寺の一つですが、
古刹にはかわりありませんが、額田部氏の氏寺として創建された
とみるのが妥当なようです

私が訪れた月曜日(7月30日)は、お休みでした
20240809a2
額田部郷の場所を確認出来ただけで目的は達成です

聖徳太子創建の7ヶ寺は
法隆寺、広隆寺、法起寺、四天王寺、中宮寺、橘寺、葛木寺です
法隆寺、四天王寺は、まさしく太子創建です
他の寺院は創建とは言い切れませんが
聖徳太子と深い関りがあることにはかわりません

太子建立の48ヶ寺という括りもあります
天台宗の最澄は聖徳太子の玄孫であるという伝承があります
(ご自身が言ったことではないでしょうが)
親鸞も聖徳太子を尊敬していました
こうした宗派を中心として、太子創建の寺という伝承が造られたのでしょう
法隆寺の寺領(荘園)のある地でも「太子創建の寺」の伝承が造られたのでしょう

結果、太子創建の寺の伝承を持つ寺院は全国に300ほどにもなりました。



 

| | コメント (0)

仏塚古墳 奈良県斑鳩町

斑鳩大塚古墳など過去に斑鳩町の古墳の多くは廻っていますが
石室が開口している、おそらくは唯一の古墳と思います

早くから開講していて、
鎌倉時代から室町時代の金銅仏などが多量に出土していて
「仏塚古墳」の名は、こうしたことを反映しています
20240808a1
手前は羨道の一部なの石なのでしょう

鍵がかかっています
20240808a5
文化財課の方に「鍵を開けてもらうことはできますか?」と、
次回の訪問のために事務所にいる方に参考に伺いました。
問い合わせてくれて「事前にお問い合わせしてくれれば、調整して開けます」とのことでした
お答えしてくれた方は、現在発掘現場にいるそうです。
気温36度の炎天下で発掘調査中と知って
私のようなアマチュアが、天候が穏やかな季節になっても、
「鍵を開けて」とは、いうべきでないと判断しました

一辺が23mの方墳です
20240808a2
盗掘にあっていましたが3種類の陶棺の破片が出土しています
6世紀後半の築造です

石室内
20240808a3
長さは3.9mです

盛り土部分
20240808a4

縄文土器や弥生式土器、石器片も出土しているそうです
見た感じでも、墳丘はきれいではありません
いろいろな歴史を持った古墳なのだろうと想像しました。



| | コメント (0)

見ようとしなければ、見えない

「見ようとしなければ、見えない」 常々心がけていることですが、
今回も、その至ならさを感じさせられました
聖徳太子一族の墓と呼ばれていれば私の反応も違ったのでしょうが
「竜田御坊山古墳」といわれても、ピンときていませんでした

竜田御坊山古墳が発見(破壊)されてから60年が過ぎていました
(このことは今回初めて知りました)


橿原考古学研究所付属博物館でも
ガレージの中にある石槨にもだいぶ以前に気付いてはいましたが
それが聖徳太子一族の墓だとは、全く思っていませんでした
20240805a12
館内ではなく、ガレージですので館内を見てからと思いながら
忘れてしまっていました

入口にも案内がありますが」、いつの日か無視するようになっていました
20240805a13

あちこちで陶棺は少なからず見ています
20240805a14

竜田御坊山3号墳の陶棺については
20240805a15
普通の陶棺とは違うな!とは感じても
それだけで印象に残ることもなく通り過ぎていました

法隆寺夏期大学に参加するに当たって
以前から行ってみたかった太子道などに加えて
法隆寺周辺の史跡、遺跡を改めて調べて出てきたのが
聖徳太子一族の滅亡でした

「見ようとしなければ、見えない」
まだまだ心がけが足りない!と、強く思いました。





| | コメント (0)

聖徳太子の孫の墓(古墳)Ⅱ

竜田御坊山古墳(群)は、法隆寺の西に1kmほど離れたところにありました
「ありました」と、いうの60年前に土砂取り工事の途中で発見され、更地になりました
現地に行く前に見ていた地図です
20240805a2
赤丸が1号墳、中が2号墳、右端が3号墳です

現地に行って入手した資料の地図
20240805a1
この地図も、資料の説明文と違いますので検討が必要です
いずれにせよ地図の通り現在は住宅地となっております
20240805a11

「御防山」という地名ですが、江戸時代には「御廟山」となっており
貴人の墓所として伝承されていました

発見されたといっても、文化財の関係者がいった時には
ブルトーザーによって1号墳も2号墳も古墳の石材が散乱している有様
3号墳は墳丘が半分削られ石槨が露出している状態でした

地元の人の話によれば「古墳はもっと多かった」そうです
それらは、破壊され地中に埋まっているとのことです

悲劇的な死を迎え、さらに千数百年後にブルトーザーによって
永眠さえも破壊されるという悲劇となってしまいました

現地近くからの眺めです
20240805a10
奈良盆地が一望に望め、先に作られてあった藤ノ木古墳も眼下に見えます

竜田御坊山古墳群はもう少し掘り下げてみたいと思っています。


| | コメント (0)

聖徳太子の孫の墓(古墳)Ⅰ

聖徳太子の子が山背大兄王(やましろおおえのおう)です
その山背大兄王は、643年に斑鳩宮で
蘇我入鹿に襲撃されます。
いったん逃れますが、再び斑鳩宮に戻って
一族もろともに自害し、聖徳太子の王家はここに滅亡します

山背大兄王の子供=聖徳太子の孫の墓(古墳)が
橿原考古学研究所付属博物館にあります

『竜田御坊山古墳』です 3基が見つかっています
3号墳の棺です
20240805a3
陶製です。黒漆が塗られています、(珍しい)色からすると須恵質と判断されます
陶棺の中の副葬品です
20240805a4
左下は隋か初塔の硯などです
右は、琥珀製の枕(わが国初) 上が復元品です。

この陶棺を納めた石槨(石室が古墳時代終末期になるとこの形態になってきます)
20240805a5
入り口側に漆喰が残っています
20240805a6
陶棺を納めた後、蓋石をします
20240805a7
設備、副葬品とも超々高級品です

棺の中には人骨があり、年齢は14から15歳と推定され、
身長は150cmほどです
ところが棺の内寸が146cmしかなく、この被葬者様に用意された棺ではありません
20240805a8
1号墳では
3人分人骨が発見されていて、異常な状態になっていました
20240805a9
慌てて埋葬されたことがわかります

Ⅱ続きます

| | コメント (0)

優勝記念Tシャツがようやく届きました

東芝ブレーブルーパスの優勝記念Tシャツが、
今日、やっと届きました
20240805b1
2ヶ月ほどかかったでしょうか?
ちょっと、かかりすぎ!

とはいえ、シーズンオフですので
サインをもらえるわけではありません
気長にシーズン開幕を待ちます。

| | コメント (0)

太子道

聖徳太子が飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)=推古天皇の宮殿と
ご自身の斑鳩宮とを行き来するために作った道を「太子道」と言います
(中世以降は法隆寺街道とも呼ばれました)
当時の道は、基本的に南北、東西でしたが
両所を結ぶため斜めに通されました(それゆえ筋違道とも呼ばれます)
20240804a9
現在もところどころ残っています
20240804a8
聖徳太子以降に藤原京が造られたので
飛鳥に近いところでは痕跡がなくなっています

法隆寺夏期大学の最終日(7月29日)に、その一部を自転車で走りました

川西町の観光パンフレット
20240804a3
マップです
20240804a2
赤矢印の場所の写真です(行政区分では河合町になります)
20240804a4
太子道の幅がどのくらいかは私の宿題となっています

こちらは安堵町に残る太子道です
20240804a1
太子道の説明板があります
20240804a5
道の近くに伝承を持つ史跡が多くあります
その一つの油掛地蔵の説明板
20240804a6
「聖徳太子の通学路として知られています」
通学していたの?と突っ込みたくなりました

太子道を歩く推奨コースがあります
20240804a7

以前から、ゆっくり歩きたいと思っていましたが
今回は、ほんの一部を自転車で走りました
(酷暑では歩くのは無理です)

いつか、ゆっくり太子道を歩きたいと思っています。


| | コメント (0)

スマホ相談会

猛暑の中、
私としては、今年度最初の相談会でした

猛暑の中、相談に来られた方の
お役ににたてたならうれしいです。

| | コメント (0)

法隆寺 若草伽藍 塔心礎

創建時の法隆寺(斑鳩寺)跡の若草伽藍の巨大な塔心礎
20240803a54
実は塔の中心にはありません
20240803a2
なぜこうなっているのか?
塔心礎が明治中期にお金持ちの収集の対象になり、
大阪に運ばれて、庭石として使われていました
(この頃、他寺院の礎石も多く運びだされました)
法隆寺の再建非再建の論争が高まった時に返還されました
その時に位置がずれて置かれたためです

礎石の形が、あまり例のない形です(真上からの写真)
20240803a1
江戸時代の記録と一致していますので、
庭石として使われた時に改変されたわけではありません

昨年から行われていた発掘調査の結果も夏期大学で報告がありました
20240803a4
(去年の11月に発掘現場を通他時の写真です)

29日に訪れました
草ぼうぼうで、この後建物が建つのでしょうか
20240803a7

発掘地は、図で示すと伽藍の南側(緑の楕円部分)です
20240803a3
場所としては、中門や南大門が想定されましたが
そうした遺構は発見されませんでした
門はどうなっていたのか、新たな不思議が生まれました。

| | コメント (0)

法隆寺 若草伽藍

聖徳太子が創建した法隆寺は火災で燃えてしまいました
現在の法隆寺は、太子の死後に再建されたものです

太子創建の旧法隆寺(斑鳩寺)は、若草伽藍として地中に眠っています
その若草伽藍の塔心礎が見たいがために、4日間の夏期大学に申し込みました
そして念願の若草伽藍塔心礎とのご対面です

20240802a1
「やってきましたよ」と、手で触れました
20240802a2
仏舎利を入れる孔はあいておりませんので
仏舎利は塔の上部に据えられたんでしょう
(現在の塔では仏舎利は塔の根元にあります)
20240802a4

普段は見れません、塀の外から拝めるよう
位置を確認しました
20240802a3
外からは、電信柱が目安にしていましたが、もう少し西であることがわかりました

私と同じく、この塔心礎を見たい人が多くいて
去りがたくしていました

ようやく、人が入らない 塔心礎単独のアングルで撮ることができました
20240802a5

建立の際の式に聖徳太子が列席してこの塔心礎を見ていたのだと想像すると
去りがたかったです。



 

| | コメント (0)

法隆寺の礼拝石

法隆寺の金堂の前に「礼拝石」があります
20240801a1
20240801a2

五重塔の前にもあります
20240801a3

礼拝石の存在そのものは知っていましたが
以前は気にしてなかったのですが、
金堂の内部から礼拝石を見て気になり聞きました

「以前は、仏像を直接拝むことができなく、あの石から拝んでいました」
との説明でした
以前とはいつの時代のこと?とか、真偽ははどうなのか?疑問がわいてきました

南大門の前にもあります
20240801a4

思い出したのは、明日香の山田寺(跡)です 礼拝石がありました
20240801a5
山田寺の礼拝石が創建時の物であれば、確認できる最古の礼拝石です
(発掘調査報告書を読んで確認する必要があります)

「礼拝石」について、もっと知りたいと思いました。

| | コメント (0)

法隆寺 護摩堂

護摩堂は、密教の仏堂です
密教は最澄・空海が平安時代に日本に紹介した教えです
法隆寺に護摩堂があることは、知りませんでした

南大門から中心伽藍に向かう右側にあります
20240731a3
奥に五重塔堂が見えます
法隆寺を訪れる人が必ず通る参道です
普段は閉じられていることがほとんどでしょうから
通りすぎることがほとんどだと思います


法隆寺とは宗派が違うでしょう。と思うのは私のような一般人であって
寺院側では、宗派を超えて仏教としての協力の形なのでしょう
20240731a1
西大寺に行って勉強してくるそうです

お坊さんの右にある石碑には「天満宮」とありました
天神さんを勧請した時期があったそうです
聖徳太子のイメージでいっぱいですし、それは誤りではないですが
創建から千数百年、その後の長いの歴史が垣間見えます

夏期大学参加者(希望者)堂内に入らさせていただきました
20240731a2
私も護摩木を焚いてもらいました
(’24/7/28 夏期大学) 

| | コメント (0)

« 2024年7月 | トップページ | 2024年9月 »