弘文天皇陵
今月6日に弘文天皇陵を訪れました。
大津市役所の真後ろにあるのですが、市役所の左からは行けず、大きく右から回り込みました。
弘文天皇と言ってもピンとこないと思います。天智天皇の子、大友皇子です。壬申の乱で天武天皇に敗れ自害しました。民間伝承で各地に大友皇子の墓と称するものがたくさんあります。そうした中で、およそ1200年後の明治3年になって、大友皇子に弘文天皇の名前がおくられ天皇になりました。天皇となれば御陵が必要です。現在見る地の小古墳を御陵としました。また、関ヶ原古戦場の近辺で不破の関があり、自害した大友皇子の首を埋めたという伝承地”自害峯の三本杉”というところがあります。こちらも宮内庁によって御陵参考地となっています。関ヶ原古戦場巡りの際、立ち寄ったことがあります。木の周りが立ち入り禁止となっていました。
幕末から明治にかけての「尊王の嵐」の残滓が”無理やりお墓を作った”という形で、今なお目に入ってきます。
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