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恭仁宮(跡)

聖武天皇が740年から4年間宮殿を置きました
京都府ですが、奈良市内からは車で30分ほどです。

大極殿跡
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大極殿の後、山背国分寺金堂になりました

同じく塔跡
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行く前は、国分寺の下に恭仁宮が埋まっていると思ったのですが違いました
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左が恭仁宮 右が国分寺です
恭仁宮を生かして国分寺が建てられています

大極殿の南に恭仁宮朝堂院があります 昔の石碑があります
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現在は恭仁小学校の校内になっています

内裏跡は埋め戻されています
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くにのみや学習館(入館無料)
恭仁宮跡紹介ビデオが流されています
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出土品の展示
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一例です 瓦の裏に「神人」のへら描きがあります
小さいけれど必見の場所です

全景です
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意外と地域としては広いと感じました

銭司(ぜず)遺跡
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恭仁宮が今でいう皇居+霞が関官庁街とすると、
23区に相当する恭仁京の範囲で
この遺跡はいわば造幣局
和同開珎などを作っていました
近隣には「和銅」など地名が残っており、地名の文化価値を
あらためて感じました

「遷都」という言葉から平城宮から離れた地との先入観から
この地に来るのが遅くなりましたが、来てよかった
聖武天皇が反乱と疫病から『彷徨して都を変えた』という説より
気ままに都を変えた強い帝王との説に同感します
(訪問日2月21日)

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