2023年4月
江戸城不浄門について
ツツミ様からいただいた不浄門に関する事跡の紹介です。
(紹介が遅れましたこと、お詫び申し上げます)
従来の不浄門に関する説明の根底が、覆るような話です。
天明から化政文化の時期にかけて、江戸文化の中心に在った大田南畝が著した『一話一言』に、「天明四年甲辰三月、新御番佐野善左衛門、若年寄田沼山城守、殿中手疵一件」と題する記録があります。
当時権勢を振るっていた田沼意次の嫡男田沼意知が、佐野政言に殿中で切り付けられる、という、松の廊下の刃傷の次に有名な刃傷事件では、加害者、被害者共、どの門から退出したのか、公的な記録には書き残されていません。しかし、田沼意知は、神田橋の近くに在った父の意次の屋敷に運ばれ、佐野政言は、伝馬町の揚り座敷に送られており、それらの場所に向かうのに平川門から退出するのは合理的で、本丸で発生した他の事件の例に照らしてみても、当然平川門から退出したはず、と考えていました。
ところが、南畝の記録には、次のようにあります。
『天明四辰年三月廿四日蜷川相模守組新御番佐野善左衛門於殿中若年寄田沼山城守へ手疵爲負候節左之趣
一 田沼山城守は於殿中早速療治御手當被仰付駕籠にて“大手通り”神田橋屋敷へ退出す
一 佐野善左衛門は網乗物にて御徒目付御小人目付差添“大手通り”揚座敷へ被遣候』
なんと、被害者、加害者どちらも、表門である大手門を通って退出した、とされているのです。
南畝は、身分は低いもののれっきとした幕臣であり、狂歌だけでなく、江戸の故実についての著述などでも知られる人物です。田沼意次に近かった勘定組頭土山宗次郎とも親しく、この事件に関して間違いを記すとは思えません。それでも、これまで語られてきた「江戸の常識」からあまりにもかけ離れているので、万が一南畝が間違えている可能性も排除できずに、判断付きかねている状況でした。
そこに、またまた新発見が(笑)。
先日の「鉄道開業150年」展の記事を拝読して、国立公文書館のホームページで過去の展示内容をいろいろと見ていた所、この夏開催された「江戸城の事件簿」展に、昌平坂学問所旧蔵の『寛永以来刃傷記』なる書物が、展示されていた事を知りました。これは、もしや、とデジタルアーカイブで読んでみると、図星でした。
この書物には、『天明四年甲辰四月 日集之』と奥書が有り、田沼意知の事件から間を置かず、恐らくこの事件を契機に集められた情報を、書き留めた物らしい事が判ります。書名通り過去の刃傷事件も列記されていますが、ほとんどは簡略なもので、直近の田沼の事件に関する記録が大部分を占めています。
この書物には、佐野政言の江戸城からの退出場面が、記録されていました。『善左衛門を揚り座敷へつかハす(遣わす)とて御城より駕籠に乗せて“大手御門を出る時”下馬に居たる諸役人の供の者とも(者共)一同に武士はないかと思へハあるそ山城守をきつたとハてかした/\(武士は無いかと思えば、有るぞ。山城守を切ったとは、でかした/\。)と高聲に』云々、と記されており、南畝の記録同様、ここでも、この事件の犯人の退出に、平川門ではなく、大手門が使われていた事が明記されています。同書では、田沼意知がどの門から退出したのか不明ですが、加害者が大手門から出ている以上、南畝の記録通り、被害者も大手門から出たと考えるべきでしょう。『寛永以来刃傷記』は事件後間も無い時点での記録であり、『一話一言』の記述は、南畝の間違いではなかった、と判断してよいものと思います。
『寛永以来刃傷記』には、「細川宗孝公遭難事件」に関してもかなり詳しく書かれています。被害者の細川宗孝の退出について、『(細川)越中守乗物蘇鉄之間迄入中ノ口ヨリ平川口御門通リ退出』、加害者の板倉修理の退出については、『水野監物ニ御預ケ是又蘇鉄之間エ乗物入中ノ口ヨリ平川口ヨリ小川町水野監物屋敷エ引取』とあって、熊本藩の覚書の内容が正確である事も、これらの記録から改めて確認できました。
江戸城の制度については、まだまだ調べ切れていない事が、沢山有るように感じています。「江戸の常識」とされているものには、維新後に歴史学者等によって作り出された部分も、かなり有るのではないでしょうか。
月着陸ならず
深夜でしたが、月着陸をライブで見ていました
注目は、画面の右上の速度と高度の変化です
高度3kmほどで時速230kmの表示に
スピード出すぎでは?結構逆噴射をかけないといけないのでは?
と、身の回りの交通機関と比較して思いつつも、素人ですからわかりません
高度240mで時速67km
この段階でも、スピード出すぎでは?と思いつつも、こんなものなのかなあ?
高度2mで時速3km
時速は0に近くなっていなければいけないのでは?
高度0m(着陸)で速度0
それはそうだろう!
ここからが長く感じました
スタッフに着陸した高揚感がなく時間が過ぎてゆきます
視聴者からの「失敗したのではないか」のコメントが増えてきましたが
見ている方が「勝手に失敗」と判断するべきではないと
ひたすら発表を待ちました
何も経過報告がなく20分ほど立ってから
『着陸が確認できませんでした』で、
やっぱりか・・・。
ここのところ宇宙からは朗報が届きませんね
月一ゴルフを忘れてしまいました
大谷翔平さんの活躍をテレビで見ていたら、
電話が鳴りました。
電話番号からして怪しい電話でないと判断して出たら
ゴルフ場からの電話でした
まず携帯に電話があったようです
「今日ご予約が入っていますが、まだお見えになっておられないようで・・・」
すっかり忘れていました。
いくらコースには30分ほどで行けるとはいえ
心の準備ができていません
メンバーの方には誤りを入れ、キャンセルしました
昨日のファン感謝デーで、
今日の予定がまっさらになっていました。
リーチマイケルさんからサインをもらいました
ファン感謝デーの私の目標の一つが
リーチマイケルさんのサインゲットでした
リーチマイケルさんがまだ東海大学在学中で日本代表として出た試合で
大学のポスターにサインをもらいました
この時、写真を撮るのを忘れてしまっていたので
11年越しにツーショット写真を撮らせていただきました
このポスターを見て、リーチさんから
「この時が、初めてのサインだと思います。」と言ってもらいました
当時、一緒にいたKさんが、まだ学生(4年生)のリーチさんに
「東芝に行くんですか?」と、直球の質問しました。
この質問に、隣にいた私はびっくりしたのですが
「行きます。」との答えにさらにびっくりしました。
まだ正式発表前でしたので、ブログに書けなかったことを鮮明に覚えています
懐かしい思い出です
2019年のワールドカップのあと、
病気をし、さらに大けがをしました。
さらにコロナ禍でしたので
ワールドカップのグッズにリーチマイケルさんのサインをもらっていなかったので
レプリカボールにサインをもらいました
さらにイングランド大会の南アフリカとのプログラムにもいただきました
実は以前にもらっていたのですが、町内会の懇親会に目玉プレゼントとして出したので
私の手元にはなくなっていました
これから大切にします
感謝デーが終わると選手がファンを送ってくれます
私が持っているリーチ選手のポスターに
「それは何ですか?」と数人の選手に逆質問を受けました
東芝ブレーブルーパスファン感謝デー 第2部
新宿のホテルで、パーティー形式で開かれました
左より ヒュー・パイルさん マット・トッドさん ジェイコブ・ピアスさん
スーツを着た選手は見分けに最初苦労します
私も含めて、写真を撮ったりサインをもらうのに忙しくしていたら
ホテルから「誰も食事をしていません。お食べになってください。」と。アナウンスがありました。
ルーパス君の切れ切れダンス
お楽しみ抽選会
去年は当たった私ですが、今年はハズレ 残念
同じテーブルの方から、「初めてです。」とか、
リーチ選手のサインをもらうとき「にわかです。ミーハーです。」と、おっしゃる女性がいました。
「にわか大いに結構、ミーハーが一番、私もずーっとミーハーです」とお話ししました。
お土産です
東芝ブレーブルーパスvsワイルドナイツ
残念!プレーオフ進出はなりませんでした
前半はキッキングゲームになりました
エリアをとるキックなのか、
ハイパントでボールを争うのか
キックの精度でワイルドナイツが上回りました。
29分に先制トライを許し
キックで攻め込まれ
守勢になると反則が増えます
35分に反則の繰り返しでイエローカードがでて
2トライ立て続けに奪われました
前半を終わって 東芝 0 ― 19 ワイルドナイツ
後半2分にペナルティーゴールで、反撃の姿勢を見せました
3トライを奪いましたが
結局、 前半の失点がひびいて
東芝 22 ー 34 ワイルドナイツ で敗れました
ブレーブルーパスの今シーズンは終わってしまいました
ラグビーにけがはつきものとはいえ
シーズンを通してけが人が多すぎました
来シーズンに期待します
コメントに気づきませんでした
コメントをいただいていたにもかかわらず、
気づきませんでした。
大変申し訳ございません。
コメントをいただくと
メールで連絡が来るのですが
ココログ側の設定が変わったのか?
メールが来ていないので、結果的にコメントに気づきませんでした
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今後はコメント欄を直接チェックして
チェックミスを防止いたします。
なお、
いただいたコメントに関しましては
時宜を逸しましたので、
掲載を見送らさせていただきます。
これに懲りず、引き続き当ブログをご覧にいただけますなら
うれしく存じます。
明日はブレーブルーパスのリーグ最終戦
ブレーブルーパスにとって明日はリーグ戦の最終戦になります
久しぶりに先発でタマニバル選手とナイカブラ選手がそろいました
逆にここまで頑張ってきたワーナ・ディアンズ選手が欠場となります
対戦相手は埼玉ワイルドナイツです
前節敗れたとはいえ首位です。
逆に2連敗でリーグ戦を終えられないとファイトしてくるでしょう
ブレーブルーパスは、勝ち点を上げられなければ
その時点でプレーオフ進出の望みは絶たれます
プレーオフ進出は厳しい状況に追い込まれました
ともかく最終節の試合を悔いのないように戦って欲しいです!
iPad教室 日野 20230419
午前コース
「NHK+」の登録を行いました。
メールアドレスの辞書登録をしました
iPhone小さな画面でメールアドレスを入力するのは
苦手な方が多いです。
アプリのIDもメールアドレスが多くなり
入力頻度が高まってきました。
辞書登録で、間違いなく簡単に確実にメールアドレスを入力できるようになりました。
講座の途中でハプニングが起きました
誤ってボイスオーバーをONにしてしまったのです
ボイスオーバーは、目の不自由な方向けにページを読み上げる機能です
ページを読み続けて止まりません。
強制終了もできず、パスコードも入力も全く反応しません
H講師が調べて、解決しました。
解決策を聞いてわかったことは
目の不自由な方向けの機能ですから、
音声で操作しなければいけないということです。
言われてみれば納得なのですが、
健常者目線では気づきにくいです。
私自身勉強になりました。
また、使わないクレジットカードを
使わないからという理由で放置しないで下さい。と、説明しました。
午後コース
Yahooから、「長期間使用していないので、利用制限をします。
制限を解除するにはURLをクリックしてください。」というメールです
私は、さらっと見て偽メールではないと判断しましたが、
偽メールかどうかの判断材料をひとつづつ説明してゆきました。
結果的には偽メールでないとなったのですが、
それでも基本動作として、メールのURLはクリックしないことですと
基本動作の徹底を習慣として身に着けるようにしてくださいと説明しました。
LINEの友達登録も復習しましたが、
教室ではできますが、家に帰ってできるというのが難しいようです。
ネット社会でのセキュリティー対策はますます重要になってきました。
個人では多くの情報に接するのは難しいです。
教室での情報交換は重要課題として皆さんと一緒に取り組んでいます。
東芝ブレーブルーパスvs三菱ダイナボアーズ
昨夜の試合です
ブレーブルーパスの目標は、勝利はもちろん
3トライ差をつけての勝ち点5の獲得です
1週間のお休みがあったことも影響しているのでしょうか
東芝の動きが良いです
PGで3点先行です。が、前に出るディフェンスが
逆に入れ替わって15分に三菱に独走トライを許して逆転されます
ですが、落ち着いていました
前半終了のホーンが鳴ってからのタマニバル選手のトライで
東芝 24 ー 7 三菱 で折り返します
後半も東芝が4分に濱田選手切れ切れプレーでトライ(3トライ差)
その後三菱に2トライを返されますが
3トライのお返しで勝ち点5を獲得しました
ジャックストラトン選手のトライで勝ち点5をほぼ確実に
最終スコア
東芝ブレーブルーパス 52 ー 19 三菱ダイナボアーズ
動きが良かった東芝
大活躍の濱田選手
久しぶりに復帰した中尾選手
プレーオフ進出はキャノン次第になりましたが
最終戦はベストのパフォーマンスを期待します
東芝ブレーブルーパス マット・トッド選手の言葉
東芝ブレーブルーパスのホームページでマット・トッド選手の言葉が紹介されています。
「素晴らしいトライを取るし、素晴らしいディフェンスをすることもできる。ただ、我々はベストなときとベストでないときのギャップがまだ大きい。一貫性のあるチームはその差が小さいのです。」
ここまでの試合を見ていると、まさに「そうだよな~。」と感じます
埼玉ワイルドナイツは、ここまで無敗ですが
厳しい状況の試合もありましたが勝ちに結び付けています。
ブレーブルーパスの試合で
形成が悪くなった終盤でも
「もう少し落ち着いてプレーしたなら」と思うことがよくありました。
今日の試合を含めてリーグワンは残り2試合となりました
プレーオフ進出を目指す東芝ブレーブルーパスは
4位キャノンイーグルスとは勝ち点差5
客観的には、厳しい数字ですが、
勝ち抜いていくしかない!
シンプルです!
西武ドーム ファンは慣れているのでしょうが
昨日西武ドームに初めて行って
まるで檻の中でやっているような感じを受けたのですが
座席によっては臨場感に欠けると感じました
私はライトポール際の席を選んだのですが
1塁側のベンチが見えません
ということは
1塁側のベンチとその上の観客席からは
ライト戦に転がったボールは見えません
(薄く青でラインを引いた部分)
さらにポール際に飛び込んだホームラン
写真はバックネット裏の高い位置ですが
グランドレベルに近い席からはホームランになったかどうか見えないのでは?
少なくともネットはあるし、とても見ずらいだろうと思います
レフト側でも同じ同じ条件です
野球の醍醐味が半減するように思います
球場に行ってみないと分からないものですね
西武ドーム 西武vsロッテ
初めて西武ドームに行ってきました
試合は、西武が8-3で快勝しました
出場選手で知っているプレヤーは3名でした
試合は試合として
グッズ売り場の賑わいや試合中の応援など、
お祭り的雰囲気で楽しめました
ですが、球場そのものには多少違和感を感じました
外野のネット
10列ほど後ろの方が見やすいです
内野にも高いネットが張られています
ボールが観客席になるべく入らないようにするためですが
なにか檻で囲まれたところでプレーしているようで
好きではないです
ブルペンは観客席からま近に見えて良いです
チーム応援団がどの位置にいるか確かめられたので
次回行くとして、参考にはなりました
練習場は、球場に入らなくても見えるようになっています
この日は試合日ですので出場メンバーは球場で調整ですが
試合のない日は主要メンバーの練習が見られるのでしょう
行ったことのない場所は遠くに感じられるのですが
一度行くと、存外に近いな!と思えるようになりました
大津皇子の移葬はいつ?
飛鳥時代の悲劇
持統天皇(当時皇后)が息子の草壁皇子のライバルになる大津皇子を
謀反の罪で死を命じた悲劇は今でも多くの人の悲しみを誘います。
このブログでも「大津皇子の墓」としてカテゴリー(画面左から入ります)で取り上げてきました
宮内庁の定めている二上山墓は明治になって作った墓であり
鳥谷口古墳が真のお墓であることなどです
大津皇子は686年10月に死を命じられました
初葬地ははっきりしていませんが、その後に移葬されました
いつ移葬されたのか?
移葬の契機は、大津皇子の死後2年半後に草壁皇子が亡くなったことだとは
誰もが想像することです
私は、「草壁皇子の死は、大津皇子の怨霊のせいだ」と草壁皇子の死後に移葬されたのではないか
と漠然と考えていました
そしてその答えとなる論文に出会いました
菊池義裕氏の『二上山と大津皇子の移葬」』と題する論文です
結論は、
草壁の病気平癒にかかわる大赦の一環として689年3月頃に移葬されたことを推測される
としてます
論拠については、ここでは省きますが精緻な論考で説得力があります
草壁は、翌月にはなくなります
鳥谷口古墳が間に合わせの棺材で作られたこととも符合します
移葬に関する諸説は、菊池氏の論文をもってほぼ終着となるように思います。
神宮外苑再開発計画の都知事発言
亡くなられた坂本龍一さんが神宮再開発計画で手紙を残していたことがニュースになりました
この件に関して、都知事が次のように述べました
「昨年、幅広い都民の参画、そして既存の樹木の保全や、分かりやすい情報発信などに取り組んでいただくということについては、かねてから要請しております」と説明。そのうえで「どこかで間違った情報も伝わって、それがあたかも真実のように伝えられているということは、よろしくない。例えば、有名ないちょう並木を切っちゃうんじゃないか、樹木の伐採というとそっちに皆さんイメージが勝手にいってしまっているというようなこともあります。現実には事業者の方々がさまざま取り組みをされるわけですので、街づくりを進める意義、理念、都民の理解や共感を得るために要望をあらためて、所管局の方から要請をしたということです」
銀杏並木は伐採されないにも関わらず
1月に秩父宮ラグビー場の銀杏並木側の入り口で
環境団体から「銀杏並木を守るために署名をお願いします」と署名を求められました
私が知らないと思ってこのような行動をしてきました
(嘘をついて署名を集めるな!)
また、「神宮外苑の森」を守れとも言いました
神宮外苑の森などありません。
明治神宮の森に匹敵する森があると知らない人は誤解します
すると「建国記念文庫の森を守れ」と言い換えました
上の図の左に神宮の森があり、図の中央に矢印に示した場所に
建国記念文庫があります
その下には伐採されない銀杏並木があります
誰も「建国記念文庫の森」などといいませんが
この<環境保護団体>は名前を付けました
中央の車が止まっている所に建国記念文庫があります
ゆっくり歩いても3分半で一周できる広さです
それを「森」と強弁することにあきれています
現場を知らない人に
明治神宮の森のようなところがあると思わせるイメージ操作です
(オンライン署名では有効な手段なのでしょう)
さらに、計画では伐採するよりも新たに植える木が多いというと
大きな木を切って若い木を植えるので、「木の容量が減る」と言い出しました
そうでしょうか
建国記念文庫(広さは6畳ほど)の周囲の様子です
大きな木に交じって若い木が植えられています
理由は、老木になって樹勢が衰えているので、植え替えをしています
木は生きています
今までも病気になったりした木は切られています
すでに「容量」は減っています
樹勢はますます衰えますので、
老木はますます倒れて行き、危ない場所が増えてゆくでしょう
未来を見通した計画が必要です
今回の計画で広場も、木々も増えます
都知事が指摘したのは、こうしたことなのでしょう
この件について何回か触れてきました。
私は環境保護を訴える団体に対して、いわば性善説を持っていましたが
「団体というのは、自己の主張を通したいと思えば、いい加減な主張もする」
環境保護を標榜する団体も例外ではないことを今回知りました
「環境保護団体」という名前に騙されてはいけない。というのが今回の教訓です
舛添要一が「小池知事は都市計画に全く関心がない」と批判したとのことですが
あきれ返りました。
多くの人が楽しめる素晴らしい神宮外苑になることを期待しています。
そして坂本龍一さんのご冥福をお祈りします。
東芝ブレーブルーパスvs静岡ブルーレヴズ
テレビ観戦でした
プレーオフ進出のためには東芝はすべて勝ってゆかなければなりません
前半15分に静岡の選手にレッドカードが出て1人少なくなったので
負け試合にはならないだろうと見ていました
結果は 東芝 37 ー 29 静岡 でした
東芝の持ち味は、体を当ててゆく激しい肉弾戦です
今日の試合も持ち味を発揮して勝ったのですが
そこにこだわりすぎたようにも感じます
相手は1人少ないので、もう少しオープンにまわした方が
ボーナスポイントをとれたのではと思います
残り3試合ですが、けが人がさらに増えてきました
各チームともけが人が多くなってきていますが
解説で「ブルーレヴズは選手数50人で、東芝は46人です」とのこと
確かに他チームよりけが人が相対的に多いような感じを受けます
ナイカブラ選手にボールが渡った時、チャンス!と思ったのですが
足腰を痛めて、自ら座り込んでしまいました
前年度は終盤に驚異的な追い込みを見せたのですが
これだけけが人が増えてくると大変厳しいです
厳しい試合が続きますが、応援しています
頑張ってください
ちっぽけな実験考古学
3月の近江旅行で行った二つの古墳は
阿蘇ピンク石で作った石棺がある古墳でした
風化具合と比較する為に、阿蘇ピンク石を持って行きました
ここ5ヶ月ほどで阿蘇ピンク石製石棺を4個見て
風化していても、見分けがつく目を持てるようになりました
そうすると、作られた当時の色味はどうなのか?知りたくなり
去年熊本で拾ってきた阿蘇ピンク石をさらりと研磨しました
右端が研磨部分です
写真では色味が出にくいのですが
ピンク色の明るさが増します
阿蘇ピンク石との出会いは9年前の
継体天皇の陵である今城塚古墳です
石棺片が阿蘇ピンク石であることがわかって
古墳時代の見方が大きく変わりました
左が阿蘇ピンク石です
レプリカも置いてありました
中央です
正直に言えば、この時は「大王の埴輪」が有名で
そちらの方が印象的でした
これからの古墳見学の目標の一つは、阿蘇ピンク石の石棺の古墳を
すべて見ることです
楽しみです
ヘルメットをかぶって自転車で出かけました
ここ2日ほど、午前はメジャーリーグの試合を見て
午後は読書というパターンで外出してませんでした
自転車のヘルメット着用が努力義務になったので
様子見も含めて外出しました
パトカーや警官、白バイが目につきましたが
ヘルメット無しの人に呼び掛ける様子は見られません
行き交う自転車に乗った人のほとんどはノーヘルです
自転車から降りた後は邪魔には感じます
ですが、自分の身を守ることですから
ヘルメットは着用してゆきます
近江国庁跡と瀬田の唐橋
藤原仲麻呂の跡を追うことが
私の一つのテーマです
奈良時代、自分の思うようになる皇族を天皇につけ
絶大な権力を握った仲麻呂が、反乱を起こし
平城京から自らの拠点である近江国庁を目指しました
近江国庁跡
中心にある政庁
基壇が木製という極めて珍しい建物です
後殿跡
建てやの骨格復元
回廊跡
仲麻呂が目指したこの国庁を先回りして制圧したのが
吉備真備が指揮する追討軍でした
先回りした追討軍は瀬田唐橋を焼き焼き落とし
仲麻呂はこの国庁に入れず・・・・一週間後に誅殺されます
日本史上最大の転落劇となった仲麻呂の乱の帰趨を決めた場所です
当寺の唐橋は現在の唐橋から100mほど下流になります
赤い破線が当寺の道路と唐橋です
当時の道路が現在も一部重なっています
現在の唐橋の手前 写真の中央あたりに架かっていました
3月22日に国庁をレンタカーで訪れました
車についているカーナビとスマホのカーナビを使ったのですが、
遺跡の周りをまわるのみで時間がかかってしまいました
進入路は細くわかりずらくて駐車場もあるのかないのか
行きどまりの道で停めました
自転車か徒歩での訪問を進めます
(野洲市)円山古墳、甲山古墳、天王山古墳、銅鐸出土地
滋賀県野洲市に九州から運ばれた阿蘇ピンク石製の石棺を持つ古墳があります
史跡公園として格子越しですが見学できます
桜生史跡公園です。「さくらばさま」と読みます
ガイダンス施設があります
珍しい古墳の剥ぎ取りがあります
床には石棺などの平面図が実寸大で描かれています
近隣の古墳(大岩山古墳群)の立体模型です
公園内には古墳が3あります
天王山古墳
前方後円墳です 墳丘斜面に大きな岩があります
円山(まるやま)古墳
6世紀前半の直径28mの円墳です
阿蘇ピンク石の刳貫式家型石棺です
石棺の身が上方に開いているのが印象的です
奥にもう一つ組合式家型石棺がありますが、こちらは見えません
甲山(かぶとやま)古墳
6世紀中頃の直径30mの円墳です
こちらの家型石棺も阿蘇ピンク石です
三つの古墳はそれぞれ100mと離れていません
円山古墳の上に眺望案内写真がありました
矢印で示されているのは古墳名です
琵琶湖をはさんで反対側の古墳も示されています
もちろん見えるわけはありません
ガイダンス施設では
「阿蘇からどのように運んだのでしょうか?」と、逆質問されました
もちろん、瀬戸内海、淀川、瀬田川、琵琶湖を通して運ばれました
ここから自転車で5分ほどの所に銅鐸博物館があります
休館中を承知で行き、図録を買い
銅鐸出土地に行きました
正確には、出土地点は、今は工場になっているとのことです
長年、出土地を「小篠原」とだけしか知らなかったので
どんな場所か分かったことが良かったです
三上山
麓に御上(みかみ)神社があります
三上山の頂上に奥宮がありますが
元々三上山そのものがご神体です
46年ぶりに登りました
御上神社方面から登ると
表ルートと裏ルートに分かれます
「どちらを登っても険しさは同じです」と書いてありました
納得して、表ルートを選択しました
ところが少し先に行ったら「表ルートは健脚向き」・・・オイオイオイ
妙見堂跡(江戸時代)
ここを過ぎると険しくなります
頂上近く
記憶ではここで小学生にあいました
四十数年の時が友二人を天国に連れて行ってしまいました
もう一度この景色を共に見たかったとの思いがこみ上げてきました
残念に思うとともにあらためて冥福を祈りました
頂上近くにある 磐座
ここに神が宿ります
私にとって意味があるのはこの磐座までです
磐座の後ろに御神神社の奥宮があります
さらにその裏が頂上です
46年前の写真です
小学生とは一緒に下山してきたようです
どうしているのかな?
下山は、雨が降ってきて岩場が滑りやすくなってきましたが
無事に下りてきました
私にとって、慰霊を込めて、人生を振り返る特別な登山でした
最近のコメント