板橋の宇喜多秀家の墓(供養塔) 八丈島旅行番外編
八丈島へ行く前に、宇喜多秀家の供養塔が板橋お寺にあることを知りました。明治維新後に末裔一族が移住し供養塔を立てたのです。
「なぜ板橋に?」は、ひとまず置いて、板橋に7日に行ってきました。
立派な供養塔です。 八丈島の歴史民俗資料館で「板橋の供養塔に遺髪が移されたようですね?」と、質問したら「遺骨を移したようです。」との回答でした。ということになれば、こちらが「お墓」と言っても良いのかもしれません。
『秀家卿』と刻まれた文字に無念をいささかなりとも果たした感じが伝わってきます。
歩いて10分とかからないところに新選組の近藤勇の供養塔、墓があります。 時代背景の対照というのでしょうか。明治維新で転げ落ちた近藤勇と、逆に復権した宇喜多秀家です。近藤の首は処刑後京都で晒されたあと、処刑地近くのこの地に埋葬されたとのことです。立派な供養碑の傍らに元々のお墓があります。
名前を刻むことを許されなかった自然石です。秀家の元々の墓石にも名前は刻まれませんでした。
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