佐和山城跡
関ヶ原合戦の2日後、小早川秀秋らの寝返り組勢を中心とする軍勢に攻められ落城しました。
石田三成”無念の城”です。
お出迎えのモニュメント
龍潭寺(りょうたんじ )の墓地から登ってゆきます
切通し
西の丸跡
切通し、西の丸とも地形としてよく残っています
本丸跡
虎口(入口)もそれとなく見えます
天守台からの眺望です
中央に豊臣秀次の八幡城。右に彦根城。
安土城は見えると思ったのですが、手前の山に隠れていました
天守台の隅石垣(天守台の角)
徹底的に破壊され、石垣は彦根城などへ持って行かれ、
残っている石垣のうちのほぼ唯一に近い存在です
説明はありませんが、位置からすると天守台の一部かなと思われます
千貫井
お城になくてはならない井戸の跡
道を登ったところに今も水をためています
石田一族供養塔
覆い屋が崩れていたのは残念です
麓にボランティアの方がおられましたが
じっくりと登り、しのびたいので一人で登りました
御城印を集めるのは趣味ではありませんが
佐和山城は別格です
観光案内所などで300円で売ってます
ただ、左下の赤い三成の花押は、佐和山城の天守に登って
QRコードでアンケートに答えた人への限定です
二の丸、三の丸へは行けませんでした
宿題として残ったので、また来たいと思っています
(訪問日3月18日)
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