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大津皇子の移葬はいつ?

飛鳥時代の悲劇
持統天皇(当時皇后)が息子の草壁皇子のライバルになる大津皇子を
謀反の罪で死を命じた悲劇は今でも多くの人の悲しみを誘います。

このブログでも「大津皇子の墓」としてカテゴリー(画面左から入ります)で取り上げてきました
宮内庁の定めている二上山墓は明治になって作った墓であり
鳥谷口古墳が真のお墓であることなどです

大津皇子は686年10月に死を命じられました
初葬地ははっきりしていませんが、その後に移葬されました
いつ移葬されたのか?

移葬の契機は、大津皇子の死後2年半後に草壁皇子が亡くなったことだとは
誰もが想像することです
私は、「草壁皇子の死は、大津皇子の怨霊のせいだ」と草壁皇子の死後に移葬されたのではないか
と漠然と考えていました

そしてその答えとなる論文に出会いました
菊池義裕氏の『二上山と大津皇子の移葬」』と題する論文です
結論は、
草壁の病気平癒にかかわる大赦の一環として689年3月頃に移葬されたことを推測される
としてます
論拠については、ここでは省きますが精緻な論考で説得力があります
草壁は、翌月にはなくなります
鳥谷口古墳が間に合わせの棺材で作られたこととも符合します

移葬に関する諸説は、菊池氏の論文をもってほぼ終着となるように思います。

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