御葢山(みかさやま)登拝
『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも』
の歌で有名な、春日大社の神体山・御葢山(神域)に登拝しました。
(9月24日)
本殿の右手にある本宮遥拝所の鳥居(ここから神域)をくぐって
御葢山の頂上を目指します。
神域ではありますが、撮影はOK
同じ神体山の三輪山は、撮影不可
一木一草持ち帰ってもダメでした。
遠く常陸の鹿島から御祭神が降り立った山頂の浮雲峰
(小さな社)本宮
磐座(いわくら)がない!
神体山は通例神が降りる岩があるのに、無い
無いので山頂を「浮雲峰」つまり『峰』と称した意味が理解できました。
ここで事前に配布されていた「神拝詞」から
大祓詞(おおはらえのことば)を全員で奏上しました。
参拝者の全員の氏名も読み上げられました。
ここで参拝終了と思ったら
なんと「般若心経」を読経
正直、度肝を抜かれました。
春日大社から般若心経から配布されることはもちろんありません。
しかも多くの方がそらで読経しています。
神仏習合が眼前でこれほど繰り広げられたことは強烈な印象として残りました。
下山の時に、導師が途中で引き返しました。
この登拝はコロナで休止している時間が長く
誰も立ち入れない状態が続いて、
その間に沢の地形が変わっていたことが原因でした。
春日大社は、平城京遷都、造都に合わせて、藤原氏が
いわば「作った神社」です。
おそらく神体山とするには若草山の方が適していたと思います。が、
若草山の頂上には前方後円墳があり若草山より低くて目立たない御葢山が選ばれたのでしょう。
磐座がないのはこうした事情の反映と理解できます。
(若草山より見た御葢山)
若草山からの下山途次からの有名な眺め
藤原ファミリーの聖武天皇が建てた東大寺
藤原不比等邸、と平城京が広がり
左手は藤原氏の氏神・春日大社、氏寺・興福寺
右手には聖武天皇、藤原出の光明皇后の陵墓があります。
この眺めは、藤原氏が国家権力を握った物語の風景です。
風景の眺め方が単なる古都の風景から変わりました。
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