山畑古墳群と河内廃寺跡 東大阪市
タブレット教室で古墳の話が出たときに
「古墳時代はどうして終わったのですか?」と鋭い質問がありました。
答えは「仏教伝来によって、火葬の風習が浸透するに応じて
土葬から火葬による納骨で大きな墳墓が必要なくなり、
また、一族の安寧と繁栄、鎮魂、それに威信の表現を
墳墓から寺の建立によってしてゆくようになった。」
と、お応えしました。
東大阪市の山畑古墳群と河内寺廃寺跡は、そうした光景を見せてくれます。
山畑22号墳 双円墳の西丘(東丘は消滅)で径20m
高さ1.76m
玄室から入口方向です 右片袖式です
6世紀中頃
山畑39号墳 径8m
小さな古墳で石も小さく持ち去られ易かったのでしょう
封土はありません
7世紀前半
河内寺廃寺跡 山畑古墳群から徒歩十数分の距離です
7世紀中頃の創建です
割と小さめのお寺です
渡来系の馬飼部の河内氏の寺です。
5月21日訪問
今は、インターネットで多くの資料が手に入ります
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