出雲国造
6月の出雲旅行では、古墳や遺跡の情報をチェックして旅程を決めました。
国譲りや国引き神話は、勉強の対象とはしませんでした。
(記紀神話は、多くの氏族の思惑の妥協の産物なので、わけわからない物語になっています)
ただ、出雲大社と出雲国造(出雲の国の首長)に関しては
旅行前の感想が旅行後に変わりました。
まず、出雲大社の位置
国府が出雲の中心(県庁に相当)国造はここにいます
さらに出雲郡の郡庁(市役所に相当)は西にはなれています。
出雲大社はその郡庁からも離れています
上の地図の郡庁と出雲大社の位置関係です
現在の地図ではなく、弥生から奈良時代の地勢図です
宍道湖も今より大きいです
黄色が出雲大社です
出雲郡の中でも中心から離れています
出雲大社付近の拡大図です
出雲郡の中で、出雲大社は、隔絶されています
大社がある位置は、出雲郡杵築郷です。
従って杵築大社と呼ばれていたことは当然です
体よく追われた感じです。
現在の地図だけ見ていては、わからないことです。
旅行前は、出雲大社が出雲の中心と思っていたのが古代では全く違っていました。
古代では、出雲の端の離島みたいな感じなところです
(この近辺には権力者の墓である古墳は、ありません)
出雲氏は、国造として国府にいたものが、708年大和政権から忌部氏が使わされ実質的にはナンバー1からは落とされました。
国譲り神話が記載された古事記、日本書記が成るのは、この後のことです。
さらに90年後の798年には、出雲国造は、杵築大社の祭祀のみに専念することになり政治の権限は全く失われました。
国譲り神話は「神話」時代の話ではない。という思いを強くしました。
ちなみに、神話では兄弟が仲たがいしたように描かれていますが、遺跡、古墳からは出雲内部で争ったような状況はなかったようです。
出雲神話、出雲大社に興味がわいてきました。
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