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2023年7月

ラグビー 日本代表vsトンガ

対オールブラックスXV2試合とサモア戦に負けているだけに、内容以上に勝ちという結果がぜひ欲しい試合でした。

前半20分に、スクラムを起点に大外のナイカブラ選手に渡して先制トライ
主導権を握った日本が、地域の取り合いでは劣勢だったものの

日本 21 ― 16 トンガ

で、勝利しました。

期待していたナイカブラ選手が、テストマッチ初トライに続き、前半終了間際のファカタバ選手のトライに結び付ける敵陣裏へのパスと活躍しました。
ここまでの試合で強烈なタックルを見せていたナイカブラ選手でしたが、バックスですのでやはりトライという結果が欲しかったので、うれしいです。
ワールドカップまで、国内では残り2戦。勢いをつけて欲しいです。 

 

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赤い頭骨

先月、米子市の福市考古資料館を訪れた時に、赤く塗られた頭骨に目がひきつけられました。

山陰旅行の2週間前に壱岐に行ったときに九州大学博物館で頭骨が展示されていましたが、
「撮影はご遠慮ください」となっていました。2000年は立っているとはいえ個人の尊厳は守られるべきと思っていますので、

米子は撮影禁止とはなっていなかったのですが、撮影はしませんでした。

実は多くの展示の中で 頭骨 に目がいったのには理由があります。

15年ほど前に、宮崎の西都原古墳群に行ったときに、博物館におびただしい頭骨が展示されていて、その中に「赤い頭骨」があったのです。
これは、赤く塗ったのか? それとも土中の成分が付着して赤くなったのか?疑問に思ったのですが、学芸員の方がおらず、そのまま疑問として長く残っていました。

福市資料館の頭骨は、ベンガラを塗って赤くなっていると説明がありました。15年来の謎が解けました。

館長さんと考古談議になったのですが、図録、特に米子城の図録などを勧めてくれました。勧めくれたというより、ほぼ売り込みに近かったです。資料館で図録のセールスをされたのは初めてです。
欲しかった図録を数点、特に、「骨」の図録を買いました。
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赤く塗った骨の出土例は少なくないと解説してありました。
そして、こうも書いてありました。

「骨」は貴重な文化財である。

なるほど、遺骨になっても、学問の発展に寄与できるのであれば、その人にとっても
想像はできなかったにせよ価値があることなのだと思いなおしました。
これからは、お礼の気持ちを忘れずに、撮影は遠慮しないことにします。

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蛇行剣

奈良の富雄丸山古墳から盾形銅鏡とともに
2.3メートルの蛇行剣が発見されて大きな話題となりました

「出雲弥生の森博物館」で”蛇行剣”の実物を初めて見ました。
長さは50センチほどです 全国的には80例ほどあるそうです
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結11号墳(出雲市)出土です

くねくね曲がった剣をなぜ古墳に埋葬するのか?
考古学者の説明は「呪術的な役割」を持っている。ですが、わかったようなわからない様なです。
一般の人には「魔除け」との説明のようです
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被葬者を守るなら、それこそ真っ当な剣や鏡があります。

これまた今回の知ったことですが、
故意に曲げた鉄器や鉄剣が発見されています
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説明では「よみがえりを防ぐこと」です。
普通の剣そのものは被葬者を守る。そして曲がった剣は、この世によみがえって、生ける人に禍をなさないようにする。
すーっと落ちる解釈です。

蛇行剣もよみがえらないようにする役目を持っているのではないでしょうか?
製作段階からくねくね曲げるために蛇行剣の材質は曲げやすいような鉄で作られているそうです。
よみがえりを防ぐことに特化した副葬品でしょう。

私が見た蛇行剣の展示目的は、この蛇行剣にハエの殻が付いていて殯などで葬送儀礼が長期化したことの一例で他の同様な剣とともに展示されていました。ちょっと気持ちの悪い展示でしたが考古学の研究の深さを感じました。

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玉造温泉 松江市 

出雲の玉造遺跡は100ヶ所ほどあります
その中心が玉造温泉です

出雲玉造資料館
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勾玉などのの未成品や道具が展示されています
資料館の横に玉造工房の遺跡があります

そして、資料館の目の前が花仙山です
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碧玉、メノウ、水晶などの産地です
大和政権の祭儀に使われた玉がここから産出されました

古墳も巡りました
岩屋寺跡横穴古墳
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内部の天井は家型になっています
横穴と言えども作りは丁寧です

徳連場古墳
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舟型石棺です。今回の旅で舟型石棺を見たのはこれが唯一でした。

玉造温泉は、大きな旅館が多く、湯煙漂う温泉街という感じではなく
アトラクションを含めて館内で過ごすというスタイルです。
ドジョウすくいの出し物がありましたが、パスしました。

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伯耆古代の丘 向山古墳群 米子市

米子市に伯耆の丘公園があります
向山古墳群に蓮の池を中心として公園となっています
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近くには石馬があった石馬谷古墳や上淀廃寺があります

岩屋古墳(向山1号墳)6世紀後半
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前室(奥室をのぞむ)
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入口方向を振りかえる
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奥室(玄室)
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1枚岩で構成されています
前室方向を振り返ります
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整えられた1枚岩が印象的な古墳で、典型的な出雲型です

長者ヶ平古墳 6世紀後半
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岩屋古墳と同じ丘の上にある古墳ですが 、全く構造が違います
羨道から玄室をのぞむ
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側壁の石が崩れ落ちています
玄室
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玄室から羨道をのぞむ
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左片袖式(羨道へは左側の石がおかれ、右側はストレートになっています)
大陸色の強い金銅製の冠が出土しています


両古墳は作られた時期が近いのにこれだけ違うのも面白いです。 

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石馬

古墳にたてられている代表は埴輪です。
しかし、九州の古墳からは石で作られた石人・石馬が見られます。
その九州特有の石馬が、唯一本州では、伯耆国(鳥取県西部)から出ています。

上淀白鳳の丘展示館にレプリカが展示されています
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レプリカというと、たいてい本物と見分けがつかないことが多いのですが、本物を見る前から色からして「ちょっと違うだろう」」との印象をもったことと「ここまで来てレプリカを見て帰るのも違う」と思い、本物の見学を申し込みました。

暑い中、案内してもらいました
徒歩数分の神社の収蔵庫に保存されていました
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やっぱり本物は違う!
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九州の岩戸山古墳の石馬より風化が進んでいる感じですが、頭部があるぶん状態が良いと思います。

朱が残っています(黄色の丸)
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肉眼ではよくわかりますが、写真ではわかりずらいです。
案内の人が説明してくれたのでわかりました。

出雲、伯耆の山陰の古墳が九州と共通点を持っていることを見てきましたが、最も良い例だよ思います。


 

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上淀廃寺跡 米子市

旧国名では出雲のお隣、伯耆国にあります

天武天皇のころ、白鳳時代に山陰の地に華麗な寺院が建立されました。
発掘されて伽藍の配置が復元されています
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塔礎石
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レプリカです。本物は地中に残してあります

塑像の一部が出土しています
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彩色と模様も残っています

壁画です
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復元すると
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このような出土品が多数あり、かつての姿をしのばせてくれます。
上淀廃寺跡は、ぜひ見ておきたい史跡でした。

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出雲国府跡

奈良時代の出雲の中心は、現在の松江市大草地区にありました。

国府跡
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国庁跡(国府の中心施設)
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国分寺跡
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礎石が残っています

正倉跡
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山代郷南新造院跡
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出雲臣弟山が建てました
埋め戻されていましたが、郡司No2が建てる人の寺院の規模規模がわかりました

山代郷北新造院跡
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『出雲国風土記』に書かれている寺院です。
日置君目列が建てました
階段
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ステップが小さく階段としての実用性はありません「飾りの階段ではないか?」との説明がありました

出雲国府とその周辺の史蹟を巡り、出雲大社の位置づけが少しわかってきました
出雲大社(の名前になったのは明治からです)は、弥生時代も古墳時代も、そして奈良時代も出雲の中心ではありませんでした。
出雲氏は飛鳥、奈良時代から徐々に朝廷によってそがれてきた力が、延暦17年 (西暦798年 )国造大領兼帯の禁で、杵築(出雲)大社の神官に押し込められたように感じられました。
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赤丸が国府です。出雲大社は出雲の国の西のはずれになります。

出雲大社が出雲の中心だと、この地に来るまで思っていましたが、遺跡や古墳を巡ると古代ではそうでなかったことを理解するようになりました。




 

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ラグビー 日本vsサモア

札幌で行われた試合

前半30分にリーチ選手がレッドカードで退場
厳しい判定に思いますが、ワールドカップの本戦でもありうることです。

後半24分に サモアが22-24と逆転しました。
残り時間はいっぱいありました
点差たった2点
そこから再逆転できなかったか
ここが課題です。

ワールドカップでの対戦相手です。
この敗戦は悲観することではないと思います。

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都市対抗野球97回 東芝vs三菱重工east

なまじの内野席より外野席の方がグラウンド内は良く見えます
コロナ後は、チーム券は座席を指定されます。
漠然と「外野席」かな?と思う時間に受付を済ませました。
その効あって、外野席・・・・
ところがポールの真後ろです。
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運がいいのか悪いのか?めったに座れる席ではありません。
ちょっと首を振ってみると、
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慣れてくると気にもなりません。

しかし、肝心の試合は一方的な試合になってしまいました
東芝 0 ― 8 三菱重工east
試合終了を待たずに球場を後にしたのは、初めてでした。

 

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四隅突出型墳丘墓 2

弥生から古墳時代への移り変わりの邪馬台国・卑弥呼と同時代の四隅突出型墳丘墓を見ることは今回の出雲旅行の楽しみの一つでした
その中心の西谷墳墓群の他も見て回りました

宮山墳墓群
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仲仙寺墳墓群
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洞ノ原墳墓群(お隣の鳥取県)
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1メートルほどの四隅突出型です。子供を葬ったと説明がありました

仙谷地区墳墓群
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塩津山墳墓群
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見た目には四隅突出型墳丘墓に見えますが、突出部が小さく時代が古墳時代ということで四隅突出型の影響を強く受け方墳ということだそうです

前方後方墳、前方後円墳、円墳、方墳と出雲は様々な古墳が見れます。古墳の大河ドラマを見るような感じでした。

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四隅突出型墳丘墓 1

出雲を中心として日本海側に広まった弥生時代の墳墓があります
(弥生時代の墓は基本的に「古墳」と言いません)
卑弥呼と重なる時代のお墓です

もっとも著名な墳墓が出雲市の西谷墳墓群です
出雲の王墓です。

まず、形です
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四角に足がついたような形です。

出雲弥生の森博物館に模型と出土品が展示されています
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墳丘上の祭祀の創造模型です
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出雲の弥生王墓です

西谷2号墳
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46メートル✕29メートル 高さ3.5メートル
見学施設があって、墳丘の地層が見れます
さらに埋葬施設も
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ミラーガラスで、女王の遺骸から遺骨への変化を見せるという(さすがに意味が悪い)演出もあります

3号墳
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52メートルⅩ42メートル 高さ4.5メートル
墳頂には棺の位置が示されています
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副葬品は出雲弥生の森博物館にあります
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ガラスの勾玉やアクセサリーなど原料が中国や朝鮮半島から物など
権勢を推し量るものが多量に出土してます

西谷墳墓群の全体地図
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出雲の弥生王墓である四隅突出型墳丘墓は、最大の大きさを誇る9号墓を最後にプッツリ切れて築造されなくなります
いわゆる古墳が築かれるまで1世紀の空白があります。
そしてこの9号墓の頂上には昭和37年に神社が引っ越してきて主体部の発掘調査は行われていません
今後、この9号墓の調査が卑弥呼の時代の様相に大きなヒントを提供してくれる気がします。

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iPad教室 日野 20230719

7月5日にiPad教室があったのですが、書き忘れてしまいました。
勉強内容と、次回への課題を備忘録とすることが目的ですので、ミスでした。

今日は、午前コースは休みでした。
午後のコースが始まる前に、近くの運動公園からヘリ飛び立ちました。
みんなで見ていたのですが、機体に描かれた文字が"D"から始まっていて
ドクターヘリではないか?と航跡を追いました。
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ズバリ! 災害拠点であり、拠点病院もある立川の基地に着陸しました。
おそらく推測は当たっているとは思うのですが、ドクターヘリが飛ぶような距離とは思えないことで謎は残りました。

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lineの友達追加をしました。
これは相手がある程度設定を知っている必要があります。従って、相手に教えるスキルが必要になります。
ただ、今回は、受講生の設定がよくなかったので、その場で設定を見直して解決しました。

また、お子さんがtwitterを熱心にやっているというので課題に取り上げました。
一般的な説明をしたのですが、
「自分自身が持っている関心事がどのくらいあるか」だということが一番大切だと、あらためて感じました。
関心事が少なければ、twitterとの付き合いも必要を感じません。
「私は必要を感じない。」ではなく、ぜひ、twitterを必要とするぐらいの社会との接点を持つシニアになってもらいたいです。

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都市対抗野球97回 東芝vs七十七銀行

都市対抗野球のシーズンになりました
東芝(川崎)後攻vs先攻七十七銀行(仙台)に応援に行ってきました
ハイ、東芝の応援です
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メジャーリーグで採用されているピッチクロックが適用されていました
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球場のあちらこちらに残り秒数の掲示があります

応援コンクールは今までも行われていましたが、
パフォーマンスタイムが設けられました
七十七銀行
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東芝
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七十七銀行のレフトの選手が、ボールを処理しようとして
「足がつったのか?」
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タンカーも出ましたが、支えられて退場しました
ラグビーの試合ではよく見ますが、野球では珍しいです

試合は七十七銀行が先頭打者ホームランで先制、6回を終わって東芝4ー3七十七銀行と接戦でしたが東芝が終盤ホームランなどで突き放しました。
七十七銀行 3 ― 8x 東芝

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飯梨岩舟古墳 安来市

出雲型石室式石棺の良好な遺存古墳として、安来市の飯梨岩舟所墳も外せません
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天井石
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家型に加工されていることがよくわかります

石室の格子は外せます
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石室入り口の両脇に縦に太い溝が残っています
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前室の石との組み合わせの名残です

石室内
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右に石棺
左に石棺の家型蓋その奥に石床
疑問に思うことはありますが、調査報告書がないので確定的なことは言えませんが、そのように理解してます。

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岩屋後(いわやあと)古墳 松江市

岩屋とか窟屋との名前を持つ古墳は墳丘がなくなって石室が露出している古墳ですが、後(あと)とつく名は何を意味しているのか?この点は聞き損なってしまいました。

水田の中にポツンと石室があります。
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石棺式石室です。
石棺自体を大型化して石室にしたものです。
そのルーツは熊本に求められます
この地でも多く見られ、この古墳はその中でも最大級です

石室そのものが家型ですが、石室天井の裏側も家型です
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岩屋後古墳の石室式石棺の復元模型です
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飛鳥の石舞台古墳をはじめとして、石室の天井は平たくなっているものが圧倒的に多いです
なぜなら石室完成後は土を盛るので石室の天井石の上面は見えなくなります。
見えなくなる石室の天井上面石を、この地ではなぜ手間と時間をかけて家型に丁寧に作るのか?

他の古墳の発掘事例がヒントになります
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発掘調査した古墳の盛り土の部分から赤で囲った(出雲型)子持壺が出土しました
つまり、土を盛る前に、葬礼の儀式が行われたということになります
平らな天井石が並んでいるだけの状態では儀式ができなかったのです
儀式が終わってから、土を盛りました。

古墳・石室・石棺にはいろいろなタイプがあります
それは、とりもなおさず、葬儀の仕方の違いの結果ということになります。

古代(古墳時代)出雲の中心は、意宇地方で、その中心にこの古墳はあります
早くから開口し、副葬品は埴輪や土器など一部しかわかりませんが、
出雲トップクラスの人物のお墓であった可能性が強いです。

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ラグビー 日本XV vs オールブラックスXV 第2戦


負けましたが、落胆することはありませんでした
第1戦ではノートライに抑えられましたので
3トライを奪えたと、前向きに評価したいです。
個人的にはジョネ・ナイカブラ選手が2戦フルタイム出場し
ワールドドカップメンバー入りに大きく前進したことがうれしいです。

結果
日本 27 ― 41 オールブラックス

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岡田山1号墳 松江市

6世紀後半の23メートルの前方後方墳です
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石室入り口
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鍵がかかっていますが、風土記の丘展示館で鍵を借りました
懐中電灯もつけてくれました
(古墳見学セットを持参していますので使うことはありませんでした)

この古墳から『額田部』と銀で刻まれた(銀象嵌)刀が出土しました
展示館で見れます
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刀は半分しかありませんが、
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この古墳の被葬者の地位がおおよそ見当がつきます
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同地区に、そしてほぼ同時期に山代二子塚古墳の被葬者がいます
山代二子塚の被葬者が大首長で、この古墳の被葬者はそれに続くクラスです

石室は長さ5.6メートルと、大きくはありません
天井に近いほど狭くなっています
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横口石棺は1.4メートルと、これまた大きくはありません
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家型で縄かけ突起もきれいに残っています
石棺内
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奥壁を中心に朱が残っています

主石棺の前に板石があります
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こちらにも朱が残っています
もう一つの石棺の一部のようです

石室の外に古墳を閉じた閉塞石が残っています
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板石というよりいくつもの石で塞いでいました

私が今まで見てきた石棺の中で、最小クラスです
副葬品も特別豪華ということではないのですが
『額田部』の文字が出てきたということで
大きな古墳を想像していただけに意外でした。




 

 

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花園近鉄ライナーズの新ヘッドコーチは向井元日本代表監督

向井昭吾氏が近鉄ライナーズのヘッドコーチ就任が発表されました。
東芝、日本代表の監督を務めています。向井HCの「PからGO」の戦法は今でも新鮮な響きです。

ラグビーリーグワンは関東にチームが偏っています。神戸も含めて関西のチームにはもう少し頑張ってもらいたいと思います。
外国のスター選手が多く移籍してきている中で、難しい戦いになるとは思いますが、センセーショナルな活躍を期待します。

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山代二子塚古墳 松江市

旧出雲国の東部の古墳です
現在の行政区域としては、松江市になります。

日本で初めて「前方後方墳」と名付けられた6世紀後半の古墳です。
後方部
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背後に見える山は、
神名樋野(かんなびぬ)山=神体山です

前方部
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周囲の溝まで含めると100メートルを超える大きな古墳で
前方後方墳としては全国最大級です。
全体を1枚の写真で収めるのは難しいので復元イメージ図です
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断面の見学室があります
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白線は石室を表します
高さが4.5メートルあります
大きさの比較で私自身が立ってみました
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土層を重ねて、雨水が石室を避けるようにしていることがわかります

石室の発掘調査は、行われておらず、地中レーダー探査で存在を確認しています。
古墳の幅に対してこれほど土層が見学できるのは、ここだけです。
ガイダンス施設で「発掘調査せず、土層見学施設を設けたのはどうしてですか?」と、質問したのですが「多くの方から質問されます」と答えてくれたのですが、納得できる返答はありませんでした。(他の質問には丁寧に答えていただきました)

帰宅してから調べました
古墳の後方部の東側が大きく削られていました。
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等高線が現実の墳丘です。
削られている部分を生かして大きな土層見学室を作ることになりました。
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これはこれで面白い施設でよいと思います。
国造のお墓と推定されていますので、歴史の真実に迫るために石室の学術調査もしてほしいと思います。






 

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出雲西部の古墳 出雲市

旧出雲国の西部の古墳です
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首長墓級の古墳は既に記した大念寺、上塩冶築山、上塩冶地蔵山古墳です
この地域は、中央の物部氏とのつながりがあります。
首長の次のクラスの古墳もめぐりました。

宝塚古墳
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当時の田と同じレベルに作られていて、雨が続くと石室内は水浸しになるそうです。
切り石で整えられています
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家型石棺です
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横口が開いています
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蓋は丁寧に仕上げられています
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妙蓮寺山古墳
羨道の大部分はなくなっていて小さな前室があります
奥室の入り口は、珍しい観音扉式になっています
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家型石棺で縄かけ突起がついています
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横口がついています
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蓋の内部は家型です
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放レ山古墳
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石室はなく石床(ベッド)が右側に2個、左側に1個あります
天井石も切り石との組み合わせとなっています
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塚山古墳
出雲駅から数分の住宅街にあります
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小さな古墳です
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石棺が分断されているようですが、施錠されており確認できませんでした。


 

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上塩冶(かみえんや)地蔵山古墳 出雲市

大念寺古墳→上塩冶築山古墳と王が続いて最後の王墓がこの古墳です。
上塩冶は地名です。築山古墳の近くにあります。
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封土はあらかたなくなっており、墳形はわかりません。
また、古墳があけられたのが古くて副葬品は不明です。
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前室・奥室と2室あります
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大きな切り石で構成されています。

奥室の入り口
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一枚岩をくり抜いています。

石棺
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石棺内にお地蔵さんが祀られていますが、
横口がひらいているのは同様です。

石棺内から棺外を見ました
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石棺内から棺外を撮りました。
排水のための溝があります。後世の加工と思われます

石棺の手前に石床があります
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ここにも遺骸が収められていました。
棺にすると奥の棺が隠れてしまうので、床だけにしたのでしょう。

大念寺古墳、上塩冶築山古墳、そしてこの上塩冶地蔵山古墳が、
出雲西部の古墳時代の首長墓です。

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上塩冶築山(かみえんやつきやま)古墳 出雲市

今市大年寺古墳の次代の王墓が上塩冶築山古墳です。
6世紀後半。円墳で前室はありません。玄室は出雲地域最大級で2棺置いてあります。
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切り石が美しい古墳です
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奥にある小棺
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横口は下辺がカーブしています。
真ん中の縦の切込みは後世の加工の可能性があります。

手前の大きな棺
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同様に横口が開いています
蓋の表面はなめらかに仕上げてあります
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内側は家型に彫り込まれています
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身の角は面取りがしてあります
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風化しているケースもあり、面取りしている例を確認できるケースは少ないです。
全体として丁寧な作りとなっています。

明治20(1887)年に古墳があけられ副葬品が良好に保存されています
副葬品から復元された王冠
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剣や馬具などの副葬品と合わせるとこのような姿になります
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この古墳も出雲市役所の方に開錠していただきました。

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今市大念寺古墳 出雲市

旅行前に出雲市役所に電話をして、開錠をお願いしておきました。
感謝です。

古墳に入って、びっくりしました。
見たこともない大きな石棺です。
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石棺の長さ3.3メートル、高さがなんと1.9メートルあります。
全国的にも最大級の大きさです。
(おそらく日本一の大きさ)


横に開口部があります
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出雲によくある形です。
開口部には塞ぐ石がありました。

石棺の蓋が身より若干大きく、廂のようになっています。
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蓋は家型で、縄かけ突起が見れます
蓋の内部も家型に彫り込まれています。
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江戸時代の記録です
二室あるのは九州の古墳にも通じ、出雲でも多いです。
前室に第2の石棺が置かれていました。
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前室・奥室部分
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現在は石棺の底部だけが残っています
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現在の図です
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前方後円墳で6世紀後半です。

出雲の王者の古墳です。




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月一ゴルフ 20230710

昨日は、月一ゴルフでした。
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ゴルフは健康のための適度な運動をするのが目的です。
猛暑で、「屋外での活動は控えるように」とのなかでは
本音では「したくない」です。

スコアより最後まで体調を保持して終えることが目標になりました。

来月は、スルーしますが、
7月がこんなに暑いなら、来年からは7月もスルーを考慮しなくてはいけない。
と、感じました。

とにもかくにも無事帰還できました。

 

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加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡、神原神社古墳

卑弥呼の時代とかかわるこの遺跡の出土品は、博物館で見ましたので、現地にはレプリカしかないことはわかっていましたが、どのような場所なのかを確認したかったので訪れました。(訪問日6月26日)
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加茂岩倉遺跡
雨が強く降っていました
ガイダンス施設
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ガイダンス施設の下の道路は整備事業整備されたものです

発見場所
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谷の奥でもなく、眺望が効く場所でもありません。
「ひたすら隠す」という目的だったと思われます。
そして1800年ぐらいその目的は達成された。と言えるでしょう。
農道工事があるまでは
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発見時の状態で保存されています。
ショベルカーの土取り跡も残っています
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見つかって置きなおしたものと、埋められた状態のものがわかり
発見当時の臨場感を感じます

荒神谷遺跡
加茂岩倉遺跡と同様、中途半端な場所です
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日本の考古学会を揺るがした遺跡です

公園として整備され、古代ハスが見ごろの時期を迎えていました
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こうした公園を見るたび、地方のゆとりのある生活をうらやましく感じます

神原神社古墳
景初(けいしょ)三年(238)卑弥呼が銅鏡100枚をもらった、まさにその年が記された鏡が出ました
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古墳は覆い屋で保護されています
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河川の改修に伴って50mほど移設復元されました。

三遺跡とも、わりと接近してあります。

加茂岩倉遺跡ガイダンス施設の方と1時間ほど話をしました。
考古学論議で話が弾みました。
参考になる話がたくさんあり、楽しい時間を過ごしました。



 

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加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡出土品

古代出雲歴史博物館に6月25日に訪れた時、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡の出土品がレプリカではなくすべて現品が展示されていました。
わざわざ「現品で味わってください」と掲示が出ていましたので、割と珍しいことなのかもしれません。

荒神谷遺跡出土品
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発掘された銅剣358本は、それまで全国で発掘された総数を上回るものでした。
壮観で、圧倒されました。

加茂岩倉遺跡出土品
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一か所から発掘された銅鐸としては全国最多の39個です。

銅鐸を細部まで見てゆくと
人面が表された銅鐸
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亀が表された銅鐸
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普段は、胴体部分の模様しか見ないので、驚きがありました。

そして”✕”が刻まれた銅鐸がありました。
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拡大写真です
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鋳型ではなく、完成後に刻まれたものです。
これらは加茂岩倉遺跡出土です。

そして驚くことに
荒神谷遺跡の銅剣にも”✕”が刻まれています。
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拡大写真です。
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実に、358本のうち344本に刻まれています。

吉野ケ里遺跡の石棺に”✕”が刻まれているというニュースがすぐに頭に浮かびました。
”✕”の持つ意味に、「霊力を封じ込める」という意味があるのではないかと言われています。
星を表したとの仮説もあるようですが、この両遺跡からの出土品を見ると、「星を表した」という仮説は、苦しいように思われます。
出雲・大和・九州の古代(弥生から古墳時代)での関係は、出雲と九州は関係が深いです。大和はちょっと離れています。
とは言え、弥生時代の出雲と九州から”✕”が出てくることには驚かされました。

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ラグビー 日本XV vs オールブラックスXV

前半は、好勝負するも後半に突き放される。というよく見るパターンでした。
「地力の差」というしかないです。
日本XV 6 ― 38 オールブラックスXV

次戦にどのように修正してくるか、期待したいです。

テレビを録画しておいて見たのですが、
Jスポーツ4となんとMXTVという東京ローカルのそれもサブチャンネルが放送していました。
MXTVはJスポーツの放送をそのまま流していました。
MXTVが放送してくれたのはありがたいのですが、サブチャンネルは番組表が表示されません。
従って録画予約ができません。Jスポーツ4を追加契約しました。

秩父宮は、レプリカジャージで応援する人が大半でした。
12年前のワールドカップ前の日本代表戦は、観客が5千人に満たない状況でした。
今年の日本代表の秩父宮の試合のチケットはとれていませんので
TV応援になってしまいますが。隔世の感です。

厳しい戦いが続くでしょうが、日本代表には頑張ってもらいたいです。




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東京大和考古学講座

奈良県立橿原考古学研究所 友史会 主催の講座に初めて参加しました。
東京支部の例会です。
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演題は『三角縁神獣鏡研究の新視点』
副題が「鏡范再利用技法の研究成果」
講師 宇野隆志 主任研究員

卑弥呼が魏の皇帝からもらった100枚の銅鏡との説もあるのが(私は懐疑的です)三角縁神獣鏡です。
その後、国内で伝世し、コピーも作られた。というものです。

私の旅行で三角縁神獣鏡を見ない旅行はないくらいポピュラーな銅鏡です。

正始元年(240年)の銘がある鏡
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同じ鋳型
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線状の傷がある
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(以上、私が博物館で撮った三角縁神獣鏡です)

2時間半の講演でした。
中国で作った鏡と国内で作った鏡都の分類は、成り立たないのではないか?
という通説に疑問を投げかけていました。

昨日は、発掘調査をしていてその足で東京へ来た。という
最前線で活躍する考古学者の最新の話を聞けるのは、新鮮で貴重です。

これから三角縁神獣鏡を見るときの視点が深まると思います。

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出雲大社

明治になってから出雲大社(いずもおおやしろ)と改称しましたが、伝統的には杵築(きずき)大社と号していました。
今回の旅行で、実は3回行きました。
1回目は6月25日 すぐ近くの古代出雲歴史博物館で2時間の見学の後、
「博物館が6時までやっているならと、5時半に行ったのですが閉まっていました。
2回目は翌26日、4時20分ごろ行きました。
目指す宝物館は4時30分で閉館で、御朱印だけいただいて他へ回りました。

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3回目が27日。ようやく境内を周れました。

最初の日に行った歴史博物館で
発掘された鎌倉時代の本殿の柱が展示されていました。
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本殿の高さは50メートル程であったという伝承があり、
荒唐無稽と思われていたのが、柱が発掘され、現実味を帯びてきました。

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これは宇豆柱(うずばしら)の本物で、心柱はレプリカでした。
本物は、出雲大社の神宝館にあるとの説明です。
信心深くない私がこだわったのは、心柱の本物を見たいという欲求です。

神祐殿=神宝館
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(館内は写真撮影禁止です)
こだわった結果ようやく見ることができました。

社殿をようやく巡ることができました。

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主神は西を向いているということで、西側からも拝むようになっています。
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私の関心事は、鎌倉時代の本殿のあった場所です。
旧本殿は、現在の八足門と重なる位置にあり、目印があります。
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大きさが実感できます。
この跡の表示を見るのには時間の制約はありません。




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日御碕(ひのみさき)神社 出雲市

出雲大社から車で30分ほどの所にあります。
海岸縁にあると思って行ったら、最初は森の中に見えました。

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ここから降りてゆくことになります。

下の宮である日沉宮(ひしずみのみや) は、伊勢神宮が 「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」)との神勅により祀ったのが始まりと言われています。
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素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る上の宮もあります。

100メートルほど海上に
経島(ふみしま)があります。
神域で神職以外の立ち入りはできません。
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昼を守るとされた天照大神が祀られています。
東の伊勢神宮に対して西の日御碕神社なのだと思うのですが
ここに伊勢の天照大神というのは、私の理解を超えます。

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猪目(いのめ)洞窟遺跡 出雲市

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出雲国風土記に
「夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書かれ、「夢の中でこの洞窟へ行くのを見たならば、必ず死んでしまう。ここは昔から黄泉の坂、黄泉の穴と呼んでいる」と記されています。この洞窟がここ、猪目洞窟と言われています。
そのために、心霊スポットとか、逆にパワースポットと言われますが、私自身は、何とかスポットというのを全く信じません。ただ、古代の人がそのように思った場所はどのようなところなのかに関心はありました。

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奥まで行きましたが、それほど奥行きはありません。
縄文から古墳時代までの遺物と
弥生から古墳時代の人骨が発掘されています。

出土品の一部が、出雲弥生の森博物館で展示されています。
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出土品の中には、農具などもあります。
埋葬地も含め生活の舞台となった洞窟と思われます。

現状は、船の保管場所
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説明板には雨合羽がかけられています。

洞窟の前を道路が通っています。
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道路開通前です。
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風土記が上辞された時は、この洞窟は墓地の役目を持っていました。
そしてここへ徒歩で来ることはできなかったものと思われます。
舟で亡骸をここへ運んできたのでしょうから
まさに黄泉の国へ送ると実感されたのでしょう。

遺跡として貴重で、国の指定史跡になっています。
(訪問日6月26日)

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ラグビー観戦が無しです

明日は、オールブラックスXVとの試合、8月にはパシフィックネーションズの試合がありますが、先行抽選販売で外れたり、そのうち旅行でチケット手配どころでなかったら、8月の試合も含めてソールドアウト。
ワールドカップのパブリックビューイングまでは静かにしています。

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上島(あげしま)古墳 出雲市

直径15mの小規模な円墳で、6世紀前半です。
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埋蔵施設としては直接土中に埋めた家形石棺
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縄かけ突起があります
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石棺の隣に小形の竪穴(たてあな)式石室とがあります。
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この石室の大きさでは石棺は入りません。副葬品を置いておくための石室です
珍しい形態です。

副葬品としては石棺から五鈴鏡(ごれいきょう)(銃の周囲に5個の鈴を付けている)、鈴釧(すずくしろ)、ガラス製玉類、めのう製管玉、直刀、刀子などが、石室内からは馬具類と武器が出土しています。
出土品の一部は出雲弥生の森博物館で展示されています。
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(訪問日6月25日)

 

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前方後方墳(模型)古墳の丘古曽志公園 松江市

出雲地方は、古墳のデパートと呼びたくなるほど古墳のバリエーションがあります。
前方後円墳、前ぽい後方墳、円墳、方墳、横穴墓
さらに言えば、弥生時代の四隅突出墳墓と多岐にわたります。
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古墳の丘古曽志公園は
古墳群がある丘を公園化して古墳を保存しています。
この公園内に、前方後方墳の模型があります。
「模型」というのは、
県営団地造成のため古墳そのものは消滅し、ちょっと数百メートル離れたこの地に
原寸大でつくったので、復元とは言えないということです。
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「疑似復元」?された前方後方墳を見たのは初めてです。
前方後円墳よりきりっとして好印象を持ちました。

北小原2号横穴墓
古墳公園の近くにあります。
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ここだけ残されたのでしょうか?
隣に小さな墳丘らしきものはありました。
閉塞石
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かんぬきを図案化した文様が刻まれています。
こんな感じだったのでしょう
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玄室に石棺が2基ありました。
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興味深い横穴墓です。

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講武岩屋古墳・佐田神社。鹿島歴史民俗資料館(松江市)

山陰の旅の個々の史蹟を振りかえってゆきます。

国引き神話で引っ張ってこられた島根半島側から入りました。
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講武岩屋古墳
出雲特有の石棺石室式古墳です
(石室が家型をしており、石棺を兼ねている)
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『岩屋』古墳と名がつくのは、封土が失われて石舞台古墳のようになった古墳につけられます。
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前室なのか、玄道なのか?岩が転がっています。

天井石は家型なのでしょうが風化が進んでいます
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玄室内
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玄室内の天井
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天井も家型になっています。

佐田神社(さだじんじゃ)
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古社の雰囲気が良いです。

ほぼ、お隣に鹿島歴史民俗資料館があります。
一室のみの小さな資料館ですが、図録も発行し
展示も見応えがあります。
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島根県に来ても、島根半島側に行く機会は少ないかと思われます。
通称「べたふみ坂」を通ってみたかったこともあります。
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運転していて、写真ほどには急坂とは感じませんが、
橋の上からの眺望が、まるで観覧車の一番上のように眺めが良いです。
もちろん運転中ですので写真はとれませんが
この後、湖の真ん中の一本道を行くのは気持ちが良いです。
振り返ってみました。
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(訪問日7月1日)

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旅行での図録が過去最多?

今回の旅行では、博物館・資料館も多く周りました。
歴史が古く、合併前の市町村時代からの博物館が多いこともあります。
東京では手に入れがたい図録がたくさんあり、
私の関心にぴったりな図録がたくさんあります
一例
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買い求めて行ったら、おそらく過去最多
積み重ねたら13cmになりました。
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重いので、現地から宅急便で自宅に送りました。

無料でいただいた小冊子もあります
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「山陰の古墳」はメルカリでも出ていたのですが、
気づいたときには販売済みでした。
(旅行前に読みたかった)

読み始めました。
「ああ、ここによりそこなった。」と、反省もあります。
1週間ぐらいかけて読破する予定です。

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山陰旅行 最終日

30日は、朝、ホテルの目の前の日本海を眺めただけで終わるのもなんだなあ、
というわけで片足だけ海につけました。
静かで透明でした。
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この時点で、この夜起こることは、全く想像できませんでした。

山陰の旅行中、午前は雨が降ることは少なく、午後に雨が降るというパターンでした。
日程をこなして、夜7時過ぎに米子駅におっとり刀で行くと、
「運休」の張り紙と、電光掲示!
駅員さんに「山陽新幹線に行ける路線は、ありませんか?」と聞くと
なんだか聞いたこともない線の名前を言って、「それでもきょう東京へは無理です。」

中国山地の中で列車がストップしても困るし、
夜11時ごろにホテルを探すのも、避けたいので
米子でホテル探し!
ネットで会員登録をしてあるホテルに2か所当たるも満室でした。
仕方なく駅から見えるホテルのホームページをあたりました。
なんとか宿泊場所は、確保!

今日午前中は、市内を見て、山陰歴史館を見学
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駅に戻って、
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聞くも「まともに帰る線は、夕方に再開予定ですが、切符はまだ売っていません。
しかも、それに乗っても東京には今日は着けません。」

かくて、迂回路線を選択
特急2本、普通1本乗り継いで相生へ、新幹線で帰ってきました。
車窓の風景を楽しむのも悪くありません。

結果的には予定より12時間遅れで帰宅しただけでした。

最後はハプニングでしたが、充実した旅行でした。

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山陰旅行 6日目

昨日6月30日のサンライズ出雲で帰途に就く予定でした。ところが大雨のため運休でした。急遽、米子で宿泊となりました。
昨日は、出雲を中心とする独特な弥生墳墓の四隅突出墓を多く訪れました。
これで、古代出雲のほぼ全域を一通りは周ることができました。
月山富田城跡はほんのちょっと寄っただけでした。

四隅突出墓(塩津山4号墓)
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墳墓の下を高速道路が通っています。

安来市歴史資料館→月山富田城跡→岩船古墳→仲仙寺墳墓群→宮山墳墓群→塩津山墳墓群→造山古墳群→和鋼博物館→米子城跡

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