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出雲国府跡

奈良時代の出雲の中心は、現在の松江市大草地区にありました。

国府跡
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国庁跡(国府の中心施設)
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国分寺跡
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礎石が残っています

正倉跡
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山代郷南新造院跡
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出雲臣弟山が建てました
埋め戻されていましたが、郡司No2が建てる人の寺院の規模規模がわかりました

山代郷北新造院跡
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『出雲国風土記』に書かれている寺院です。
日置君目列が建てました
階段
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ステップが小さく階段としての実用性はありません「飾りの階段ではないか?」との説明がありました

出雲国府とその周辺の史蹟を巡り、出雲大社の位置づけが少しわかってきました
出雲大社(の名前になったのは明治からです)は、弥生時代も古墳時代も、そして奈良時代も出雲の中心ではありませんでした。
出雲氏は飛鳥、奈良時代から徐々に朝廷によってそがれてきた力が、延暦17年 (西暦798年 )国造大領兼帯の禁で、杵築(出雲)大社の神官に押し込められたように感じられました。
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赤丸が国府です。出雲大社は出雲の国の西のはずれになります。

出雲大社が出雲の中心だと、この地に来るまで思っていましたが、遺跡や古墳を巡ると古代ではそうでなかったことを理解するようになりました。




 

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