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愛宕塚古墳、向山古墳(大阪府八尾市)

心合寺山古墳からは近くですが、わかりずらい場所でした。愛宕塚古墳の道案内はあるのですが、近くに行くと途切れてしまいます。入口に至ってあります。が、ここまでくれば古墳というのはわかります。

愛宕塚古墳
円墳ですが墳丘はかなり崩れています。築造時期は、6世紀後半、もしくは6世紀末7世紀初めと考えられています。物部守屋が蘇我馬子・聖徳太子に滅ぼされたのが587年で、時期的に重なる可能性があります。
羨道は8.7メートル20220122a1 
玄室の長さは7メートル、高さは4.2メートルあります。この地域では最大級です20220122a2_2022012223330120220122a3

向山古墳
愛宕塚古墳よりさらに探しつらい場所で、すぐ近くのお家で聞きましたが「わかりません」との回答でした。案内の石碑をようやく見つけました。20220122b1
雑草をかき分けて進んだら雑草のの種が、ズボンにびっしり付きました。それだけで古墳がわからず、(時代は下りますが)醍醐寺の瓦の窯跡もわかりませんでした。
ホテルに戻って資料館で購入した資料を確認したところ、古墳の後円部に行っていました。後円部は土取りの影響で大きく変形しているとのこと。どうりでわからないはずです。窯跡の辺りも歩いていました。現地に行っているのに認識できていないというのは悔しいです。
溜池の向こう側が古墳です。水際が窯跡です。20220122b2 この近辺は醍醐寺の荘園になったそうです。醍醐寺の瓦の窯ができたのは、そのことと関係があるのでしょう。

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