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畠山重忠終焉の地

横浜市の旭区役所にマンホールカード をもらおうと行ったのですが、『畠山重忠の首塚』が突然現れました。私にとっては、思いがけない史跡との巡り合いというプレゼントとなりました。時間の制約があったのですが近くを巡りました。

畠山重忠の首塚
ここで戦死した重忠の首は鎌倉へ送られて、胴体が埋葬されたとの説明です。であるならば「首塚」ではなく「胴塚」と思うのですが、




以前は南を向いていたのが今は西向きとなっている。川のほとりなので川を向いて立っていたということでしょうか。

首洗い井戸の跡
案内板だけで井戸そのものは無くなっています。



川(手前)も暗渠となっています。

六ツ塚
重忠の軍勢130騎程を埋葬した塚があります。




確かに六つあります
他に鎧橋などもあります。

伝承ですのでそれぞれがどこまで確かなのか?ですが、
この近辺一帯で行われた戦いを人々が伝え繋いできた結果です

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歴史・史蹟」カテゴリの記事

コメント

地元の人が知らないケースはたくさんありますね。
興味の持ち方は人それぞれですから、
興味の違いがあるということは、
良いことなんでしょうね。
畠山重忠には、
鎌倉の史跡を通じて親近感を持っています。

投稿: 最前列 | 2018年3月 2日 (金) 19時27分

旭区にある高校に通っていました。
畠山重忠の首塚があることなんて存じませんでした(*´-`)
興味がないとこんなものなんですね(*^^*)

投稿: napo | 2018年3月 1日 (木) 23時40分

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