京都・瑞泉寺
瑞泉寺といえば鎌倉の瑞泉寺しか知らなかった私には京都、それも一番の中心地というべき三条大橋近くにある瑞泉寺は衝撃的でした。
千年の都の刑場と言えば、六条河原と三条河原ですが、三条河原に建っているのが”瑞泉寺”です。
豊臣秀吉の甥である秀次が、1595年に「謀反の疑い」で高野山で切腹させられ、その首が晒されたのがこの地です。その首の前で一族39名が処刑されました。
処刑された39名の遺体は、そのまま大きな穴に投げ込まれました。その穴の跡に塚が築かれ、頂上に秀次の首が納められた石櫃が据えられました。
首塚の石塔には「秀次悪逆」と刻まれていたとのことです。「畜生塚」と、きざまれたとも。
首塚があったところが、現在の瑞泉寺の本堂です。
この事件の16年後の1611年に、角倉了以が高瀬川を開削する際に荒廃した塚と石塔を発見し当寺を建てました。現在の墓域です。
秀次の首を入れていた石櫃が残されています。
駒姫は、山形の最上氏の娘で秀次に輿入れしてきて、京都で旅の疲れをいやしているときに、その秀次が高野山で7月15日に切腹させられ、自信は8月2日に39名中11番目に処刑されてしまいました。15歳です。供養塔です。
2013年(平成25年)の発掘調査で秀次のお墓が穴の中から発見されました。
秀吉によるこの粛清は、豊臣家の将来に暗い影を落とすことになりました。この地に来て、天下人秀吉の恐れを知らぬ振る舞いと、秀頼かわいさと、その恐ろしいほどの執念を感じました。
本堂の前に「日付印は自分で押してください。」と、あったのでスッと日付印を押したら、「300円は、箱の中に入れてください」とかいてありました。つまり、これが御朱印だったわけです。
御朱印はもらわないつもりでしたが、結果的にいただくことになりました。
6泊7日の旅の締めくくりが瑞泉寺でした。瑞泉寺を後にして京都駅に歩いて向かいました。が、周りは賑やかだったのですが、自分のところだけは違う空気が流れているように感じました。
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