蘇我蝦夷、入鹿の邸跡(甘樫丘東麓遺跡)
(訪問日11月14日)
考古学者は、明日香の甘樫丘東麓遺跡を蘇我蝦夷、入鹿の邸跡とは断定していません。
発掘跡から「蘇我」などの名前を記した決定的な遺物が出ていないからです。
しかし、年代や、焼けた痕跡から日本書紀の記述と一致し蘇我の邸跡であることはほぼ確実です。
その邸宅がどのような場所なのか、地図だけではわからない立地を知りたくて訪れました。
事前に発掘報告を読んでゆきました。
現地は既に埋め戻されていて、草ぼうぼうであることが予測されたからです。
そしてその通りの現状でした。
発掘時の空中写真と地図です。
上の図で赤く塗ってある調査区から見ました
乙巳の変(私は大化の改新と教わりました)で入鹿が暗殺された(宮殿)場所が眼下に見えます。
宮殿を見下ろす位置にこの邸宅がある事に蘇我の権力の大きさを実感しました。
宮殿の最も華やかな場所である苑池跡も見えます。
目を北東に転じると、入鹿を暗殺した後、中大兄皇子が戦闘態勢に入った飛鳥寺(法興寺)もやはり眼下に見えます。
入鹿が暗殺されたのが6月12日、雨が降っていた中、入鹿の屍はむしろで覆われこの日のうちに入鹿に渡されました。
蘇我邸には、武器庫もありましたが、蘇我の配下の氏族は武器を捨てて走り去ります。
翌13日に蝦夷は邸に火を放って自殺します。
乙巳の変の緊張感と入鹿の絶望感を感じました。
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