復活 下野薬師寺
下野薬師寺の創建時の寺名は、正式には、単に「薬師寺」です。藤原京、平城京にあった薬師寺と区別するために通称「下野薬師寺」としてます。
下野薬師寺は、足利尊氏によって全国に安国寺を立てるという施策の中で「安国寺」と改められました。近世にはいり薬師寺の正統を引く寺院はどこかということで安国寺と道鏡塚がある龍興寺が争いました。慶長10(1605)年佐竹氏より、安国寺は戒壇を守護するとして寺領10石、龍興寺には鑑真墓所を守護するとして20石が寄進されました。常陸から秋田に国替えになっていた佐竹氏は、薬師寺近辺を領地として持っていました。
発掘調査が進んだことが影響したのでしょう。下野薬師寺の跡地に立っている安国寺は2018年に元の(下野)薬師寺にほぼ680年ぶりに復帰しました。
江戸時代の様子 安国寺の堂舎が描かれています。 龍興寺の「鑑真の墓所+道鏡の墓がある」というのは発掘調査から見て無理筋です。江戸時代に寺領を薬師寺の倍の20石をもらっていたことが影響しているのでしょう、現在の堂塔は龍興寺のほうがかなり立派です。
下野薬師寺では、680年の空白を埋めるかのように唐招提寺から了解を得て鑑真和上像を製作中です 。まだ入魂していないというので触らせてもらいました。
戒壇後に立つという六角堂の補修をしています。 鑑真和上座像はここに安置される予定です。
(下野)薬師寺は復名して歩みを進めています。 鑑真和上座像胎内結縁勧進も行っています。ホームページのQRコードです。ご参照ください。
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