二上山墓(宮内庁治定の大津皇子の墓)
2018年に仲間と二上山雄岳の頂上付近にあるこのお墓を訪れています。
大津皇子の悲劇を知っていましたので、行きたかったお墓でした。
でも、「ようやく、ここまで来た」という感動はなかったように記憶しています。
中央に鳥居、右手に注意書きのある看板『天武天皇皇子大津皇子 二上山墓』
どこの陵墓にもある共通規格です。「魂を鎮める」という雰囲気に浸るという気持ちになれなかったのは、「陵墓はどこも同じ」ということが気持ちに影響したのだと思います。
ちなみに、天皇、皇后のお墓は「陵」その他の皇族は「墓」と宮内庁では区別してます。また、陵墓に指定することを治定(じじょう)と言います。二上山は、現在は「にじょうさん」と呼びますが、大津皇子の時代には「ふたがみやま」と呼んでます。
今回の旅行で調べていったら、奈良県遺跡地図で、「二上山の頂上はお城(赤枠内がその範囲)」であることがわかって、びっくりしました。
宮内庁が治定した二上山墓(黄丸)は、城跡の中にあります。地図の鳥谷口古墳(緑丸)は、真の大津皇子のお墓です。私は、鳥谷口古墳を「大津皇子の墓とする説もある」とは書きません。その理由は稿を進めていって述べたいと思います。
2018年に二上山に行ったときは、お城であったとは、まったく知りませんでした。
(つづきます)
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