鳥谷口古墳(大津皇子の真の墓)3
鳥谷口古墳を初めてみると、およそ古墳らしくないその姿に最初は違和感を感じます。
保護のため石槨が中にあります。多くの古墳のイメージとしては、「羨道があって、その奥に横穴石室があり、石室の中に石棺がある」ではないでしょうか。
終末期古墳(大津皇子と時代が合う)の鳥谷口古墳は『横口式石槨』というタイプです。石室と石棺を合体させたと言えばイメージできるかと思います。横穴石室に比べると小型です。
石槨の右部に四角い穴から、被葬者を運び込んでいます。小さい穴ですので、遺体を運び込むことはできず、火葬遺骨か改葬された遺骨を葬ったものと思われます。(大津皇子の”移葬”と合致する)
墳丘は、一辺7.6mの方墳です。墳丘には人の頭よりも大きめの石が貼付けられています。
家形石棺の蓋を北側面(写真左側面)に使う、しかも二つに割れている。など特異な作り(おっつけ仕事)になっています。
(覆い屋の開口部は南ですので、ここから見学しますから現状では確認できません)
石槨内からは何も発見されませんでしたが、四角い穴をふさぐ閉塞石が発見され、7世紀の土器・須恵器が発見され石槨の南側に前室があったと推定されています。
土取り作業の途中で偶然発見された状況から、現状はあまり見かけない変った古墳に見えますが、復元図で往時を偲べます。
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