天武・持統天皇合葬陵
古代の大乱の壬申の乱の主役の合葬陵です。
この野口王墓が天武・持統天皇合葬陵として落ち着くのは明治14年に指定されてからです。鎌倉時代に盗掘を受けてその記録が根拠となりました。
墳丘の周りをひとまわりすることができます。墳丘も見えます。
八角形なのですが、見た目にはそこまでは確認できません。
前の日に行った崇峻天皇の陵が一層惨めに感じられました。
| 固定リンク
「古墳・古代」カテゴリの記事
- 古墳訪問記事を公開停止しました(2025.01.29)
- 古墳の木棺に新たな知見(2025.01.28)
- 古代の朱の生産技術(2025.01.20)
- 景行天皇の光る鎧(2024.12.27)
- 「古墳で眠る夢」?(2024.12.24)
「陵墓」カテゴリの記事
- 盧山寺とお公家さんの集団墓地 奈良京都旅行201410/11(2024.11.22)
- 『神武天皇の歴史学』読了(2024.08.18)
- 「最後の天皇陵古墳」(2024.07.07)
- 明治になってから作った前方後円墳(2024.05.02)
- 箸墓と纏向遺跡(2023.02.27)
コメント