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堺事件 土佐藩士の墓

今から12年前の2010年1月に堺市を訪れ、堺事件で土佐藩士11名が切腹した妙国寺も訪れています。
切腹した時に用いた血のりが残っている三方(短刀を置いた台)や藩士の遺髪に息を飲み込んだものでした。
藩士のお墓は、妙国寺が勅願寺であるという理由で一本道を隔てた宝珠院に葬られました。
12年前に宝珠院にある土佐藩士のお墓をお参りしようとしたのですが、宝珠院は幼稚園になっていて、お墓はその園内にあり、お参りすることができませんでした。
今回、12年の時を経てようやくお墓参りができました。
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落葉もなくきれいに、そして大切に守らていることを知ることができました。
堺事件とは1868年2月に上陸したフランス兵が堺の町の警備を担当していた土佐藩との間で銃撃戦となりフランス兵が11名死亡した事件です。
前月に鳥羽伏見の戦いで明治維新の内戦が始まった政情騒乱の時期でした。フランスと事を構えたくなかった新政府は。藩士の切腹で事態収拾を図ったのです。藩士は時代の犠牲となったといってよいでしょう。

夕方5時をまわっていたので、妙国寺の再訪はなりませんでした。
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妙国寺は、本能寺の変の時に家康が宿泊していた寺でもあります。
妙国寺は大阪夏の陣で焼け落ち、太平洋戦争の昭和20年7月に空襲によって焼けております)
フランス兵のお墓は、神戸の外人墓地にあります。お参りした時に「子孫の弔問は、すでに途絶えております」と墓地の職員から伺いました。
(1月14日訪問 続いて堺奉行所跡にも行きました)

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