「人間・始皇帝」読了
始皇帝は史記に書かれていて、今さら「人間・始皇帝」もあるまい。新発見があったとも聞いていないので、どう展開するのだろう?と、読む前は懐疑的に思っていました。
読んでなるほどと思ったのは、「史記」などの後世の文献資料を、同時代の墳墓などから出土した竹簡などの考古資料で修正しているということで合点が行きました。
ちょうど、「記紀」といった後世の文献資料ではわからなかったことが、遺跡から出土した同時代の木簡で明らかになる。と、同じ関係であるということです。
当然ですが、中国の人名、地名で地図ともにらめっこで、読むのに時間がかかりました。ですが、面白かった。
本筋とは関係ないのですが、『首』という文字と『頭』という文字の成り立ちの関係です。『頭』は偏と旁です。「敵の武将の首をとる」と言った場合は、文字通り「首」だけをとるのではなく、首から上の頭をとることです。『首』という文字は、首+顔+頭から成り立っていることを、あらためて知りました。「首をとる」とは「頭をとる」ということです。
本文に書かれていた、この時代の凄惨な処刑の例で「首という文字の成り立ち」に関心が向きました。
始皇帝の二代目が、お馬鹿さんで、「馬を見て鹿と言った」故事から『馬鹿』という言葉が生まれたと思っていたのですが、二代目は決して「馬鹿」ではなく、若き二代目が権力を持った首相に逆らって「馬」を「鹿」といえなかったことを知りました。おくらばせながら知って良かった。
また、西安に行って見たくなりました。
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コメント
始皇帝の亡き後、
秦が4年ほど滅んだのは、
後継者が「お馬鹿だから」と思っていましたが、
若い後継者が、力を持った首相に
あしらわれて滅んだというのが実相だった。と、
知ることができて良かったです。
投稿: 最前列 | 2016年10月25日 (火) 10時40分
「馬鹿」という語源、そうだったんですね!大変勉強になりました!
投稿: napo | 2016年10月25日 (火) 08時59分