大津皇子のお墓がある二上山城跡
大津皇子の墓に関しては、古墳と寺しか頭になかったのですが、思いがけず『お城』の存在が浮かび上がってきたので調べました。
この地に最初に城を設けたのは楠正成(くすのきまさしげ)=1330年前後=鎌倉末期と伝えられているが、確証はない。とのことです。
記録で確認できるるのが1504年と言いますから、大津皇子没後800年以上過ぎてのことになります。さらに下って1541年に木沢長政が築城したのが現在の二上山城だそうです。
奈良県遺跡地図では範囲しかわかりませんので、城郭大系により詳しい廓の図を参照します
さらに大津皇子の墓の位置が「二の丸」にあったとことがわかる拡大図です
大系では、墓のある場所は、「櫓台か土塁であったと思われる」としています。普通に考えると城の時代は「ならした平坦地」であったと思うのですが、櫓台或いは土塁とした根拠はわかりません。墓域周辺は石垣で補修され、公園化しているので往時の面影はない。ともしています。
(史跡破壊だろう!と、ツッコミを入れたくなります)
ここを宮内庁は、1876年(明治9年)に大津皇子の墓としました。大津皇子没後1200年近く過ぎています。
墓は柵で囲まれていますが、宮内庁からその地形図が公になっています
3mほどの高さの土饅頭状態に盛り土されています。墓の正面からはわかりにくいですが脇からは3mほどの盛り土が確認できます。 「1200年ほどたってから、城跡の一角に3mの高さの盛り土をして、看板と鳥居を立てて囲って墓とした」これが宮内庁治定の二上山墓の実態です。
こうした経過が現地案内板で明らかにされることはありません。
(つづきます)
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