義仲寺(滋賀県大津市)
木曽義仲のお墓がある寺です。11月6日に行きました。木曽義仲が命を落とした粟津ヶ原にあります。鎌倉時代後期の文書に木曽塚、木曽寺、義仲寺と見えます。その後は荒廃します。貞享年間(1684~1688年)に大修理が行われます。このころ俳人の松尾芭蕉がしきりに訪れ、「骸は木曽塚に送るべし」と遺言し、大阪で亡くなった後、遺骸は門人たちによって当寺に運ばれお墓が建てられました。
木曽義仲公の墓
芭蕉翁の墓
境内に句碑が20ほどあります。その一つ有名な句です
『木曽殿と背中合わせの寒さかな』
私も一句「芭蕉殿ととなり合わせの秋の朝」とパクり気味に詠みました。朝日が差し込んでいました。 実は季語を「冬日和」としたのですが、立冬の前日だったので、冬日和を秋の朝と季語を変えました。ちなみに木曽義仲は「朝日将軍」と号されました。
義仲公と芭蕉翁の墓の位置は、門弟其角の「木曽塚の右に葬る」とあって、今も当時のままであることがわかります。
境内の芭蕉の木が花をつけていました。
4~5年に一回しか咲かないそうです。ただ、咲くのは今の時期ではないそうです。ようやくやってきた私を歓迎してくれたと、思うことにしました。
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