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2022年9月

牽牛子塚古墳

古墳時代終末期の天皇陵の証の八角形墳として初めて復元されました。
心待ちにしていました。
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圧倒的存在感です
復元されてよかったと思います

石槨入り口
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この扉の中に入るには予約が必要です。(500円必要です)
現在は土日、休日のみ開扉しています。
柵越しでも石槨の開口部は見れます
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斉明(皇極)天皇と間人皇女の合葬墓です
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2室あります

復元前の2014年に訪れた時の写真です
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石槨入り口は、当然見学料は必要ありません
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標柱
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位置を変えて現在も立っています
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今回の旅行で3回行きました。
夕暮れ時には古墳が赤く染まっていることを期待しましたが、
夕日が立ち木にさえぎられて期待したほどではありませんでしたが、
それでも昼間に見るより、やわらかく輝いていました


 

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越塚御門古墳

斉明(皇極)天皇の孫で、大津皇子の母である大田皇女の墓です。
12年前に牽牛子塚古墳の発掘埋め戻しの際に発見されました
日本書紀の記述と一致したことから、牽牛子塚古墳が斉明天皇の陵であることの決定打になりました
2014年に行ったときは既に埋め戻され、
「この辺かな?」と、残念な気持ちで歩き回っただけに、
今回念願を果たしました

牽牛子塚古墳の東南20mの位置になります
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墳丘の形は不明ですが、方形にしてあります
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予約者がいると、内部を見学できます。
(平日は予約日にはなっていないので見学できません)
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石棺(石槨?)と版築の跡がくっきり見え、逆に破壊された部分の墳丘も分かります
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プロジェクションマッピングで説明があります
(一般編と有料入場者向けと2編用意されています)
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この陵墓の主の人生がわかる説明になっています


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益田岩船

牽牛子塚古墳の裏から徒歩十数分のところにあります

東側からの写真です
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前回行ったときは、「登らないでください」となっていました。
(ごめんなさい。無視して登りました)
今回は、その注意看板はありませんでした。
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前回はあっさり登れたのに、今回は少し苦労しました。
年月の経過を感じました

上面が見える位置からの写真です
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この巨岩石造物には、その用途について諸説ありました。
しかし、現在は、斉明天皇の陵である牽牛塚古墳の石槨が
制作中にひびが入って、放棄されたとする説にほぼ統一されました
向かって左側は雨が溜まっていますが、ひびが入った左側は水が溜まっていません
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上面から見た写真を横にすると牽牛子塚古墳の石槨にそっくりです
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この巨岩が未成品となったために
牽牛子古墳の550トンの石槨を二上山から運びこむことになってしまいました。
あらためて動員された人々の労苦がしのばれます。


 

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オールブラックス戦のチケット確保

ファンクラブの先行販売は、座席を自分で選べないので、
フランス戦の時は、座席が選べる一般販売を待ってチケットを購入したのですが
結果的にあまり良い席ではなかったので、
10月29日のオールブラックス戦は、先行販売を申し込みました。
結果は。第1希望ではなく第2希望でした。
バックスタンドです。バックは逆光になります。
第1層の後ろのほうです。高さもちょうどよいかな!?
自分では座席指定できないけど、結果的には良かったです。

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西大寺・西隆寺・秋篠寺(奈良市)

9月15日は、近鉄西大寺駅周辺を回りました。
近鉄西大寺駅を通過したことは何十回、降りたことも十回ぐらいあると思いますが、
「何時でも行ける。は、いつまでも行かない。」状態でしたがようやく行ってきました。

西大寺
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奈良時代、称徳天皇が藤原仲麻呂の乱の平定を祈願して建立しました。
創建時から残っているのは四天王像の足元の邪鬼と
塔跡の基壇と礎石です
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基壇の周りの芝生が八角形です。
造立当初の計画が八角形でした。
発掘調査の結果で確かめられました

西隆寺
西大寺と同じ称徳天皇によって建立された尼寺です
このお寺は西大寺駅前のビル群となってしまっています。
そうとは知らず、食事をしたり買い物をしたりしていました。
安倍元総理が殺害された場所も西隆寺の旧境内ということになります
塔跡がビルの後ろにあります
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これがわかりずらいところにありました
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近くまで来てずいぶん探し回りました
他に遺構がビルの合間にあるようです

秋篠寺
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かつての大伽藍も兵火にあって、今は堂宇が少なくなっています。
今時珍しい御朱印を用意していないお寺です。
落ち着いたたたずまいです。

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束明神古墳 その2 

『土地に刻まれた歴史』という言葉が好きです。
人が生きた証が、土地に刻まれているということで、
地上に、その痕跡が残っていなくてもよいのですが、
出来れば、地面の下がどうなっているかは知っておきたいと思っています。

束明神古墳その1として9月25日に記した続きです。

復元想定図です
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八角形墳

発掘調査された葺石
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床面には漆喰の跡が残っています
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白く見えるところです

幕末に陵墓指定を逃れるため石槨を地元民が壊した伝承を裏付けるように
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壊された石材が石槨内部に落ち込んでいます
これらは今も地下に眠っています。

橿原考古学研究所にある大谷石で作った復元石槨を見たとき
他に類例のない造りだと思うと同時に、単純な造りと思ったのですが
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復元の過程から浮いていされた石材を見ると、
結構手の込んだ造りになっていることと思いました。

歯が数本発見されましたが、さすがに写真はなく、図になっていました。

宮内庁が指定している草壁皇子の墓も
幕末に修復した人の「八角形墳」ではないか?と言い伝えがあるとのことです。
日本書紀の記述から、束明神古墳が草壁皇子の墓とすることが妥当です。
ただ、宮内庁指定の墓にも行ってみたい気になりました。

 

 

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黒駒古墳(奈良県五條市)

五條市は葛城の郷の御所市の隣ですが、御所市に比べると古墳は少ないです。
その上旅程のミスから時間が多く取れませんでした。
結果、五條市の古墳で見学できたのは、ここだけでした。

五條市は、古墳に扉をつけたうえで、鍵をかけずに見学者に便宜を図っているケースが多いです。
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玄室の扉石が印象的です
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石室内で明かりをとるため小型LEDランプを用意してます
奥壁の石は、大きくありません。
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羨道方向です。
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駅前の観光案内所で
「黒駒古墳を最初に行きたい」と言ったら、
御霊神社のことかしら?という感じで、
五條市の売りは「古い町並み」のようです。

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国会図書館から都立美術館

今回の奈良旅行で束明神古墳と宮滝遺跡で確認したいことがあったので
今日、十数年ぶりに国会図書館に行ってきました。
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大概のことは、現地の博物館の展示や資料で疑問は解決できます。
しかし、資料がわかっていても、旅行中に半日かけて閲覧するのは
時間的に無理です。
古墳は遠くても、幸い、資料のある図書館は、東京には多くあります。
都立図書館でなくとも国会図書館という最強の図書館があります。
半日じっくり読み、必要な箇所をコピーしてもらいました。
期待通りの成果でした。

国葬にかかわって、往路でも、機動隊がバリケードを用意して警備していました。
帰路では、図書館の目の前に機動隊が警備していました。
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帰宅後ニュースで、この近辺で国葬反対の集会が開かれていたことを知りました。
館内にいたので、そうした喧騒は全くわかりませんでした。
私も国葬には反対です。
賛成・反対の両方の声があるのは、ある意味民主主義国家としては健全と思います。

夕方、都立美術館に向かいました。ボストン美術館のナポレオン肖像画への質問でした。
会場の係員(学芸員ではないそうです)に質問をぶつけたのですが、図録を持ち出して
「図録に書いていないのでわかりません」との回答です。
学芸員に質問する手立てはないですか?と聞いたら、
学芸員は忙しいとか、ボストン美術館に直接問合せしてみたら、とか
10分ほど私の質問に付き合ってはくれましたが、要領は得ませんでした。
やむなく会場を出て、備え付けてあった『意見書』質問を書きました。
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返答が来るのかは、あまり期待はできません。

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御所市文化財展示室と奈良旅行での博物館

私の旅行は、古墳や遺跡巡りが中心ですので博物館は必須の訪問先です。

御所市の文化財展示室が9月5日にオープンしました。
展示室が二つで、両方合わせても小学校の教室一つ分にも及びません。
しかし、展示の質は高いです
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資料も大いに参考になりました
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貴重な文化財を多く持っているにもかかわらず、貧弱ではありますが
ここをスタートに拡充に向けて頑張ってもらいたい。期待してます。

今回の旅行で回った博物館
橿原考古学研究所付属博物館は、外せないです。
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今回いった地域の特別展示にも間に合いました。
シニアは無料です。

五條市文化博物館も見どころが一杯でした
平城京の資料館は、以前より小さくなった?かとおもうほど、
もうちょっと、拡充して欲しい。
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束明神古墳(草壁皇子の墓)その1 奈良県高取町

以前に、近くのマルコ山古墳までは来ていたのですが、
「崩れた墳丘があるだけだ」と束明神古墳には来ませんでした。
多くの人と同様に大津皇子贔屓の私にとって草壁皇子の墓への関心は低いものでした。
その後、大津皇子の墓を訪れ、大津皇子の母の大田皇女の墓を訪れました
飛鳥の骨肉を争う愛憎劇を私の中で完結したいと思い9月14日に訪れました。

発掘調査の結果によれば、30mの八角墳です。
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ここに復元された牽牛子塚古墳を重ね合わせれば容易に想像できます

実物大に復元した石槨が橿原考古学研究所博物館にあります
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現地の石槨は二上山から運んだ500個の切り石を使っています
内部です
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元々、地元には「草壁皇子の墓」という伝承がありました
幕末から明治にかけての陵墓調査の対象になった時に、
陵墓に指定されると立ち退きを迫られると恐れた地元の方が古墳を壊しました。

石槨の発掘時の写真です
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壊された上部はありません。
陵墓調査で墳丘の上から鉄の棒を指して、石槨は無いと、
狙い通り指定を免れました
(その後、「罰当たりのことをした」と、地元民は反省したそうです)
博物館に復元されたものは、天井部分は推定復元になります。

持統天皇が、わが子草壁皇子の天皇即位の障害になると
大津皇子を死に追いやってから2年半後に草壁皇子は28歳で亡くなります。
天皇になっていないのに、天皇にのみ許された八角形に作られ、
それも斉明天皇をしのぐ30mの大きさです
母持統の気持ちが表れています。

父母/天武・持統の墓⇒野口王墓
大津皇子の墓屋⇒鳥谷口古墳
大津皇子の母/大田皇女の墓⇒越塚御門古墳
宮内庁から指定されている墓は野口王墓だけです

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水泥北古墳・水泥南古墳(奈良県御所市)

水泥と書いて「みどろ」と読みます。
この南北二つの古墳は国の指定史跡になっています。
が、なんと個人宅にあります

水泥北古墳
母屋の裏にありますので、この古墳の存在を知っていなければ素通りしてしまいます。
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玄室の大きさは、奥行き5.6m 幅2.9m 高さ3.3mという大規模な石室です
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奥壁に五輪塔がありました
天井石も巨大です
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入口(羨道)方向です。案内していただいたご夫婦と比較して
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大きさが実感していただけると思います
ご家族には、突然の訪問にもかかわらず、しかも昼食時にもかかわらず
快く対応していただきました

水泥南古墳
こちらも鍵でしっかり管理されています。
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南京錠がうまくあかず、私があけました
石棺が二基あります
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奥の初葬の石棺はに二上山の凝灰岩です
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手前の追走された石棺は竜山石(兵庫県)製です
前面の縄かけ突起部分に蓮華文が刻まれています
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古墳文化と仏教文化の結合の例として著名です
(他に類例がありません)

手前の石棺は、羨道にあります。
狭いために、縄かけ突起を削って搬入しました
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本来は黄色い線の部分まで突起があったはずです

資料室も設けてあり、出土品を展示してあります
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耳飾りや、須恵器、最下段は北古墳から出土した排水のための菅です

35℃もある暑い中でした。冷たい缶コーヒーまでいただきました。
建屋が立派なので、「古くからここにおられるのでしょうね」とご主人に伺ったら
「古墳のほうが古いです!」と。この回答に思わず笑いはこぼれました。

私のように不意の訪問者もあり、管理のご苦労に、深く感謝いたします。

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樋野権現堂(奈良県御所市)

葛城の郷、ここは巨勢路です。
普通、古墳は羨道から入り石室に向かうのですが、
この古墳は、石室の奥壁が壊され、いわば古墳の奥から覗く格好になります。

石室は、天井石が落ちないように鉄骨で補強されています。

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石棺
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石棺内部です
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石をくり抜いて作ったものですが
中央部がU字型に彫り込んであります
被葬者の頭を支える枕部分に相当します
いわば石枕造り付石棺となっています
これはとても珍しいです
多くあるのは、枕を単独でしつらえます
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(橿原考古学研究所博物館に展示してあるものです)
石枕の材質、作りで、被葬者の身分の高低が推察できるケースがあります

もう一つ珍しいことは、被葬者は、南枕で安置されたということです
独自性があって興味深い古墳です

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栄山寺と藤原武智麻呂の墓(奈良県五條市)

藤原仲麻呂の跡を追いかけています。
奈良時代、仲麻呂は、自らが操れる人物を天皇に就けるなど、
権力の絶頂を極めましたが、その地位からわずか1週間で戦いに敗れ命を落としました。
日本史上最大の転落劇の主役になってしまいました。

その仲麻呂が建てた堂が残っているというので行ってきました。
(9月13日)
栄山寺です。719年創建
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創建者は、父であり藤原不比等の子である藤原武智麻呂です。

仲麻呂が父の追善供養した八角円堂(国宝)が仲麻呂の建立です。
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五條市文化博物館に模型と内部の壁画が見れます
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内部は方形壇になっています

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内部の壁画です。

その他、古寺らしく歴史的なものがあります。
日本三名鐘の一つ
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最古級の奈良時代の層塔
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南朝の行宮所の名残をとどめる境内
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裏山に藤原武智麻呂の墓(国指定史跡)があります
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案内では30分かかるとありましたが
急な山を20分で登りました。
そこから3分ぐらいで行けるところを
(結果的には)30分も山中を迷いました。
(のちに文化博物館で、案内板が不備であると改善を求めました)

八角円堂内部の拝観は予約が必要です。
今回予約はとりませんでした。
とっていたとしても電車の接続が悪く時間通りにはゆけなかったでしょう。
もう一度、予約を取ってゆきたいと思いました。
ともあれ、仲麻呂が、この世に残した形あるものを見ることができて良かった。
 

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室宮山古墳(奈良県御所市)

室宮山古墳は、仁徳天皇陵よりも古い前方後円墳です
(写真は後円部墳頂です)
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竪穴式の埋葬施設です。(写真の右側の穴)レプリカの埴輪が立っています。
被葬者は、葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)というのが大方の見方です。

事前に素晴らしい石棺と情報を得ていましたが、
現実に見学できる長持型石棺としては、超弩級です。
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幅2m近い石棺の正面に盗掘の際の穴があけられています。
兵庫県から運んできた石棺の蓋の上面の亀甲状の装飾もはっきり残っています。
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盗掘孔から石棺内部を覗きました。
蓋の内面はアーチ状に加工されています
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全面、朱が塗られているそうですが、痕跡は確認できませんでした。

墳丘復元図
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埋葬施設は箇所あります。

橿原考古学研究所付属博物館に発掘された遺物の現物が展示されています
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模型も展示されています
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石棺の周囲に埴輪が並んでいます

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古墳を見慣れている私ですが、その存在感に圧倒されました。
必見の古墳であると同時に、橿原考古学研究所の博物館の見学をおすすめします。

素晴らしい文化遺産です。
将来的には史跡公園とする予定だそうですが、
大いに期待します。

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御所市から高取町の古墳

御所市まで行ってレンタサイクルを借りて廻ったのですが、
気づいたら高取町まで来ていました。
御所市まで来る必要がなかったと、反省です。

市尾宮塚古墳
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市尾墓山古墳
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思い起こせば、この二つの古墳は以前訪れていました。

御所市に戻って
掖上鑵子塚古墳
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江戸時代の記録で長持形石棺があります。しかし、近代になってからの発掘調査はされていません。
この古墳は、葛城円大臣の墓と思われます。
葛城氏の宗家は、円大臣で滅亡しました。

新宮山古墳
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家型石棺の後期型です。
家型石棺の奥に箱型石棺の一部が残っています
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この古墳ができた初葬は奥にあるこちらの組み合わせ型石棺になります
奥から見ると追葬された石棺に盗掘孔が見えます。
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石棺は羨道ぎりぎりのサイズということがわかります

盗掘孔から石棺内部を見ると丁寧な作りになっていることがわかります
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見ごたえがある古墳でした。

 

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iPad教室 日野 20220921

午前コース、午後コースとも質問に答えたあと合成写真の作成を勉強しました。
写真の勉強は、皆さんいつもより夢中になります。

午前コースでは、デジタル推薦委員になった方が多くいましたので、
オープンバッチの授与依頼の手続きを行いました。
任命書といい、バッチといい、以前なら現物でいただいたものを
今やインターネット経由で行います。
デジタル推薦委員ですので、当然ではありますが、
新しい分野を勉強しながら受領します。

次回は、iOS16の新機能を勉強します。

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デジタル推進委員に任命されました

デジタル推進の、いわば国民運動の一環としてデジタル推薦委員になりました。
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運営しているタブレット教室から、私を含めて6人が推進委員に任命されました。
襟に着けるバッチの代わりに
デジタルでもらうオープンバッチもいただきました。

より一層社会貢献を目指します。

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巨勢寺塔跡、正福寺、阿吽寺(奈良県御所市)

巨勢氏の氏寺として、巨勢寺は686年に天武天皇の病気平癒を祈願していることが、記録に残っています。
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寺は鎌倉時代に廃絶してしまったようです
塔の心柱の礎石(心礎)が創建時の場所にそのまま残っています
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中央に深さ6cmの仏舎利を収めた舎利孔があります
さらに3重の溝があり、筋状の溝を伝って側面の穴から排水できるようになっています。
とても丁寧に作られた点でとても珍しい心礎です。
柱の太さは88cmある大きなものです。
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私と比べるとその大きさがわかると思います。
素晴らしい心礎です。

舎利孔には仏舎利はなく、主のカエルが2匹いました。
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舎利孔の掃除のため一時退去していただきました。

塔跡には小さなお堂が建っていますが、その礎石が不釣り合いに大きく
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巨勢寺の礎石が転用されていることがわかります。

発掘調査の結果、法隆寺式伽藍であったことがわかりました
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巨勢寺の子院の流れをくむ近くの正福寺にも巨勢寺の礎石が27個残っています。
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観光客が訪れることはめったにないのでしょうが、
多くの礎石を見ると、在りし日の巨勢寺に近づいたような気になります。

同じく子院の流れをくむ阿吽寺も訪問しましたが、こちらは無住でした。
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巨勢寺塔跡には9月12日と14日の2回訪れました。

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奥千本・水分神社(吉野山)

源義経、後醍醐天皇が逃げ込んだ吉野山。
地形を見ると一本の尾根になっているので、外界からは遮断しやすいです。
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暑い中、ここまで登ってきたかと、自己満足
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バスで奥千本口までゆき、さらに徒歩で奥へ登ってゆきます
案内図の一番奥までゆきました。

西行庵
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庵の中の座像

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苔清水
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西行庵のすぐ近くです
西行も飲んだ水かと、手ですくって飲んでみました。
冷たくておいしくて3杯飲みました。

旧女人結界の碑
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この碑からは先に行けませんでした。
現在はもう少し先まで女性も行けるようになっています。

吉野水分神社
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三社一棟の流麗な造りです。

ほぼ1日吉野の峰を巡ったのですが、
幾度となく、遠くから法螺の音が聞こえてきました
修験道の一行ともすれ違いました。
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観光地ではありますが、今も修行の地であることに変わりはありません。

 

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吉水神社と後醍醐天皇陵(吉野)

観光客がほとんど来ない吉野宮滝が私にとってメインターゲットだったのですが、
せっかく吉野まで来たので、吉野山に宿をとり、午前8時半から午後4時半まで
ほぼ1日周りました。(9月11日)

吉水神社
南北朝時代の南朝の皇居、つまり後醍醐天皇の書院です
後醍醐天皇玉座の間
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北闕門(京都の方向を向いています)
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門の先は、すぐに深い谷になっています
京を追われた天皇が帰還を誓った場所です

源義経潜居の間
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義経着用と伝えられる鎧(重要文化財)
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豊臣秀吉が花見をした際の本陣になりました
ここから眺めました
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その時の屏風
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いかにも秀吉好みです
その他、後醍醐天皇、義経、秀吉などの寺宝がたくさんあります。

吉水神社の参拝の方法
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吉水神社の谷の反対側に如意輪寺がありその傍らに
後醍醐天皇陵があります
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無念の思いを抱きながら眠っています。


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吉野宮滝遺跡

古代最大の争乱で、大海人皇子(天武天皇)が旗揚げした吉野宮滝へ、
近鉄大和上市で降りてコミュニティーバスで行きました。
宮滝についたとき、夕立で土砂降りになりました。
歴史資料館で見学をしながら雨が上がるのを待ちました。

宮滝遺跡の碑(狭い地域に碑は数本あります)
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宮滝遺跡を紹介するよく見る景色です。
建物跡の位置が簡単に示されています。
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将来遺跡公園にする計画があります。

吉野歴史資料館の展示で知ったのですが
この写真の場所は聖武天皇の時代の遺跡です。

私が見たかったのは、天武・持統天皇の時代です。
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写真の青丸で囲んだあたりが天武・持統時代の宮です。
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天武・持統天皇時代の遺跡は、現在民家が立ち並んでいます。
民家が立ち並んでいる天武・持統のあった場所は映えないので使われないのでしょう。
ですが、これこそ私が見たかった天武・持統が見た景色です。

宮の復元模型です
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翌日行った吉野山から宮滝遺跡が見えました
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今年が壬申の乱1350年ということでキャンペーンをしていました
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キャンペーンをしていることは当地へ来るまで知りませんでしたが
節目の年に来たことに縁を感じました。

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PCR検査は陰性

旅行後は、PCR検査を受けるようにしています。
古墳が多く廃寺跡や遺跡、寺院などが主な訪問場所ですので、
感染リスクは低いですし、自覚症状もありません。
しかし、万が一にも他の方にコロナを感染させることは絶対に避けたいと思っています。
とりわけ、タブレット教室の皆さんに感染させるわけにはゆきません。

早速今日、PCR検査を受けてきました。待ち時間もほとんどなしでした。
結果は「陰性」でした。
周囲の方と安心して接触できます。

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大田皇女と持統天皇

飛鳥時代の
大田皇女と持統天皇は姉妹で、父は天智天皇、祖母が斉明天皇です。
斉明天皇の遺言で、大田皇女は667年に斉明天皇の陵(牽牛子塚古墳)のすぐそばに葬られました。(越塚御門古墳)
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模型、後方が復元された牽牛子塚古墳です。

大田皇女がなくなってから、10年ほどして事件が起こります。
大田皇女の子、大津皇子が謀反の疑いで持統天皇によって殺害されます。
大田皇女が若くして亡くならなかったなら、大田皇女が天皇になりこの悲劇は起こらなかっただろうといわれています。
腰塚御門古墳の前で、ボランティアガイドの方が『持統天皇憎し』というのもよく理解できますし、私もその立場です。

9月10日午前に牽牛子塚古墳・越塚御門古墳を訪れ、
午後に”吉野宮滝遺跡に行きました。
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ここは、天武天皇の宮で、古代最大の争乱壬申の乱の旗揚げ地です。当時持統天皇は皇后でした。
持統天皇は、夫天武天皇がなくなった後も訪れ、生涯31回訪れた思い出の地です。
コミュニティーバスで行ったのですが、運転手さんは、
この地をこよなく愛した持統天皇への感謝と想いを、熱く語ってくれました。
同じ奈良県ですが、飛鳥の愛憎劇が今によみがえっています。

今回の奈良旅行の初日でした。しばし、個々の史蹟について記してゆきたいと思います。




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奈良旅行6日目最終日(20220915)

旅行最終日ですので、帰路の西大寺で下車して軽く周りました。

西大寺→秋篠寺→西隆寺塔跡→平城京跡資料館

秋篠寺は静かなこじんまりした寺です。御朱印は出していないというのは拍子抜けではありましたが、好感がもてました。

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奈良旅行5日目(20220914)

今日は、吉野口駅で下車して徒歩で周りました。

巨勢寺跡→正福寺→権現堂古墳→阿吽寺→水泥北古墳→水泥南古墳

電車で飛鳥駅に移動して、再び徒歩

牽牛子塚古墳→益田岩船→束明神古墳→牽牛子塚古墳

最後にまた牽牛子塚古墳に訪れたのは、夕日を受けた白い古墳の色の変化を見たかったからです。ちょっと空振り気味でした。

本日の歩行数は27,961歩でした。自販機を見れば飲み物を買い、木陰を選んで歩きました。でも楽しくて充実した1日でした。

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奈良旅行4日目(20220913)

今日は五條市へ行きました。近鉄からJRへの乗り換えで1時間待ち。帰りは五條駅で1時間待ち。と、ローカルへの旅という事を思いっきり知ることになりました。レンタサイクルを返す時間も午後4時でした。昨日の御所市では午後5時半だったのに!多くを訪れる事ができませんでした。しかも急峻な山中で迷子になりました。が、念願の藤原仲麻呂の史蹟に行けたので満足です。

黒駒古墳→榮山寺→藤原武智麻呂の墓→五條市立文化博物館

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奈良旅行3日目(20220912)

葛城の郷巡りでした。御所市まで電車で来て、電動レンタサイクルを借りて周りました。

孝安天皇陵→ワキガミカンス塚古墳→宮塚古墳→市尾墓山古墳→高取町歴史研修センター→巨勢寺廃寺跡→新宮山古墳→室宮山古墳→御所市文化財展示センター

葛城の郷を1日で巡る予定でしたが、どうしてどうして1/5も巡れたかな?でした。葛城氏の強大さを身を持って感じました。素晴らしい古墳の連続でした。

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奈良旅行2日目(20220911 )

今日は8時30分の吉水神社からはじまって、後醍醐天皇陵まで、夕方4時すぎまで歩き回りました。

修験者を多く見かけ、遠くから法螺貝の音を遠くに聴きながら巡っていました。歩いた歩数は2万4千歩でした。

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奈良旅行1日目(20220910)

夜行バスで奈良へ来ました。今日は橿原考古学研究所博物館→斉明天皇陵→吉野宮滝遺跡

飛鳥時代にどっぷり浸かった1日でした。詳しくは帰宅後で〜す。



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古墳時代史年表第2版

古墳時代史年表の第2版をリリースしました。
実年代の出来事と、数十年の幅がある古墳の築造年代を
一つの表に示すのは、専門家では大胆を越してしまうことで出来ません。
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ここは全くのアマチュアの特権です。

天皇の一覧表です。
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実在しない天皇も含んでます。
当たり前のことですが、暦がなかった時代の在位年代などの
記録があるわけはないです。
日本書紀編纂者の「つじつま合わせ」の苦労が見えてきます。
系図も付けてあります。

古墳時代は、現在と大きく地形が異なっています。
石棺や埴輪の時代変遷を加えてあります。
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このページは、さらに充実させてゆく予定です。

今週末の奈良旅行に持ってゆきます

 

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iPad教室 日野 20220907

午前コース
まず、接種証明の追加登録を行いました。
ここまで接種証明を入れてない方の登録も行いました。
初登録でも、ペーパーは必要なく
マイナンバーカードのみで、登録を行えました。
続いて、写真の合成です。
コラージュはもう皆さんお手の物ですが、合成は紹介をしたことはありましたが、
学習したのは、今日が初めてです。
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結構夢中になって合成写真を作りました。
習熟するために次回も継続して行う予定です。

午後コース
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タブレットのLINEがアクセスできなくなった時の対処と
「日程調整」の操作を学習しました。
アプリはあるのですが、グループの方が使っているのはウエッブサイトで行っているようで、
H講師が、適格に対応しました。さすがです。
知っている人同士なら、LINEの日程調整機能のほうが使い勝手が良いです。
旅行のキャンペーン(旅割)の見つけ方の実利も学習しました。

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ソーラパネル2枚で充電

ポータブル電源の充電にソーラパネル2枚を使ってみました。
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充電ワット数は120W~130Wでした。
キャンプなどレジャーで使う分には、パネル1枚で十分だと思います。
ですが、災害時の緊急使用では、2枚使いが実用的です。
雨水貯水タンクは、市の補助金を利用して200リッターを備えてります。
大規模災害時の最低限の備えを揃えました。

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ポータブル電源を購入

9月1日が、”防災の日”ということで、ポータブル電源がセール特価で販売されました。
この機会を利用して購入し、日常使いで節電していました。

ガソリンを使った発電機を非常用として15年以上前に購入していましたが、
幸い大規模災害もなく使用することはありませんでした。
ガソリンは、大規模災害時には入手が困難になります。
さらに保守メンテがに手間がかかります。

今回購入は、ソーラパネルと1000wのバッテリーです。
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晴天時での充電はカタログ値通りで良好です。
ただ、1000wフル充電に17時間ほどかかるそうです。
これでは、かかりすぎですので、ソーラパネルを1枚買い足しました。

購入前から分かっていたのですが、充電中は電気製品に給電できません。
災害時の実際の使用を想定すると問題が残ります。

実際に使っていきながら、考えてゆきたいと思っています。

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奈良旅行を予定してます

1月の大阪旅行以来、コロナの影響もあって家で読書(歴史書)する時間が多く
以前からゆきたいところに加えて、新たに行きたいところも増えて、旅行の時期を待っていました。
そこへ、元総理の国葬が決まって、国葬には付き合うつもりはないので、脱出の良い機会と思いました。

目的地は、奈良です。
計画を立てていたら、
なんと!宿泊費半額+お買い物クーポン券つきキャンペーンをしていました。
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私のような県外の観光客もOKです。

キャンペーン対象の施設は決まっているのですが、
その施設のウエブサイトを見ると、宿泊プランによって、キャンペーンの表示がある無しがあります。
表記が紛らわしくて、手間取りましたが、キャンペーンでの予約を終えました。
博物館の展示スケジュールと、連泊のとれる日程を調整したところ
当初計画より二週間前倒しになりました。
楽しみです。

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元総理の国葬に反対

安倍元総理の国葬が行われます。
私は反対です。

元総理は、モリカケ問題で国会で「丁寧な説明をする」といっては、全く守らず、
高級官僚の忖度を生み、実務に当たった方が自殺しました。
民主主義をないがしろにする大問題です。

多額の税金をかけて葬儀を行うことに納得できません。

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