岩屋後(いわやあと)古墳 松江市
岩屋とか窟屋との名前を持つ古墳は墳丘がなくなって石室が露出している古墳ですが、後(あと)とつく名は何を意味しているのか?この点は聞き損なってしまいました。
水田の中にポツンと石室があります。
石棺式石室です。
石棺自体を大型化して石室にしたものです。
そのルーツは熊本に求められます
この地でも多く見られ、この古墳はその中でも最大級です
石室そのものが家型ですが、石室天井の裏側も家型です
岩屋後古墳の石室式石棺の復元模型です
飛鳥の石舞台古墳をはじめとして、石室の天井は平たくなっているものが圧倒的に多いです
なぜなら石室完成後は土を盛るので石室の天井石の上面は見えなくなります。
見えなくなる石室の天井上面石を、この地ではなぜ手間と時間をかけて家型に丁寧に作るのか?
他の古墳の発掘事例がヒントになります
発掘調査した古墳の盛り土の部分から赤で囲った(出雲型)子持壺が出土しました
つまり、土を盛る前に、葬礼の儀式が行われたということになります
平らな天井石が並んでいるだけの状態では儀式ができなかったのです
儀式が終わってから、土を盛りました。
古墳・石室・石棺にはいろいろなタイプがあります
それは、とりもなおさず、葬儀の仕方の違いの結果ということになります。
古代(古墳時代)出雲の中心は、意宇地方で、その中心にこの古墳はあります
早くから開口し、副葬品は埴輪や土器など一部しかわかりませんが、
出雲トップクラスの人物のお墓であった可能性が強いです。
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