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宮内庁が決めた大津皇子の墓の盗掘事件

宮内庁が、明治9年に二上山頂上付近に大津皇子の墓を作りました。墓がまったく捏造と言ってよい存在であることは、すでに述べたところですが、なんと、この墓を盗掘するという事件がありました。
明治18年5月に盗掘された痕跡が発見され、地元から警察署へ、さらに翌6月に大阪府知事から宮内省御陵墓課長あて検証書類を添付して報告がなされました。
それによると「墓の西側(正面)に巾90cm、深さ1.2mほどの盗掘口が発見された。掘り進んだ深さ90cmほどは山石が積まれていて、その先は土となっていた。あたりには掘り出された石や土が散乱していた。棺その他のものは発見されていない。宝物目当てに掘ったが、あきらめたと思われる。状況からして単独ではなく3,4人による犯行と思われる。(犯人はわかっていません)」
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文面からは、棺が出ていないことに安どしたことが行間から感じられました。このお墓を作るとき(明治9年)に宮内省が棺や宝物を埋めたとは考えずらいので、そもそも犯行の狙いが的外れです。ただ、当時はお宝が眠っていると思われていたのでしょうね。
大津皇子の墓なら、終末期古墳のはずですが、まったく違う構造であることがはらずも露呈されました。

墓が作られてから10年経たないうちに盗掘される。人間の浅ましさの一端を見せつけられた思いがします。

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