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2022年1月

久し振りのフライト

今月の大阪旅行の帰りは、久しぶりに航空便を使いました。
動機は 1、機内のコロナ対策に少し安心感を持っていたこと 2,新幹線に比べて利用時間が短いこと 3,今回巡った奈良・大阪の県境の山々を上空から見たかったこと 4,機内WiFiの機能チェックです。

機内は、換気を強くしているせいか換気口からの音が強かったです。座席は横7列のところ乗客は3人のみでした。飲み物はいつもの通りに出ました。降りるときは密にならないよう配慮されていました。マスク等しっかり対策していれば、過度に心配する必要はないかなと感じました。
ANAの機内WiFiで、メールやLINEで写真を送ることはストレスを感じませんでした。YAHOOマップなどは重いせいか開けませんでした。

肝心のフライトコースですが期待していルートより北で、しかも低い雲がかかっていて今回巡った地は見ることができませんでした。考えてみれば往きのフライトコースが私の希望コースでした。久しぶりでしたので忘れていました。

機上から見たランドマーク
万博記念公園
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セントレア 中部国際空港
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静岡空港
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富士山と三保の松原
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スマホからの撮影です。

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堺事件 土佐藩士の墓

今から12年前の2010年1月に堺市を訪れ、堺事件で土佐藩士11名が切腹した妙国寺も訪れています。
切腹した時に用いた血のりが残っている三方(短刀を置いた台)や藩士の遺髪に息を飲み込んだものでした。
藩士のお墓は、妙国寺が勅願寺であるという理由で一本道を隔てた宝珠院に葬られました。
12年前に宝珠院にある土佐藩士のお墓をお参りしようとしたのですが、宝珠院は幼稚園になっていて、お墓はその園内にあり、お参りすることができませんでした。
今回、12年の時を経てようやくお墓参りができました。
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落葉もなくきれいに、そして大切に守らていることを知ることができました。
堺事件とは1868年2月に上陸したフランス兵が堺の町の警備を担当していた土佐藩との間で銃撃戦となりフランス兵が11名死亡した事件です。
前月に鳥羽伏見の戦いで明治維新の内戦が始まった政情騒乱の時期でした。フランスと事を構えたくなかった新政府は。藩士の切腹で事態収拾を図ったのです。藩士は時代の犠牲となったといってよいでしょう。

夕方5時をまわっていたので、妙国寺の再訪はなりませんでした。
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妙国寺は、本能寺の変の時に家康が宿泊していた寺でもあります。
妙国寺は大阪夏の陣で焼け落ち、太平洋戦争の昭和20年7月に空襲によって焼けております)
フランス兵のお墓は、神戸の外人墓地にあります。お参りした時に「子孫の弔問は、すでに途絶えております」と墓地の職員から伺いました。
(1月14日訪問 続いて堺奉行所跡にも行きました)

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ラグビーリーグワン 東芝のホーム開幕戦 

リーグワンになり、試合会場のつくりにチームカラーが出ます。
前節が試合中止になり、東芝にとって実質ホームゲーム開幕戦になった駒沢オリンピック公園の会場は盛り上がりました。
オフィシャルチアーリーダーズを結成してお披露目でした
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ルーパス君も久しぶりの登場です
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記念撮影コーナー
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トンガの噴火災害への寄付
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応援フラッグが1100円に高いと思いながら、トンガの被災者への寄付は1000円しました
試合後は両チームがトンガ国旗を掲げて場内を一周しました
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  トンガの皆さん元気になってください。

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ラグビーリーグワン ’22 東芝ブレーブルーパスvsトヨタベルブリッツ

第4節、駒沢オリンピック公園の競技場で行われました。微風で日が当たるバックスタンドは、寒さを感じることはありませんでした。

試合はブレ―ブルーパスがトライで先行しました。
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試合は拮抗した運びになりました。
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前半は東芝13-17トヨタで折り返しました。

後半18分までは23点の同点でした。
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ここからトヨタがペナルティーゴールとハイタックルでのペナルティートライでトヨタが勝ちました。
東芝で惜しかったのは、モールでゴールラインに持ち込んでグラウンディングができないシーンが2度ありました。ルール変更で相手ボールになります。前節の熊谷VS横浜でも、横浜が前半2度グラウンディングが認められなかったことで試合の主導権を握れませんでした。ゴールラインでのモール・ラックでは無理してほしくなかった。というのがファンの思いです。
ジャッカルがいくつかありボール争奪では良かった思います。

ただ、相変わらず反則が多いです。
試合後キャプテンがレフリーに話しかけていました
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おそらく判定の基準について質問していたものと思います
東芝はもったいない試合を落としました。

東芝 23 ー 33 トヨタ


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明日は、東芝ラグビーのホーム初戦

リーグワンになって、明日が東芝ブレ―ブルーパス東京のホーム初戦になります。先週は、ホームゲーム初戦だったのですが、相手チームにコロナ感染者が出て試合そのものは中止になってしまいました。従って、明日が実質ホームゲーム初戦になります。
コロナの影響で、以前と違って「試合があるのか、ないのか?」毎週気になります。
相手はトヨタです。体を当ててくる似たもの同士の戦いです。前試合でのペナルティーで2人が出場できません。リーチさんも怪我で出れません。状態は必ずしも良くはありませんが、勝ってくれると信じてます。

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堀越神社と義太夫生誕地

大阪天王寺の近くに 堀越神社 があります。大阪では有名なのでしょうか?
前を通りかかって、神社の由来を見てびっくりしました。
主祭神が 崇峻天皇 です。20220128a2
崇峻天皇は蘇我馬子の手の者によって暗殺された天皇です。『お参りする人は、暗殺された天皇に何をお願いするのだろう?』と率直に思ったものです。聖徳太子が造営したのが始まり(天皇が暗殺されたのは太子18歳の頃)ということですから、霊を鎮めるという造立目的だったのでしょう。そこは理解できるのですが、今?なぜ?の感です。
結局、主祭神もさることながら、その後に追加で祀った祭神が広く信仰を集めたということなのだと思います。神社が廃れずに長く保たれる理由の一つなのでしょう。「一生に一度の願い事をする」神社だそうです。
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参詣は多かったです。
ちなみに、崇峻天皇の御陵(奈良県桜井市)は宮内庁が明治22年になって指定(作った)もので信憑性は全くありません。

堀越神社の近くに、元祖竹本義太夫誕生地 の碑があります。
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大阪は道が拡幅しているところが多いので、おそらく道路の真ん中あたりがその場所なのだと思います。
京都は路地裏に思いもかけず史跡の碑があります。大阪は表通りの端に史跡の碑が多いように感じます。

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玉手山古墳群(大阪府柏原市)

玉手山にある17号墳まで確認されている古墳群です。
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眼下に第2位の大きさを誇る応神天皇陵古墳などの古市古墳群を見下ろします。4世紀から5世紀頃と両古墳群の築造時期は、重なりそうです

古墳群中最も大きい古墳が7号墳です
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前方部には、尾張2代藩主の徳川光友一族の墓があります。
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遠く尾張の藩主の墓がなぜこの地にあるのか?安福持の方に伺ったところ安福持の住持が光友と懇意であった縁とのことでした

後円部の墳頂部には大坂夏の陣の戦いの供養塔が建っていました。
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古墳の墳頂という感じはありません

山全体が古戦場です。大阪方は後藤又兵衛が率いていました。又兵衛はこの山で戦死しました。
山の彼処に現在の墓地が点在し、大坂夏の陣の戦死者の供養もいくつもあります
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安福持の前は、6世紀中ごろから7世紀の横穴群があります
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同じく安福寺の寺域に3号墳から出土した割竹型石棺があります
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古代寺院の片山廃寺跡
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塔礎石の大きさにびっくり、そして柱穴に蓋を作ってかぶせてあるのにもビックリです

歴史てんこ盛りの玉手山巡りは時間切れとなってしまい、まわりきれませんでした。
(1月16日訪問)

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高井田横穴と柏原市立歴史資料館(大阪府)

馴染みがない町かもしれませんが、柏原市の東は奈良県に接しています。
古代、大和と難波宮を結ぶ重要な地であったことが地図を見ていただくとわかります。
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黄色〇が柏原市 青色ロが難波宮 大和川は西(地図では左)に流れていますが、これは江戸時代の大工事の結果で、古代は北へ向かって流れていました

歴史資料館(入場無料)は高井田横穴公園内にあります
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小さい〇が横穴です
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大きくはありませんが展示は大変参考になります

高井田横穴(国指定史跡)は数百の横穴があります。
6世紀中頃から7世紀初めの50年間ぐらいでつくられました
岩を丁寧に加工して作ってあります
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棺台も備えています
線刻で有名です
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一番有名な線刻がある3-5号横穴は公開されておらず、線刻のレプリカが横穴の前に展示されています
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丁寧な加工から渡来系の横穴墳墓かと思ったのですが、
九州とのつながり(特に肥後周辺の影響)が強いとみられています

公園内の一番高いところに高井田古墳があります
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天井石は失われ、ドームで保護されています
構造と副葬品から百済から渡来した王族クラスの夫婦が埋葬されたのではないかと考えられています
軍君(こにきし)昆支王(こんきおう)が候補に挙がってきます
(1月16日訪問)

 

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コロナワクチン(ファイザー製)の副反応は軽微

23日にファイザー製のコロナワクチンの3回目の接種を受けて、翌日は、接種した腕に軽い張りを感じました。痛いというほどの事ではありません。前回は微熱が出ましたが、今回は微熱も出ませんでした。
マスクをアップグレードするなど、感染対策は今まで以上に気を使っていますが、少しだけ気持ちにゆとりがあります。

26日のタブレット教室は、施設の空調が故障していて換気が十分に行うことができないので、予定を変更せざるを得なく休講とすることにしました。質問、相談はLINEで受けるようにしています。

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蘇我ー物部 飛鳥時代古戦場(大阪府・八尾市)

河内(八尾市)には、物部氏の別業(第二の拠点)がありました。崇仏で争った(実態は権力闘争)蘇我氏が物部守屋の拠点のこの地に攻め入りました。城を作り蘇我を迎えました。聖徳太子は蘇我氏側として戦いました。
苦戦の末、物部氏を破り、戦勝のお礼として建てた寺が大聖勝軍寺です。
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かつては多くの僧坊を抱えていました

御神木が椋(むく)の大木です
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太子像(矢印)が木の裂け目から覗いています

寺の前に『古戦場』の碑があります
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その脇に「守屋池」があります。秦河勝が物部守屋の首を洗った池です。水は枯れていました。
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物部守屋の墓
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鏑矢塚
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迹見赤木壽(とみのいちい 下線部は一文字です)が守屋を射殺した矢を埋めたところ

現在、形は変わっています。江戸時代の様子がわかります。
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伝承は形を変えても伝えられてゆきます。一つ一つの伝承が真実を伝えているのかどうかを評価するのではなく、それらが一体となって、この地域が飛鳥時代の古戦場であった記憶の証として受け止めればよいと思います。

弓を埋めたところもあるそうです。実は、今回は見送ることにしていた史跡です。ところが交通機関のトラブルがあって予定を変更して巡ったのです。計画外でしたので、漏れが出てしまいました。伝承上の史蹟ではありますが、見逃したのは残念です。

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由義寺跡

称徳天皇と弓削道鏡が道鏡の故郷に建てた由義寺が平成28年に発見され話題になりました。そして平成30年に国の史跡に指定されました
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国道沿いに大きな看板があります
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地元八尾市としても文献上だけであったものが、実態として現れたのですから、その喜びは容易に想像できます

塔の基壇の盛り上りが見れます
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発掘の意状況発掘の状況から当初からあった基壇ではなく、目安としての土盛のように思われます
ここに七重塔が建っていたと推定されています。
ここから出土した瓦は、下野薬師寺(道鏡失脚後に別当となった寺)や西大寺の瓦と同じ型が出ています。

発掘時の様子 白い枠が塔跡です 道路の左側は、現在大型店舗が並んでいます
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ぐるーっと回ったのですが、フェンスに囲まれてはいることができません。これだけアピールしておいて、これにはびっくりしました。
史跡公園にしてから公開するのでしょう。待ちましょう。

近くの都留美島神社に寄りました
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江戸時代の付け替え前の大和川の堤防址が残っています。
旧大和川左岸の堤防で神社は堤防の上に建っています。
大和川付け替えは、古代の河内の地勢が現代とは大きく異なっている点で、大変重要なことです。

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弓削氏の史蹟(大阪府・八尾市)

八尾市の史蹟巡りは、弓削氏を中心としたものでした。
弓削氏で最も知られた人物は、言わずと知れた弓削道鏡です。称徳天皇が法王にした人物です。

龍華寺跡
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769年に称徳天皇が参詣しています

矢作神社
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物部氏か物部の支配下の矢作連の邸宅跡の可能性が強いところです
周囲には古墳時代の遺跡があります。木簡などの直接的な遺物がまだ発見されていないということで断定されていないということだと思います

由義神社
”ゆげ”と読みます、弓削と同じ読みです。弓削の好字として769年以降に由義が以降に使われたようです。称徳天皇の威光が反映されています
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「由義宮旧址」の碑があります。20220124a2
西京(にしのきょう)と呼ばれました。平城京から見て西にあります
ここを含む大きな地域を考えるべきでしょう

弓削神社
実は、二つあります。なぜ二つあるのかわかりません。もともと二つあった可能性もあります
1,由義寺に近い弓削神社
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現在地より東300メートルのところにあったそうです。

2,志岐駅に近い弓削神社
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訪問日 1月15日

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土塔(大阪府・堺市)

お寺の”塔”と言えば、五重塔とか木造の塔がほとんどですが、堺市にある大野寺の塔はピラミッド型の土(瓦で覆って)でできています。奈良市にある頭塔が有名(造られた当時は土塔と呼ばれていました)で訪れていますが、堺にもあったということで、行く機会を待っていて今回行くことができました。どちらも古代寺院です。
駅から歩いてゆくと屋根越しに見えてきます
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この瞬間にワクワク感がマックスになります

入口
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国内で2例の土塔ですが、奈良の頭塔よりかなり大型です
こちらの土塔は一辺が50メートルを超えています
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半分が復元で、半分が整備して芝となっています。また一角が発掘状態での保存となっています

断面の一部が見れます
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復元模型
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頂上の建屋部分は推定です

整備前の写真の表示版もあります
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保存公開の史蹟として配慮が行き届いています
(1月14日訪問)

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コロナワクチンのブースター接種を受けました

オミクロン株は、症状が軽いと言いますが、それは入院する必要があるかどうかで軽症と判断しているようで、かかった人にとっては結構つらいとテレビの報道で見ています。

市からの3回目の接種の案内が20日に届きました。私の場合は「2月13日となっていて会場へ来てください。予約の必要はありません。」となっていました。2月13日では遅いだろう!と、指定日時はキャンセルして繰り上げ接種を希望して手続きを取りました。
あっさりと今日23日の予約が取れて接種を受けてきました。

私の場合は何とか今日接種できましたが、政府の対応は遅いです。内閣改造でワクチン担当相が変りましたが、派閥の事情優先で代わったワクチン担当相は存在感が全くありません。教訓を生かせない政治って何なんだろうと思います。

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五塚原古墳(京都府)は箸墓古墳と築造時期は同じ

箸墓古墳は最初期の古墳ですが、京都府向日市の五塚原古墳が箸墓古墳と同じ時期の築造とのニュースを今日知りました。
私は、5年前の2016年12月にこの古墳に行ってますので、びっくりしました。

当時撮った写真です
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墳丘表面の葺石
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一部崩れたところにやはり葺石が見られます
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当時は、箸墓古墳と同じ時期の築造とは全く知りませんでした。(当時の知見ではまだそのように見られていなかったと思います)

箸墓は、卑弥呼の墓との説があります。私はまだそこまでは言えないだろうと思っていますが、
五塚原古墳は、大きさは箸墓古墳より小さいのですが
古墳出現期の最古期の古墳が京都にもあったという事実をどの様に理解したらよいのでしょうか?
ヤマト王権の広がりが従来より大きくなるということでしょうか。

私にとって衝撃的な報道です。

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愛宕塚古墳、向山古墳(大阪府八尾市)

心合寺山古墳からは近くですが、わかりずらい場所でした。愛宕塚古墳の道案内はあるのですが、近くに行くと途切れてしまいます。入口に至ってあります。が、ここまでくれば古墳というのはわかります。

愛宕塚古墳
円墳ですが墳丘はかなり崩れています。築造時期は、6世紀後半、もしくは6世紀末7世紀初めと考えられています。物部守屋が蘇我馬子・聖徳太子に滅ぼされたのが587年で、時期的に重なる可能性があります。
羨道は8.7メートル20220122a1 
玄室の長さは7メートル、高さは4.2メートルあります。この地域では最大級です20220122a2_2022012223330120220122a3

向山古墳
愛宕塚古墳よりさらに探しつらい場所で、すぐ近くのお家で聞きましたが「わかりません」との回答でした。案内の石碑をようやく見つけました。20220122b1
雑草をかき分けて進んだら雑草のの種が、ズボンにびっしり付きました。それだけで古墳がわからず、(時代は下りますが)醍醐寺の瓦の窯跡もわかりませんでした。
ホテルに戻って資料館で購入した資料を確認したところ、古墳の後円部に行っていました。後円部は土取りの影響で大きく変形しているとのこと。どうりでわからないはずです。窯跡の辺りも歩いていました。現地に行っているのに認識できていないというのは悔しいです。
溜池の向こう側が古墳です。水際が窯跡です。20220122b2 この近辺は醍醐寺の荘園になったそうです。醍醐寺の瓦の窯ができたのは、そのことと関係があるのでしょう。

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心合寺山古墳(大阪府八尾市)

心合寺とかいて「しおんじ」と読みます。この古墳の西側にあった寺(飛鳥時代の秦興寺)が古墳の名前の由来となっています。ただ、寺の遺構は発見されていません。(遺跡地図では心合寺となっていますので、秦興寺→心合寺となったものかと思います)

五世紀前半の全長160メートルの大型前方後円墳です20220121a1
古墳から大阪平野が一望できます

後円部には3基の粘土槨があり、図示されています20220121a2
前方部にも木槨の埋葬施設があります。20220121a21
前方部に埋葬施設があることは珍しくはありませんがマウント(方形壇)があるのは珍しいです20220121a3
(後円部から撮影)

もう一つ珍しい(貴重)なのは、「水の祭祀場を表した埴輪」(八尾市民俗歴史博物館にて展示)が発見されています20220121a4
この建物の中に水を引き込み建物の中で何らかのまつりを行ったものと考えられています。
造り出し部から発見されました20220121a5

古墳に隣接して「しおんじやま古墳学習館」があります。展示がとても参考になりますし、解説書と並んで古墳グッズの品ぞろえが豊富です。
(1月13日訪問)

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平川門桝形と帯曲輪の沿革について(ツツミ様より)

ツツミ様よりご投稿をいただきましたので紹介いたします。

平川門桝形と帯曲輪の沿革について考えてみます。江戸城総絵図などに描かれている情報を論拠にする場合、その情報が、どこまで正確なのか、どういう目的で作成された絵図なのか、といった史料批判を行った上で利用しないと、間違った答えが導き出されてしまう恐れがあります。その史料批判を行う為にも、平川門、帯曲輪の形成過程を検討しておく必要があります。

『江戸城始図』を含む慶長年間の江戸絵図類に見られる通り、当初は設けられていなかった帯曲輪の築造は、元和六年か、同八年の天下普請の際であった、と考えられています。
元和六年の天下普請では、平川門桝形の普請も行われていますが、この時に造られた桝形は、今のように、濠の側に張り出した外桝形の形式では無く、城郭の内側に組み込まれた内桝形の形式のものだったようです。(HN)平川門さんがコメントで指摘されたような、寛永図などに見られる、内枡形の平川門の隅に帯曲輪の先が接続している状態は、その当時の様子を案外正しく伝えているようで、国立博物館が所蔵する、当時の平川門桝形と帯曲輪の状況を正確に写すと思われる『寛永十二亥年二之御丸指図』を見ると、それがよく分かります。この指図に依れば、平川橋の架かる位置は、今と築造当初から変化は無く(木橋部分の長さは、もう少し有ったのかも知れません)、橋を渡った真正面、今は石垣になっている所に高麗門が建ち、桝形に入って左側に、渡り櫓門が在りました。帯曲輪は、現存の渡り櫓門が建つ隅の方で、桝形内に接続していた事が判ります。その口に高麗門が設けられていたのであれば、桝形内から見ると、二つの高麗門が少し離れて隣接している感じに見えたでしょうか。
この図は、以前は「東京市史稿 皇城編」掲載の白黒の写ししか見る事が出来なかったのですが、先日国立博物館のデータベースを確認した所、彩色された原本が、いつの間にか公開されていて、ちょっと感激いたしました。

内桝形だった平川門が、いつ、何のために、現存の形となったのか、という事については、江戸時代初期に行われた城内の様々な場所の改変が関わっているのではないかと思います。
かつては、二ノ丸と三ノ丸の間には濠が在り、下乗門の手前に下乗橋が架かっていた事は、知られていますが、慶長から寛永の前半にかけて、その濠は、下乗橋の架かる部分から、天神濠の方まで真っすぐに掘られていました。昨年春に三の丸尚蔵館の建て替え現場で江戸城築城当時の石垣が発掘された、というニュースがありましたが、この石垣は、その濠の一部分かも知れません。そうだとすれば、その延長線上の二ノ丸庭園の地下にも同じような石垣が埋まっている可能性があります。それは兎も角、今よりも敷地が広かった三ノ丸(当時は二ノ丸と呼ばれており、西丸下の大名小路を三ノ丸と呼んだようですが、便宜上後の呼び名を使います)には、寛永図などにあるように、酒井讃岐守や酒井雅楽頭等の屋敷が置かれていました。それらの屋敷を城外に移転させ、二ノ丸を現在の大手町方向に拡張する普請が始まったのが、寛永十二年で、その際作成された指図が、国立博物館の「二之御丸指図」という事になります。指図にある二ノ丸御殿も、翌十三年六月に完成します。
寛永十八年八月に将軍家光の嫡男竹千代(後の家綱)が誕生すると、同二十年には、竹千代の為に、二ノ丸御殿の建て替えが行われます。この時同時に、三ノ丸御殿が新造されますが、八年前の二ノ丸拡張で、三ノ丸の敷地はかなり狭まっており、そのままでは、御殿を建てるだけの余地は有りません。そこで、御殿を建てる場所を作り出す為に行われたのが、既存の平川門桝形を撤去し、新しい桝形を、平川橋に横付けする形に張り出して、帯曲輪の一部も取り込むように築き、桝形内に帯曲輪との出入用の高麗門を設ける、という改築工事だったのではないかと思います。三ノ丸御殿の指図は残されていませんが、総絵図には、そのアウトラインが描かれている物も多く、平川橋の位置から推せば、御殿の建てられた場所が、「二之御丸指図」にある平川門桝形と重なっている事がよく分かります。桝形を撤去しない限り、御殿の造営は出来ない訳ですから、寛永二十年に、平川門桝形を外枡形にする普請も行われていなければなりません。
この平川門桝形の改造について、はっきりそれと記されたものはありません。しかし、「東京市史稿 皇城編」に、『御徒方萬年記』を引いて、「正月七日〔寛永二十年。〕三之丸御縄張ニ平川口ヨリ八時(将軍家光が)御成、平川口橋ニ少之間御座、御普請被仰付候衆ニ被仰付、松平新太郎〔光政〕召被仰付候、上意ニ而富永主膳・阿部四郎五郎〔正行。〕兩人ニ御縄張之通可然存候由与御念頃ニ上意候」、また、『御當家紀年録』を引いて、「是年〔寛永二十年。〕改築江戸平川虎口石壁、松平〔池田。〕新太郎光政役之、久世大和守廣之奉命爲惣奉行、庄田小左衛門〔安照〕・朝比奈源六郎〔正重。〕奉行之。」などとあり、これまで述べてきた事柄を総合的に考えれば、この寛永二十年の「平川虎口石壁改築」が、内枡形から外枡形への改変であった可能性は、極めて高いと思います。池田光政が担当した石垣の改築が成ったのは、「東京市史稿」に依れば、この年の三月二十七日の事でした。
尚、江戸絵図の類には、これ以降も内枡形の平川門が描かれていますが、それらは、古い絵図を引き写した事に依るものでしょう。寛永の江戸絵図には、雉子橋と一ツ橋の名前が取り違えて記されていますが、その間違いは明暦三年開版の江戸絵図まで引き継がれており、一旦書(描)かれた情報が新しい情報に改められるまでには、かなりの時間を要したようです。

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旅行は資料館から

旅先では、資料館を最初に訪れることにしています。
遺跡地図や図録を手に入れることが第一目的です。史跡のお勧めルート図や、歴史散歩の本では地図が大まかなケースがあります。その時に詳細で正確な地図が役に立ちます。
八尾市でも歴史資料館に最初に訪れました。20220120a2
まずは、地図です。
20220120a1 ビックリです!市内のほとんどの地域が、埋蔵文化財がある地域となっています。なっていないのは旧河川の跡ぐらいです。古代遺跡が全体を覆っています。
この後、向山古墳に行ったときに、古墳から50メートルくらいのところで「向山古墳はどこでしょうか?」と尋ねたのですが、ご存じありませんでした。こうしたことは珍しくありません。正確な地図が役に立ちます。

今回の旅行の目的の一つが「弓削道鏡の史蹟をめぐる」でしたが、資料室の入口に道鏡と称徳天皇の衣服が飾ってありました。20220120a3 地元では道鏡は人気があるようです。

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iPad教室 日野 20220119

午前コースは、参加者が少なく、そこを逆手に取って「目の前の困りごと」をリクエストに応えて解決しました。まだ設定していなかった指紋認証もそうですし、山の名前が出るアプリも以前から欲しかったそうで、インストールしました。このアプリはこれから先は使用しながら調整の必要があります。

20220119b1 午後のコースでは、Googleのカメラと音声での便利な検索を勉強しました。YAHOO党の私にとってGoogle検索の進化には、今更ながら驚かされました。

コロナのオミクロン株の拡大の勢いがすごいです。が、家の中に閉じこもるリスクとの兼ね合いがあります。施設が利用停止とならない限り教室は続けることにしています。

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関西古墳サミット

今回の旅行の大きな目的というかきっかけは、この関西古墳サミットへの参加でした。早々と申し込んで、その後は定員に達した人気のイベントです。京都府知事、奈良県知事、地元堺市長のあいさつでは、古代史に対する知識の豊富さに正直驚きました。20220119a1 徳島県まで含んで各府県から古墳の保存・活用の事例発表がありました。事前に私が一番注目していたのが明日香村の「牽牛子塚古墳の保存」がどのようになるかでした。20220119a2
牽牛子塚古墳は、斉明天皇のお墓です。(宮内庁の指定は見当外れの他の古墳です)現状では、石室というか石槨が見れます。マウントをそのまま復元されると見れなくなってしまいます。ですが発表では見れるように配慮した計画になっています。さらに私が行ったときには埋め戻されてみることができなかった越御門塚古墳も見学できるようになるそうです。しかも映像でより理解できるような設備になるそうです。良い計画だと思います。2023年には飛鳥を世界遺産に推薦する予定だそうです。そうなると多くの人が集まるようになるでしょう。

会場には参加各府県のパネル展示がありました20220119a4 
古墳グッズの出店もありました20220119a3
最後はゆるキャラの登壇でサミットは終わりました20220119a5
期待にたがわず良いイベントで参加してよかったです。文化庁が来年度に京都に移転してきます。次回は「全国古墳サミット」になることが期待されます。

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大阪土産

旅先から、孫に「伝仁徳天皇陵古墳を背景にした写真を示して、これはなあに?今、堺から大阪に戻ったけれど堺は何県?」と、スマートスピーカーでクイズを出しました。その時子供から『はにわぷりん』をお土産に欲しい。と頼まれました。「手に入れるために、決して無理する必要はないよ」と、言葉を添えられましたが、そこは親として何とか子と孫に買ってゆきたいと思いました。『はにわプリンがおいしい』と話題になったことは聞いたことはあるのですが、すっかり忘れていました。賞味期限が短く、今更堺にそのために買いに行くことも時間の無駄です。何とか大阪で見つけてゲットしました。
今夜、子供一家がぷりんを食べに来ました。
美味しい! カスタム、チョコレート、カボチャ、抹茶の4種類です。各自、分担して一味ずつ食べたのですが、「美味しい!」で一致しました。味で勝負している商品です。マグカップより小ぶりな陶製のカップが人気で、持ちかえってゆきました。
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買い求めた書籍が重くて、その上ぷりんが加わって、移動中は重量にはちょっと閉口気味でした。

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大阪旅行5日目 2022年1月

天王寺に泊まったので近くを見ておこうと、四天王寺→五條宮→真光院→勝鬘寺と挨拶がわりにめぐりました。真光院と勝鬘寺は聖徳太子と関わり、五條宮は橘氏ゆかりとしては唯一の宮だそうです。

ちょこっと移動して十年振りぐらいに難波宮と大阪歴史博物館を訪れて旅行を〆ました。大阪城と難波宮を眼下に見下ろす博物館の立地は、あらためて新鮮で展示も見応えがありました。

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大阪旅行4日目 2022年1月

今日は奈良県境の柏原市を予定してました。1本前の電車が人身事故で途中の八尾市で降りました。

蘇我と物部の古戦場 物部守屋の墓、守屋の首洗池、守屋を射た鏑矢を埋めた塚・・・多分に伝説的ですが、古戦場としての伝承です。そして聖徳太子が戦勝の礼として建てた大聖勝軍寺。

その後、柏原市へ向かい柏原市歴史資料館→高井田山古墳(横穴群)→安福寺横穴群→尾張徳川光友墓→玉手山古墳群→片山廃寺

ピックアップ記事は帰宅後にアップします。

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大阪旅行3日目 2022年1月

八尾市の弓削道鏡関連史跡を中心に巡りました。

龍華寺跡→矢作神社(物部一族邸跡)→由義神社(由義宮旧跡碑)→由義寺跡→都留美島神社(旧大和川堤)→弓削神社→弓削神社

弓削神社は数百メートル離れて2つあります。


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ラグビーリーグワン '22 東芝ブレーブルーパスvsドコモハリケーンズ

5万人収容のスタジアムに1572人の観客はさびしいですが、コロナ感染拡大のなか、致し方なしです。

こんな状況ですから、ともかく1勝がほしいです。試合は前半15-13とリードした東芝が、後半19分に32-16とリードした21分に退場2人が出てピンチを迎えましたが、ここを無失点でのりきって初勝利を上げました。

東芝 35- 16 ドコモ

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大阪旅行2日目 2022年1月

コロナ感染を用心して、ラッシュ時を避けてゆっくり行動です。

(大阪府堺市)土塔→陶邑の窯跡(資料館は閉鎖してました)→宝珠院(堺事件の切腹した土佐藩士の墓) →堺奉行所跡

途中、午後1時から関西古墳サミットに参加しました。

途中というより、今回の旅行のメインイベントです。良かったです。

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大阪旅行です

大阪に久しぶりに来ています。

今日巡ったのは、八尾市歴史民俗資料館→心合山古墳(付属古墳学習館)→愛宕塚古墳→向山古墳でした。

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欲しい資料が沢山あって厳選したのですが、・・・・それでも重い!  初日から思いやられます。

詳しくは帰宅してからアップします。

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ラグビーチケットをぴあで買ったら

アウェー戦のチケットを ぴあ で買いました。3500円のチケット代にシステム利用料とかで、プラス505円かかりました。
この手数料はなに?高すぎ! 

もう、ぴあでは買いません。

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iPad教室 日野 220112

今日は、通常講座ではなく、スマートスピーカー(AIスピーカー)の特別講座でした。スマートスピーカーをお勧めして購入された方が各コースにおられますので、各コースから関心をお持ちの方が参加されました。テキストを使って、まずは「どんなことができるのか」の基本を勉強しました。
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関心を持つことは大切です。また、知ろうとすることも大切です。知らなければ「自分にとって必要なのか不必要なのか?役立つのか役立たないのか?」判断できません。新しいデバイスやコンテンツに対して知的関心がオープンになっているか。先に行って大きな差が出てくるように感じます。
途中の休憩もなしで、2時間びっちり勉強しました。

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ラグビーリーグワン’22 東芝ブレーブルーパスvs東京サンゴリアス

トップリーグからリーグワンとなったラグビー開幕節の東芝ブレ―ブルーパス(VS東京サンゴリアス戦)の応援に行ってきました。20220108a1
ホーム&アウェーでの戦いで試合会場の味の素スタジアムは、サンゴリアスのチームカラーの黄色でいっぱいで、東芝のグッズ販売のお店もありませんでした。
両チーム府中市が本拠ですので「府中ダービー杯」の試合です20220108a2
私自身、久しぶりの会場での応援です。キックオフ
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前半は接戦でしたが、東芝は反則が多く20220108a4
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後半は、大きく差をつけられました
ファイナルスコア
東芝ブレ―ブルーパス 46 ー 60 東京サンゴリアス
次節に期待します20220108a6


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「奈良朝の政変と道鏡」読了

読み応えがありました。20220107a1
数年前に大分の宇佐神宮へ行ってから、道鏡に関心が強まりました。世情いうところの『怪僧』『妖僧』とか『女帝をたぶらかした』という先入観は、私にはありませんでした。
本書の述べるところは「道鏡を天皇にするという宇佐八幡宮の託宣は、宇佐八幡宮の派閥争いなどの宇佐八幡宮内部等状況から生まれたもので、道鏡はそれによって、舞い上がった。しかし称徳天皇は情において道鏡に理解を示しても、天皇としては『それはない!』と冷静に受け止めた。」ということになるでしょうか。事実はどうであったか?難しいのでしょうが、本書の主張には説得力があります。筆者の集大成の作であるように受け取りました。

ただ、ひとつ残念な点があります。栃木県にある道鏡の墓とする「道鏡塚」に関する記述です。
『いま、龍興寺(栃木県下野市)境内にある塚が道鏡の墓といわれ、その生涯をひっそりとこんにちに伝えている。』
としていますが、道鏡がどこに葬られたのかは、記録がありません。特別な人としてではなく一般人として葬っているから、墓はわからないのです。ましてこの塚は、時代も合わない古墳です。著者も承知しているはずです。その点はきちっと記述して欲しかった。

称徳天皇の陵もわからなくなっています。(宮内庁の定める陵は、まったく違っています)民家の下になっている可能性すらあります。
奈良時代は、血みどろの政変劇が数多くあった時代です。その痕跡の多くが地下に眠りわからなくなっています。これが歴史だと思っています。

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ラグビーリーグワン開幕へ

開幕戦がコロナ陽性者が出て、中止になってしまいました。残念!
今シーズンの新発足にまだ、個人的な対応が立ち上がっていません。「チケットの予約はどこからするの?」とまごつくところから始まりました。
トップリーグ時代から比べるとチケットは、えらく高くなりました。前が安すぎたのは確かです。これからは、私たちがこのスポーツを支えるんだ。という気持ちで試合に臨みます。

東芝ブレ―ブルーパスのオンラインイベントがありました。20220105b1

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「いよいよ開幕」の実感が湧き出てきました。頑張って!目標は優勝です!

それにしてもオミクロンの行方が心配です。

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iPad教室 日野 220105

あけましておめでとうございます
今日は、仕事はじめ?のiPad教室でした。
大晦日に風邪をひき38度の熱で、お正月はなかったも同然でしたが、体調は今日に合わせてきっちり戻しました。
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午前、午後ともデジタル庁のワクチンパスポートのダウンロードと登録(発行)を行いました。iPadではダウンロードができません。iPhone(スマホ)専用です。持ち運びを想定しているからなのでしょうが、画面が小さいのでiPadを持って歩く人もいます。もう少し融通を持たせていただきたいものです。
マイナンバーカードを読み込むと、接種記録に紐づけされていて作業そのものは簡単でした。「マイナンバーカードもようやく少し進歩したなあ」というのが正直な感想です。引き続いて海外旅行に向けてパスポートの登録です。パスポートの登録は私一人でした。「希望者はパスポートを持ってくるように」と言ったつもりが、私の思い込みで、アナウンスしていなかったと指摘されました。『シニアは思い込みが強いもんです』と居直って、こちらは次回にすることにしました。
午前の部では、東京都のワクチンパスポート(TOKYOワクション)の登録もしました。私とH講師の講師陣は昨年中に入れていたことに気づきました。講師陣は抜け目がないです。

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