« 新堂廃寺跡、オガンジ池瓦窯跡 大阪府富田林市 | トップページ | 高安古墳群 大阪府八尾市 »

山畑古墳群と河内廃寺跡 東大阪市

タブレット教室で古墳の話が出たときに
「古墳時代はどうして終わったのですか?」と鋭い質問がありました。
答えは「仏教伝来によって、火葬の風習が浸透するに応じて
土葬から火葬による納骨で大きな墳墓が必要なくなり、
また、一族の安寧と繁栄、鎮魂、それに威信の表現を
墳墓から寺の建立によってしてゆくようになった。」
と、お応えしました。

東大阪市の山畑古墳群と河内寺廃寺跡は、そうした光景を見せてくれます。
山畑22号墳 双円墳の西丘(東丘は消滅)で径20m
20220531a5
20220531a6
高さ1.76m
20220531a8
玄室から入口方向です 右片袖式です
20220531a1
6世紀中頃


山畑39号墳 径8m
20220531a7
小さな古墳で石も小さく持ち去られ易かったのでしょう
封土はありません
7世紀前半


河内寺廃寺跡 山畑古墳群から徒歩十数分の距離です
7世紀中頃の創建です
20220531a9
20220531a91
割と小さめのお寺です
渡来系の馬飼部の河内氏の寺です。

5月21日訪問

今は、インターネットで多くの資料が手に入ります
20220531a4

|

« 新堂廃寺跡、オガンジ池瓦窯跡 大阪府富田林市 | トップページ | 高安古墳群 大阪府八尾市 »

歴史・史蹟」カテゴリの記事

古墳・古代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 新堂廃寺跡、オガンジ池瓦窯跡 大阪府富田林市 | トップページ | 高安古墳群 大阪府八尾市 »