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天王山古戦場・明智光秀退却と娘細川ガラシャ(161211京都の旅)

山崎の合戦に敗れた明智光秀は、夕刻戦線を離脱して夜通し坂本を目指して落ちて行った。と思っていましたが、戦場からほど近い10~30分ほどの勝龍寺城に入っています。

勝龍寺城

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この図は、いわば本丸 大軍を待ち受けるには全くの不足ですが、思ったよりはしっかりした城でした。
かつては娘の玉(細川ガラシャ)がこの城に輿入れして来ました。

細川忠興と玉の像

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水が豊富です。

娘婿の細川氏のかつての居城でした。再三の「味方に」と頼んだ頼みの綱の細川氏に対するこの時の光秀の気持ちいかばかりだったでしょう?

ここから数分の所にも遺構がのこっています

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夜明けを待たず、光秀はここを立ち坂本へ向かいます。そしてその途中に落ち武者狩りに襲われることになります。

細川ガラシャの最後の地とお墓(どちらも大阪)は訪れています。そして今回は、家庭を築いた地。生誕地と幽閉された地を訪れることが残っています。

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