山畑古墳群と河内廃寺跡 東大阪市
タブレット教室で古墳の話が出たときに
「古墳時代はどうして終わったのですか?」と鋭い質問がありました。
答えは「仏教伝来によって、火葬の風習が浸透するに応じて
土葬から火葬による納骨で大きな墳墓が必要なくなり、
また、一族の安寧と繁栄、鎮魂、それに威信の表現を
墳墓から寺の建立によってしてゆくようになった。」
と、お応えしました。
東大阪市の山畑古墳群と河内寺廃寺跡は、そうした光景を見せてくれます。
山畑22号墳 双円墳の西丘(東丘は消滅)で径20m
高さ1.76m
玄室から入口方向です 右片袖式です
6世紀中頃
山畑39号墳 径8m
小さな古墳で石も小さく持ち去られ易かったのでしょう
封土はありません
7世紀前半
河内寺廃寺跡 山畑古墳群から徒歩十数分の距離です
7世紀中頃の創建です
割と小さめのお寺です
渡来系の馬飼部の河内氏の寺です。
5月21日訪問
今は、インターネットで多くの資料が手に入ります
| 固定リンク
「歴史・史蹟」カテゴリの記事
- 永福寺(ようふくじ)鎌倉市(2023.01.09)
- 西南の役 戦跡(2022.12.31)
- 熊本城再訪(2022.12.17)
- 横浜開港資料館(2022.11.27)
- 宮廷苑池(日本庭園の源流)(2022.11.24)
「古墳・古代」カテゴリの記事
- 富雄丸山古墳の国宝級出土品(2023.01.26)
- 熊本県山鹿市などの横穴群(2023.01.07)
- 杉山古墳(奈良市大安寺町)(2023.01.05)
- 古代山城 麹智城(2022.12.31)
- 江田船山古墳(2022.12.30)
コメント