大石内蔵助 山科閑居
歌舞伎の“仮名手本忠臣蔵”で私が一番面白いと感じる場面は、大石内蔵助の山科閑居の場です。御存知、討ち入りの計画を練る場面です。
山科の閑居を訪れた(8月29日)のですが、その前日に山科とは山一つ隔てた、泉涌寺の近くの来迎院訪れました。
最初は、大石内蔵助にかこつけて売り出したのかと思ったのですが、この寺が『寺請証文』(今でいうところの住民票)を出しているというので、これほど確かなことはありません。
内蔵助が建てた茶室があります。(かなり整備されている感じです)
遺品もあるそうですが、見れませんでした。
翌日に山科の居宅址を尋ねました。
先ず、大石神社 ここは昭和になってから建てられました。遺品を展示した小さな資料室(無料)がありますが、「どこまで信用して良いものやら?」と言った気持ちで見ました。
すぐ近くに内蔵助が隠棲した場所に立つ岩屋寺があります。
大石神社と違って、寺の歴史は古いです。内蔵助の遺品、四十七士の像や位牌があります。大きくはないのですが丁寧に解説してもらいました。しかし、この寺も江戸時代荒廃して、討ち入りから150年近くたって再興されています。遺品は親類縁者によって保管されていたそうですが、どのように受け止めればよいのか?
パンフレットを350円で買いました。
遺髪塚
天明七年の名所図会にのっており「近年碑を建てた」との記述があるそうです。どうやら確かな記録で遡れるのは討ち入り後80年ほどしてからのようです。そして伝えでは寺坂吉衛門がこの地に持ってきたそうです。吉衛門は、吉良邸で一行と別れていますので、その時点で「遺髪」を渡されたというのもどうなんでしょう?
居宅址は草が生い茂っていました
確かなことは、このあたりが内蔵助の隠棲地ということのようです。
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