生麦事件の史蹟
生麦事件(後述)の史蹟を、昨日訪ねてきました。
英国人・リチャードソンが馬に乗ったまま行列に紛れ込み、切られた現場
当時
現在
発生現場を示す説明板
リチャードソンが逃げる途中、臓腑を落とした現場
当時は休み処 現在は材木屋さん
説明版はありません。角から2軒目の路上です。
リチャードソンが落馬した現場
苦しいでいたリチャードソンを楽にするために薩摩藩士がとどめを刺しました。
現在は旧道と新道が交わったところです。高速道路の新設工事中です。横断歩道の左手に事件碑がありましたが、工事仮設塀に仮移転の案内板があります。
事件碑
仮移設場所ですが、「仮」という割には、きちんとしています。祠に入って風雪から守られています。高速道路の工事終了後は元の位置に戻されるそうです。
事件関係地図(拡大表示できます)
生麦事件
1862年に、勅使を奉じた薩摩藩の行列が生麦村(現・横浜市鶴見区)に差し掛かった時、行列の中に英国人が紛れ込んでしまい、無礼打ちで一人が死亡した事件です。
この事件の処理で、英国は賠償金を要求しますが、薩摩藩は拒否し、英国は鹿児島に軍艦を派遣し鹿児島の町を焼き払います。(薩英戦争)
薩摩はこの戦争で、西洋文化の高さを知り、近代化をいっそう進め、倒幕の道を歩み事件の5年後明治維新が成ります。
この事件は、明治維新を爆弾に例えるなら、導火線に火をつけた事件と云ってよいでしょう。
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