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2023年6月

山陰旅行 5日目

今回の旅行の大きな目的は、古代(弥生・古墳時代)における九州と山陰の関りがどの程度なのかを見ることでした。福市考古資料館で、どの時代に興味を持っているのですか?と質問されたところから、考古学談義になり、九州との深い関わりに話が弾みました。

妻木晩田(むきばんだ)遺跡は弥生時代です。とんでもなく広くて3時間ほど歩き回り、へとへとになりました。
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淀江御台場跡→妻木晩田遺跡→上淀白鳳の丘展示館→天神垣神社(石馬像)→上淀廃寺→向山古墳群(岩屋古墳、長者ヶ平古墳は内部見学)→福市考古資料館→米子市埋蔵文化財センター

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山陰の旅 4日目

旅行3日目までで古代出雲のパワーのすごさを感じていましたが、
今日、東出雲を訪れて、さらにその間を強くしました。
そして一旦出雲を出て伯耆の皆生温泉に逗留しました。
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指定された古墳・史蹟をめぐるとカードがもらえるというので、
ちょうど見たいと思っていた所でしたので10か所コンプリートしました。
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もっと見たいところがあったのですが、時間が足りません。
後ろ髪をひかれるように今日を終えました」。・

岩屋寺跡横穴古墳→八雲立つ風土記の丘展示館→岡田山1号墳→岩屋後古墳→御碕山古墳→出雲国府跡→古天神古墳→出雲国分寺跡山→十字街(ちまた)→山代郷南新造院跡→山代郷正倉跡→山代郷北新造院跡→山代二子塚古墳→同ガイダンス館

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山陰旅行 3日目

今日は雨が上がり、暑いながらも古墳巡りには幸いでした。出雲市内を巡って玉作温泉に移動しました。
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出雲大社には3日連続して行き、ようやく宝物館を見学できました。
古墳は出雲独自の形式に認識を新たにしました。
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(上塩冶築山古墳)

上塩冶地蔵山古墳→上塩冶築山古墳→今市大念寺古墳→塚山古墳→出雲大社神祜殿(宝物館)→出雲文化伝承館→宝塚古墳→妙蓮寺山古墳→放れ山古墳→玉宮史跡→出雲玉作資料館→徳連場古墳→玉作史跡公園

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山陰の旅 2日目

朝から大降りでした。
雨もさることながら、見どころ満載でどんどん時間が過ぎてゆきました。
荒神谷遺跡では、古代蓮が咲いていました。
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午前の遺跡巡りから一転して出雲大社へ向かいましたが
出雲大社に午後4時半ごろ着いたのですが、宝物館は時間切れで見学できず。
しかし、日が長いことを利用して日御碕神社と黄泉の国への入り口といわれる猪目洞窟まで廻れました。
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記録では海の中まで行っちゃってることになってます。

加茂岩倉遺跡→神原神社古墳→荒神谷遺跡→出雲弥生の森博物館(西谷古墳群)→出雲大社→日御碕神社→猪目洞窟

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山陰の旅 初日

サンライズ出雲に乗って米子駅で降りました。

米子駅からレンタカーで、講武岩屋古墳→鹿島歴史民俗博物館→佐田神社→北小原2号横穴墓→古墳の丘古曾志→上島古墳→島根県立古代出雲歴史博物館 国引き神話で言うところの引いてきた地を巡ったと言うことになります。

古代出雲歴史博物館では、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡の出土品がレプリカではなく全て本物が展示されていて圧巻でした。ということは現地ではレプリカのみと言うことになります。

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2時間では時間がたりませんでした。各遺跡、史蹟の詳細は帰宅してからになります。

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山陰への旅です

夜行列車で東京を出ました。新幹線と比べると旅に出るワクワク感が更にいっぱいで出発しました。楽しみな一週間になると思います。

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奈良歴史芸術文化村 奈良旅行202306

比較的新しい施設で、
「どんなところだろう?」と6月21日に訪れました。

道の駅でした。食事をして買い物をするところなのですが、
歴史体験コーナーや
文化財の修理工房が併設され、奈良の強みを加えていました。
その様子をガラス越しに見学できます
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観光名所の一つになります。

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崇峻天皇真陵、室宮山古墳 奈良旅行202306

今回の旅行では、2度目3度目の訪問になった史蹟等の方が
圧倒的に多かったのですが、
この二つの古墳も2度目3度目でした。
雨で条件が良くありませんでした。

真の崇峻天皇陵である赤坂天王山古墳
(宮内庁の崇峻天皇陵は明治9年に作ったものです)
土砂が崩れて石室入り口が小さくなった感じです。
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他のほとんどの古墳と同じく盗掘にあっています
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石棺内部
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意味不明なひっかき傷がたくさんあります
明治の当時の宮内省が指定しなかった理由だと思います。
それにしてもここまでいたずらするのか!

室宮山古墳
葛城襲津彦の墓に比定されています。
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竪穴式ですので、石棺の迫力が写真では伝えられないのが残念です
石棺内部
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内部はきれいです。
優しい曲線の加工が施されています
前回同様、蚊に悩まされました。

天理大学付属参考館博物館にもよりましたが、
東大寺山古墳の展示が亡くなっていて、
迫力がなく、がっかりでした
前回は特別展示だったのかなあ?

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夏見廃寺(昌福寺)三重県名張市 奈良旅行202306

足を延ばしてちょっとだけ県境を越えました

初代斎王の大来皇女が建立した昌福寺の跡と推定されています
大来皇女は悲劇の大津皇子の姉です
この地を訪れた理由がここにあります
展示館があります
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金堂内部の復元
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仏像はなく、塼仏(せんぶつ)がその代わりとなっています
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京都大学総合博物館に出土品が展示されています
(展示館は撮影禁止となっています)

寺跡
展示館の方に案内してもらいました
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金堂の階段
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河原石で作られています

塔跡
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本来からある礎石は6個です
心礎
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心柱の礎石の心礎は、本来のものです
心礎さえ本来のものであれば良しです

夏見廃寺の帰りに
脇本遺跡に寄りました
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脇本遺跡は雄略天皇の宮跡ですが
天武朝の建物跡も発見されました
この建物が斎王の大来皇女に関する建物です
現在は埋め戻されています
この地から畝傍山が見えます
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大来皇女が見た景色がそこにあります



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奈良大和路ポスター 奈良旅行202306

以前から欲しかった奈良大和路のポスターを
今回の旅行で3枚買いました。
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B1サイズ 縦1メートルの大判です。
前回の奈良旅行で買おうと思いケースを持って行ったのですが、
往きの新幹線にそのケースを忘れてしまいました。

今回けーすは持って行かなかったのですが、
雨対策を十分にして持ち帰り、今日額装しました。

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iPad教室 日野 20230621

午前コース
まず、ブルートウーススピーカーの接続
写真のモザイク・ボカシを勉強し
iMOVIEを写真だけで作りました。
次回もiMOVIEをします

午後コース
バージョンアップの不具合を検証しました。
マイナンバーポータルサイトのダウンロードが済んでいませんでしたので
試みたのですが、カードを持参していなかったので、次回に持ち越しました。

欠席者が多くて、ちょっとさびしい日になりました。

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毛原廃寺跡

三重県境に近い山中にある廃寺跡です。
ともかく山の中です。
天平年間初頭の創建と見られ、
「文献に名前を残していない幻の大寺」ということのようです。
藤原京から伊勢への街道が
都が藤原京から平城京に遷都後に伊勢道のバイパスに建てられた寺と見る可能性が強いです。
赤丸が毛原廃寺跡
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唐招提寺に匹敵する可能性がある寺が幻というのはいかがなものでしょう
文献に名を残す「竹渓山寺」と指摘する説があります。
木簡等で直接の出土品はありませんが可能性は高いと思います
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金堂跡
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こんなにおおきな礎石を残している寺が、
幻の寺というのは、やはり実感としてあり得ないです

食堂?かといわれています
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この礎石昭和初期に運び出されていました。
昭和49年に返還されました。
もとの位置が判明しないのでまとめて置かれています。

国の指定となる前に、発見された瓦をご近所の方に見せてもらいました
さらに持ってみました。
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普通は博物館で眺めるだけですので、貴重な経験です。
あらためて「重い!」と感じました。
柱を頑丈に作らないと持たないな。と実感しました。
(訪問日6月13日)

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阿蘇ピンク石製石棺 奈良旅行202306

阿蘇ピンク石で作られた石棺を見ることが
今回の旅行のテーマの一つでした。

兜塚古墳(奈良県桜井市)
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墳丘は失われていて石棺が露出しています
石棺蓋の内部はドーム状に刳り貫かれています
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石棺には水が溜まっています。

金屋の石仏(奈良県桜井市)
組合せ式石棺の板石に刻まれた仏像が金谷の石仏です。
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このお堂の床下に石棺の蓋が2面置いてあります。
ミロク谷石棺と呼ばれています
そのうちの1面が阿蘇ピンク石で作られています
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ピンク石の特徴的な色が鮮やかです
縄かけ突起が見れます
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石棺には転用しようとした加工痕が残っています。
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(6月12日訪問)

四天王寺(大阪市)
境内にある『熊野権現礼拝石』
と、なっていますが石棺の蓋です
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近づいてみるとピンク色がところどころ露出しています
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どこの古墳かは不明です。
四天王寺を開く前にこの地にあった古墳であった可能性もあります
(6月15日訪問)

遠い阿蘇から運んでいますので、かなり高位の人の棺ですが
手がかりは残っていません。

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薬師寺東塔・西塔 特別公開 奈良旅行202306

薬師寺には4か月前に訪れています。
その時は、修理が最終段階でした。
そして今回(6月15日)は修理が終了し特別公開でした。
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朝一番ということもあって、すいていました。

東塔
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ちょっとびっくっり
いきなり迎えてくれた彫像
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釈迦の生涯の大きな彫像が4面が据えられていました
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塔の初層として、本来の型なのでしょうが、
解体修理前の特別公開の時も訪れて
心柱を見ていましたので、
今回は心柱も四天柱も見えません。
私の関心とするところからするとちょっと残念です。

西塔は近代の再建ですので、同じ様式ですが受け入れられましたが、

大津皇子の鎮魂のための竜王社を訪れました。
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前回、やはり大津皇子を鎮魂する若宮社を訪れながら
竜王社は、訪れそこなっていました。
竜王社の前から撮った写真
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龍王社は回廊の外側にあります。(若宮社も同様です)

玄奘三蔵院の平山郁夫筆の壁画も公開されていました
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想像より大きくて、迫力がありました。

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月一ゴルフ 20230619

ポカ忘れと雨で、
月一ゴルフと言いながら、3か月ぶりでした。
おおむね曇りで暑くなく、
ゴルフするには恵まれた天気でした。
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風の森峠 高天原 奈良旅行202306

レンタカーでしたので
明日香から少し足を延ばして、葛城の郷を訪れました。(6月12日)
レンタサイクルではなかなかきづらい場所です。

ここが南限の 風の森峠
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風の森神社 小さい祠でした。
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葛城に伝わる伝承が記紀神話の祖型となったとの説があります。

高天彦(たかまひこ)神社
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史跡 高天原(たかまがはら)
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里の風景ですが、街がはるか下に広がって
高天原という名に値するような地です。

高鴨(たかかも)神社
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古式の神社です
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全国の鴨神社の本宮です。
神話の世界にしばし身を置きました。

古墳もしっかりあります
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ドント垣内3号墳



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檜隈寺跡(於美阿志神社) 奈良旅行202306

東漢(やまとのあや)氏の氏寺・檜隈寺跡周辺は、休憩所ができるなど整備されていました。
蘇我馬子の命によって、崇峻天皇の暗殺に直接手を下した駒はこの一族の出です。

整備されて、渡来人の郷の風景も再現
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渡来人=先進文化のイメージですが、
よくよく考えれば、住居としてはこんな感じなのでしょう

以前来た時は林の中を通り抜けてきたのですが
林から芝地となって見通せると、交通の要地であることがわかります
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高松塚古墳も谷越しによく見えます
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於美阿志神社は以前と変わらず
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社殿の隣の寺跡の礎石等も以前と同じ
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塔跡も同じ
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心礎のレプリカも同じ
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寺との整備にも、もう少し予算をつけて欲しかった。




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キトラ古墳 白虎 奈良旅行202306

キトラ古墳の白虎が特別公開でした。
6月12日月曜日、しかも会館待ちの第一陣でしたので、
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見学者は、われら夫婦の他は二名だけでしたので
食い入るように見ることができました。

こちらは1階の展示室
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前回は、天文図を見ています。

壁画の特別展示は2階です
写真撮影禁止ですので、展示室資料を撮影しました。
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特徴としては
尻尾が後ろ脚に絡まって真上に跳ね上がっている。
との説明です。
高松塚古墳の白虎とは共通しているとのこと。

であれば、ほぼ同時代の薬師寺本尊の台座の表現された白虎との対比でしょうか?
(薬師寺本尊台座の白虎)
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キトラ古墳の被葬者は高市皇子とする説があります。
個人的には、この説にひかれます。

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京都大学総合博物館 奈良旅行202306

奈良旅行でしたが、往きに途中下車で京都に寄り、
帰りは、大阪に一泊しました。
旅行のコースとしては、よかったと思います。

京都では、京都大学総合博物館を見学しました。
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前回の旅行では、午後3時30分閉館の時間の壁で
入口でUターンしたので、リベンジです。

生物・地学などの展示も豊富ですが、お目当ては考古資料です。
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多くの名だたる遺跡を発掘しています。
時系列の展示でわかりやすいですが、
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展示スペースの関係でしょうか?物足りなさも感じました。
ですが、すでに行った遺跡、これから行く遺跡の出土品を見ることができたのは良かった。

今後は、企画展・特別展のチェックをしてゆく必要を感じました。

(6月11日見学)

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大阪によって帰宅

昨日のうちに大阪に移動しました。そして今日、帰宅しました。
昨日もそうでしたが、「嫁さんが行きたい」というリクエストです。
私としては何回か行った史蹟です。

大阪歴史博物館→難波宮跡→四天王寺→真田幸村最期の地

大阪歴史博物館から見た難波宮跡
風景は変わっていません。
ただ、あらためて大阪の中心部にこれだけの土地を確保して保存した
先人に敬意を表したいです。
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奈良市

奈良に来たら鹿さんにご挨拶しないと、何となく落ち着かない気分になります。結果的には雨にはならなかったのですが、1日バス券で廻りました。

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薬師寺(東西両塔初層特別公開)→法華寺→海龍王寺→奈良公園

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奈良・天理

午前中は、穏やかな天気でしたが午後3時頃より時おり激しい雨となり「レンタカー」で廻っていて良かった。

唐古・鍵考古学ミュージアム→同遺跡公園→鏡作神社→黒塚古墳→天理大学参考館→石上神宮→なら歴史芸術文化村 (歴史芸術文化村以外のみ初訪問)

写真は唐古・鍵遺跡

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奈良・名張

今日の午前中は県境を越えて三重県名張市でした。レンタカーでしたので念願の毛原廃寺と夏目廃寺を廻れました。

下笠永仁阿弥陀魔磨崖仏→毛原廃寺→岩屋瓦窯跡→夏目廃寺→名張藤堂家邸跡→名張市郷土資料館→脇本遺跡→赤坂天王山1号古墳(崇峻天皇真陵)・同2号墳・同3号墳→兜塚古墳→金屋の石仏

写真は毛原廃寺です。

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奈良・葛城

今日は1日雨でした。

キトラ古墳の壁画・白虎の特別公開を見学しました。

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第1班でしたが、見学者は我々夫婦の他は2名のみのでした。

月曜日の最初のグループだったことが功を奏しました。

その後は、檜前寺跡→風の森峠→風の森神社→高鴨神社→高天彦神社→高天原史跡→ドント垣内3号墳→室宮山古墳→御所市文化財展示室→ 新沢千塚古墳

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京都大学総合博物館

朝、東京を発ちました。

三上山に雲がかかっていました。

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前回の旅行で、ギリギリのところで見学し損なった

京都大学総合博物館を見学。

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いつもは京都から明日香までは近鉄を使うのですが、

今回は山の辺の道をたどるJRで橿原まで来ました。

箸墓を電車から眺めるなど、

車窓の風景を楽しみました。

 

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祈りの島 壱岐

壱岐らしい風景

鳥居の先に海が見え、さらに対馬も見えています
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棚田の一番上にため池があり、水神様を祀っています
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月読神社
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全国の月読神社の発祥の神社です

男嶽神社 ご神体
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大正までは社殿がなかったそうです
自然崇拝の原点がここにあります
パワースポットなどと喧伝することには、関心はありません。

壱岐は、古代の自然崇拝を源流とする。古社の目安の式内社が24社もあります)、そして苦難の歴史もあり、神社の多い島です。

国分寺跡
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当社、国分寺とは認められずに嶋分寺とされていたそうです。


リスが多くいました
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あんまりかわいらしくないと思っていたら
リス園が廃園となって、そこにいた台湾リスが野生化したそうです
リスによる害が、問題となっているそうです。

福岡からジェットフォイルで1時間
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志賀島の金印発見地を会場から見えました。
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楽しい旅でした。

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元寇の戦跡(壱岐)

国境の島として、元寇では悲惨な戦場になりました。
戦跡から伝わってきます。

元寇1回目 文永の役
新城古戦場
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犠牲者を弔った千人塚
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道路沿いに戦跡の碑があります
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守護代・平景隆の墓
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多勢に無勢 この地で一族郎党とともに自害しました。


2回目 弘安の役
瀬戸浦から攻めてきました
奮戦した少弐資時の墓
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芦辺港には銅像が立っています
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少弐千人塚
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「元軍は、逃げ惑う島民を追い容赦なく弓を射かけ、太刀を振り下ろし、
時には、なぶり殺しを楽しんだ」と書き記されています。

党内にはこうした千人塚が6か所あり、
悲惨な歴史を伝えています。

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元寇 碇石(いかりいし)

壱岐に行く前に、九州大学博物館で、
元寇の時の元の軍船の碇石を見ました。
旧工学部の敷地で発見されました。
(当時は海、現在は陸地になっています)
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壱岐神社近くにも碇石が展示されています
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中国の花こう岩で作られていますが、形からして元軍のものではないようです。
もと元軍製で、のちに日本船に使われたのでしょうか

壱岐神社の社殿の中にも碇石があります
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元軍尾は形状がちょっと違うような気がしますが
それ以上のことはわかりません。

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妙泉寺古墳群(壱岐市)

壱岐旅行最終日(5月26日)に訪れたのが妙泉寺古墳群でした
古墳群というからにはいくつもあるのですが、
この薮と林の中です
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ようやく3号墳にたどり着きました
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この古墳も前室があります
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壱岐の古墳は期待を裏切りません
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玄室には敷石が敷いてあります
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玄室から外を望みます
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数多くの古墳を見てきた私ですが、
壱岐には、素晴らしい古墳が濃密に存在しております。
強く印象に残りました。



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黒崎砲台跡

昭和3年に海岸要塞として着工されました。
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巡洋艦赤城の主砲を設置しました
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巨大な穴にびっくりです
地下通路
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古墳見学用にランプを持っていたので役立ちました。

近くに観光地の猿岩があります
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「〇〇に似ているので〇〇岩といいます。」
といった観光名所には「ばかばかしい。」との感想しか持たないのですが
この猿岩は別格だなと思いました。

それよりも、近くの線刻画あるという山ノ神古墳で見つけられなかったことが
残念に思いました。

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太閤石垣と俳人曽良の墓

国境の島といえば対馬を一番に思い浮かべますが
壱岐にも国境の島としての歴史を感じさせられる遺跡があります。

勝本城
秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に、
壱岐における兵站基地として築城されました。
朝鮮撤兵後に建物は破却されました。

石垣が太閤垣として残っています
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虎口の遺構も良く残っています
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壱岐の島の北で、海がよく見えます
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壱岐には城跡が数多くありますが、私が訪れた城跡はここだけでした。

城跡に芭蕉の弟子の河会曽良の句碑があり、
お墓もあります。
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墓石は上部が切られたようになっています
なぜここに墓があるのか?
幕府の巡見使の随行でこの地に来て当地で亡くなりました。
海を見下ろす良い土地に眠っています。
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旅行前に調べてきますが、曽良の墓は、全くノーマークで、
私にとってはサプライズでした。

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壱岐の古墳・線刻画

壱岐の古墳の魅力の一つに
『線刻画』があります。

図中の青丸が巨石の壱岐古墳群です
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双六、兵瀬古墳など線刻画がります。
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(双六古墳の線刻画はかなり鮮明です)
この島のトップクラスの古墳です。
対して、大米子古墳や、鬼の窟古墳は海岸近くに立地し、
地区の有力者との位置づけが明確です。
旅館(四角印)から自転車で島を横断して行きました。

大米古墳(5月24日訪問)
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石室には大きな岩が使われています
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このような線刻画です
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(復元図)の表記に嫌な感じがしたのですが、
やはりわかりませんでした。残念です。

鬼の窟古墳(5月25日訪問)
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こちらも封土が失われています
このような線刻画です
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復元図の表記でしたが、
大部分が、見て取れました
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接写です
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これほど明確であることに感動しました

大米古墳も鬼の窟古墳も複室の古墳であることが
壱岐の古墳としての特徴を持っています。

 

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iPad教室 日野 20230607

午前、午後コースとも
メール・ネットのセキュリティーの話が中心になりました。
波状的なフィッシング詐欺メールについては、
巧妙化が進んだことで「見分ける」のではなく、一切無視することを推奨しました。
無視したうえで、直にホームページに当たることが上策です。
また、両コースとも、実例をもとに話を進めました。
午後コースでは、LINEを使った執拗な攻撃の実態が明らかになりました。
また、2段階認証の説明を行いました。
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午前コースでは、写真を使ったiMOVIEを行い、
次回は、その続きと動画を使ったiMOvieの勉強する予定です。
(スケッチブックも)

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一支国(いきこく)博物館

一支国は、邪馬台国の時代の壱岐の名前です。
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屋上から原の辻遺跡が一望できます
さらにその上の展望台ですが、私が行ったときは立ち入り禁止でした。

館内入り口 魏志倭人伝がお迎えです
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展示は、弥生時代から古墳時代をカバーしています。
壱岐古墳群の著名な遺物などもここで見ることができます。
(ただし撮影禁止です)

原の辻遺跡関連の展示で注目したのは、
弥生時代の準構造船の復元模型です
日本最古の港(船着き場)がありますから、
力を入れているのもうなずけます。
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長崎県埋蔵文化財センターも併設されていて
作業場や、保管庫などのバックヤードが見れます
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図録はリーズナブルでしたが、
詳しい遺跡地図がなかったことが惜しまれます

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はにわぷりん 立川初出店

大阪に行ったときには、はにわぷりんをお土産に買ってきます。
ハローウインなどの行事に合わせた特別仕様のぷりんも
通信販売でよく買っています。
すっかりファンになっています。
ただ、クール宅急便で、個数当たりの単価が高くなります。

今日から1週間ほどの期間限定ですが
立川駅構内のエキュートにお店が開かれました。
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おいしいです!
6個買いました。

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原の辻遺跡(長崎県壱岐市)

「はるのつじ」と読みます。
邪馬台国を記述した「魏志倭人伝」に出てくる『国』で
全体像がわかる唯一の例です。
ただし、王墓が未発見です。

全景
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微高地にあります。どの程度の微高地なのかを実感しました
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物見やぐら
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海から上がってくる川をいち早く見通せる位置にあることがわかりました。

地形的には、盆地状の真ん中にあります
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地形模型でわかるように、川が右(東)に1本のみ流れています

湾から見た景色
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手前の島の向こうに川口があります
この山並みに1か所だけ川が通っているというのは、地形の奇跡です。
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山を抜けて盆地に入った川
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赤丸内が遺跡です

川をさかのぼって船着き場があります
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復元模型ですが、いかに重要な発見であったかがわかります

居住区と船着き場の位置関係
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赤丸が船着き場です

重要な遺構です
現在は、埋め戻されて農地になっています
1本のポールが、その位置を示しています
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写真の中央が遺跡です

伊都国や奴国などの遺跡を見ていますが、
家が三千余りあるとした地域の広さを実感できたことは、
あらためてこれらの国を見るときの参考になります。 

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川本喜八郎人形ギャラリー

渋谷・ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーには、
秩父宮ラグビー場の帰りにちょくちょく寄ります

今日が展示替えということで行ってきました。

平家物語の人形はオールキャスト。
満足すべき展示でした。
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ところが、三国志は主役級がすべて展示無しでした
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展示替え前は、諸葛孔明以外は揃っていました
孔明の登場に期待していたのに残念です
私自身は何回も孔明を見ていますが、行くたびに見たいのです。
次の展示替えに期待しましょう!

よかったことは、ポストカードをもらったことです
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こちらは、我が家の海洋堂のフィギア=主役級です。
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よくできていますが、いかんせんサイズがねえ。

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大塚山古墳(長崎県・壱岐市)

壱岐古墳群からはなれて、
魏志倭人伝に記述された原の辻遺跡の近く、
原の辻遺跡を見下ろす位置に大塚山古墳はあります。
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赤丸印が原の辻遺跡です
その北が大塚山古墳です

墳形は前方後円墳です
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開口しています
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玄室
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レンガ状の石を積み上げた積石塚で単室です
壱岐古墳群の巨石で複数の室がある古墳とは全く構造は違います
幕末までは天井石がありましたが、現在は失われ補ったものが据えられています

手前に敷居石があります
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壱岐の古墳としては最古級で、5世紀後半です
原の辻遺跡の終焉からは1世紀ほど後で
壱岐古墳群からは1世紀ほど前になります
観光客が訪れることはまずないですが、
壱岐の古墳の歴史にとって大切な古墳です。

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壱岐古墳群

これまで紹介してきた
人羅、掛木、鬼の窟、笹塚、双六古墳を紹介してきました。
壱岐古墳群はまだあります。

兵瀬古墳
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百田頭2号墳
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玄室内
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玄室の天井はドーム型になっています。
高さはそれぞれ違いますが、ドーム型で各古墳は共通しています。

釜蓋古墳
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閉塞石は平板です

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敷石があります

玄室奥壁です
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その他、
一本松、対馬塚、百合畑古墳群、山ノ神、カジヤバ古墳を巡りました

これらの古墳が、壱岐島の北部中央の3kmほどの狭い地域にあります
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見ごたえのある
全国に類例のない古墳群です。
(訪問日5月23日)

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果報は寝て待て フリマで売れました

3日連続でフリマに出品していたZIPPOが売れました。
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3日とも夜、寝ている間に売れました。
寝ている間に売れるので、朝起きたときの気分が良いです。

今日は、大谷選手が2本ホームランを打ちました。
これまた、朝起きたときに知りました。

「果報は寝て待て」ですね。

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