弘文天皇陵
今月6日に弘文天皇陵を訪れました。
大津市役所の真後ろにあるのですが、市役所の左からは行けず、大きく右から回り込みました。
弘文天皇と言ってもピンとこないと思います。天智天皇の子、大友皇子です。壬申の乱で天武天皇に敗れ自害しました。民間伝承で各地に大友皇子の墓と称するものがたくさんあります。そうした中で、およそ1200年後の明治3年になって、大友皇子に弘文天皇の名前がおくられ天皇になりました。天皇となれば御陵が必要です。現在見る地の小古墳を御陵としました。また、関ヶ原古戦場の近辺で不破の関があり、自害した大友皇子の首を埋めたという伝承地”自害峯の三本杉”というところがあります。こちらも宮内庁によって御陵参考地となっています。関ヶ原古戦場巡りの際、立ち寄ったことがあります。木の周りが立ち入り禁止となっていました。
幕末から明治にかけての「尊王の嵐」の残滓が”無理やりお墓を作った”という形で、今なお目に入ってきます。
| 固定リンク
「陵墓」カテゴリの記事
- 盧山寺とお公家さんの集団墓地 奈良京都旅行201410/11(2024.11.22)
- 『神武天皇の歴史学』読了(2024.08.18)
- 「最後の天皇陵古墳」(2024.07.07)
- 明治になってから作った前方後円墳(2024.05.02)
- 箸墓と纏向遺跡(2023.02.27)
コメント