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太閤石垣と俳人曽良の墓

国境の島といえば対馬を一番に思い浮かべますが
壱岐にも国境の島としての歴史を感じさせられる遺跡があります。

勝本城
秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に、
壱岐における兵站基地として築城されました。
朝鮮撤兵後に建物は破却されました。

石垣が太閤垣として残っています
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虎口の遺構も良く残っています
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壱岐の島の北で、海がよく見えます
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壱岐には城跡が数多くありますが、私が訪れた城跡はここだけでした。

城跡に芭蕉の弟子の河会曽良の句碑があり、
お墓もあります。
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墓石は上部が切られたようになっています
なぜここに墓があるのか?
幕府の巡見使の随行でこの地に来て当地で亡くなりました。
海を見下ろす良い土地に眠っています。
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旅行前に調べてきますが、曽良の墓は、全くノーマークで、
私にとってはサプライズでした。

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