鳥谷口古墳(大津皇子真のお墓)
持統天皇によって「謀反の計画あり」と、死に追い込まれた大津皇子のお墓が二上山・雄岳に宮内庁によって治定されています。ですが、昭和58年に発見された鳥谷口古墳は、橿原考古学研究所の調査によって「大津皇子のお墓の可能性が大きい」とされています。(この件に関してはあらためて触れます)
電動レンタサイクルのバッテリーがついていない状態で坂道を押しながらフーフー言いながら上がってきました。池越しに遠目からも鳥谷口古墳が見えます。
この光景が目に入ってきたときは嬉しかったです。昭和58年に、この池の堤防修復の際の土取りの際に、古墳は偶然発見されました。古代にはこの池はなかったのでこの風景は現代風というべきです。
封土はなく、石室が覆い家の中に保護されています。
古墳からの眺めは良いです。
大和三山が望まれます。
二上山への登山道(ハイキングコース)に案内板が建っています。
案内板には、山上の宮内庁によって作られた大津皇子の墓に遠慮してか「間に合わせ的な作り方になっている」と示唆さするだけで、大津皇子の墓の可能性にはまったく触れられていません。
二上山へのハイカーはほとんど素通りです。
案内板が大津皇子に触れていれば少しは道から上がってくるハイカーもいるのでしょうが。
皇子の魂を鎮める気持ちで去りがたく1時間ほどいました。撮影のために上がってきた方が2人。この人はこの古墳の意味を知っているのでしょう。
そうこうするうち1組のご夫婦が案内板のところで悩んでいましたが、上がってきました。嬉しくて頼まれもしないのに説明しました。名古屋からハイキングに来ているそうです。
古墳は盗掘にあって、遺物はほとんど残っていなかったそうです。石棺にあいている穴は四角形で明らかに盗掘口とは違います。
ある時期「祠」として使われたのか?それならまったく忘れ去られるというのは理解できません。なぜ四角いのか?知りたくなりました。
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