宇喜多秀家のお墓 八丈島旅行
八丈島への旅行の最大目的は、宇喜多秀家の足跡をたどることでした。
関ヶ原合戦で西軍の主力として戦い、関ヶ原の武将で最も長生きをし、徳川家光よりも長生きをしました。
岡山57万石の大名から、敗軍の将そして流人として生涯を終える。誠実な生きざまと不撓不屈の信念に惹かれます。
墓所は秀家の墓を中心に家族と子孫のお墓が囲んでいます。
子孫がおられますので花が供えられています。中央の五輪塔の墓は天保12年にたてられたものです。その左にある塔婆型のお墓が元来のお墓です。
『南無阿弥陀仏』と刻んであるそうですが、読み取れません。
この時点では戒名が許されなかったのかもしれません。
供養のためでしょう!近年、岡山城の礎石が備えられています。 「浮田」姓のお墓があります。『中納言秀家』をしのぶ墓碑銘が建てられていました。
無念さが伝わってきます。
宇喜多ではなく、浮田と名のったのは徳川幕府のに遠慮したからという話も聞きますが、これはちょっと事実とは違うと思います。命日になると岡山からお墓参りの人々がやってくるそうです。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 上賀茂神社、下鴨神社 奈良京都旅行201410/11(2024.11.27)
- 大徳寺三玄院 奈良京都旅行201410/11(2024.11.23)
- 総見院・信長座像 奈良京都旅行201410/11(2024.11.23)
- 盧山寺とお公家さんの集団墓地 奈良京都旅行201410/11(2024.11.22)
- 京都仙洞御所 奈良京都旅行202410/11(2024.11.19)
「歴史・史蹟」カテゴリの記事
- 「絵詞に探るモンゴル襲来」展 國學院大學博物館(2024.12.20)
- 上賀茂神社、下鴨神社 奈良京都旅行201410/11(2024.11.27)
- 「海底に眠るモンゴル襲来」展 國學院大學博物館(2024.11.25)
- 大徳寺三玄院 奈良京都旅行201410/11(2024.11.23)
「墓」カテゴリの記事
- 『神武天皇の歴史学』読了(2024.08.18)
- 「太安万侶 古事記編纂者」展(2023.11.24)
- 太閤石垣と俳人曽良の墓(2023.06.08)
- 京都・瑞泉寺(2021.12.02)
- 義仲寺(滋賀県大津市)(2021.11.15)
コメント